今回は世界の王様を適当に独断で何人か選んで紹介したいと思います。流し読み程度でさらさら読んでください
- ラムセス2世
- ダビデ
- ソロモン
- キュロス2世
- レオニダス
- アレクサンドロス三世
- 始皇帝
- アショーカ
- 武帝
- クレオパトラ
- アウグストゥス
- カリグラ
- ネロ
- ハドリアヌス
- ゼノビア
- ユリアヌス
- ユスティアヌス1世
- 武則天
- レオン3世
- カール大帝
- オットー大帝
- ハインリッヒ四世
- サラディン
- チンギス・ハン
- リチャード1世
- フリードリヒ2世
- ルイ9世
- フィリップ4世
- ティムール
- イザベル1世
- スレイマン1世
- カール5世
- フェリペ2世
- イワン4世
- エリザベス1世
- アンリ4世
- アッバース1世
- グスタフ・アドルフ
- ルイ14世
- ピョートル1世
- マリア・テレジア
- フリードリヒ2世
- エカチェリーナ2世
- ナポレオン
ラムセス2世
・(紀元前1290年〜紀元前1237)エジプト
・太陽王と呼ばれるエジプトの伝説的なファラオ。180センチを超える大男で戦士としても優秀だった。ヒッタイトとの戦いでは善戦してエジプトに安定と平和をもたらしたことで太陽王と崇められた。ラムセスのもうひとつの顔は「建築王」である。古代エジプトの風習でラムセス2世は建築に力を入れた。これは大きな建築物がファラオの権力に比例することで、誰もやっていたことだ。「アブ・シンベル神殿」が有名。
ダビデ
・(紀元前1040年〜紀元前961年)イスラエル
・ダビデ象で有名なイスラエルの王。羊使いの出身であったが母国の軍を苦しめていた巨人に勇敢にも一騎打ちで戦い勝利して一躍英雄となった。しかし、ダビデの人気に嫉妬した初代イスラエルの王に命を狙われることになり、放浪者となる。後にイスラエルの王となったが、息子達にクーデターを起こされたりと災難な晩年であった。
ソロモン
・(紀元前1011〜紀元前931)イスラエル
・ダビデの息子でイスラエルの王様。イスラエルを最盛期まで導いた人物で、沢山の政策によって国を繁栄させた。ところが外交に力を入れすぎたので、国民の不安に気づくことができなかった。ソロモンの死後に国民の不安が爆発して国は分裂することになる。
キュロス2世
・(紀元前600年〜紀元前529年)ペルシア
・ペルシアの初代王様。古代エジプトを除くオリエント諸国を統一して巨大国家を建設したことで知られる。40代で即位したので遅咲きではあるが、周辺国家への侵攻を繰り返して70歳で亡くなるまで戦争に明け暮れた。当人も戦いに参加する猛将だったそうだ。
レオニダス
・(?〜前480)スパルタ(ギリシア)
・スパルタの王。僅か300人の兵士を引き連れて200万人のペルシア軍と互角の戦いをするが、壮絶な最期を遂げることになる。王による命を掛けた時間稼ぎによって、サラミスの海戦ではペルシアに勝利することができた。この勝利によりレオニダスは古代ギリシアを代表する英雄と評価された。
アレクサンドロス三世
・(前356〜前323)マケドニア
・マケドニアの王であり、ヘラクレスとアキレウスを祖先に持つとされている。即位してから僅か10年で東西4500キロに及ぶ広大な領土を征服した。大英雄と評価されたアレクサンドロスは、後の英雄であるハンニバルやカエサル、ナポレオンにも偉大な英雄であると尊敬される。
始皇帝
・(紀元前259年〜紀元前210年)中国
・初の中国統一を成し遂げたのが人物が始皇帝です。中央集権体制を築き、国家を効率的に運営した。母親と恩師が愛人関係で、自身も幼少から人質の身で育ち、母と幼馴染からも命を狙われた過去がある。このような壮絶な環境で育ったからなのか、始皇帝は「力」を欲して、「不死身」となり永遠に力のある存在になることを願い、民衆に「不死の薬」の捜索を命令した。どういう訳か「不死の薬」は「水銀」で、始皇帝は水銀中毒で亡くなった。
アショーカ
・(??〜紀元前233年)マカダ(インド辺り)
・父に疎まれていたので、王になることは叶わない人物であった。しかし父の死に乗じて、クーデターを起こす。異母兄弟を99人殺害して、命令を聞かない大臣を500人を処刑した。カリンガ戦争では10万人の犠牲を出した。殺戮を尽くしたアショーカは反省して仏教を取り入れたそうだ。
武帝
・(紀元前141年〜紀元前87年)中国
・漢の全盛期の皇帝。兄がたくさんいたので即位する可能性はないはずだったが、16歳で即位することになる。前時代の皇帝始皇帝同様に中央集中体制を築き、優秀な人材を育成して中央に集めました。ところが「不死」を求めた武帝は次第に金を使うようになり、民衆に重税を課したのであちこち反乱が起こった。晩年は精神が病んでいたようだ。
クレオパトラ
・(紀元前69年〜紀元前30年)エジプト
・エジプト最後の女王。風習で弟と結婚して共同でエジプト王に即位した。弟と考えが合わなかったので対立してしまう。クレオパトラはローマのカエサルを誘惑して、エジプト王に返り咲くのだった。しかしカエサルが暗殺されたので、再び状況が変わり、戦いの果てに自決を選んだ。
アウグストゥス
・(前63年〜前14)ローマ
・ローマ帝国の初代皇帝。義父に当たるカエサルの意思を継いで内乱に勝利して地中海を制覇した。カエサルに才能を見出されてしたアウグストゥスは18歳にして後継者に指名されていたと言う。カエサルは好戦的で、容姿にあまり恵まれなかったらしいが、アウグストゥスは全くの正反対で病弱で戦闘を好まず軍事を苦手とした美男子だった。内乱を終わらせて、「パクス・ロマーナ(ローマによる平和)」つまり安定した統治を40年以上も継続させた。
カリグラ
・(37年〜41年)ローマ
・ローマの三代皇帝。短い在位期間で建築事業と領土の拡大に勤めて、最高権力者としての威信を高めた。ところが、性への欲求や飲酒をかなり好んでいたようで、浪費癖が悪く国家の財産を使い果たして、国家は財政危機に直面した。カリグラは民衆から「個人の資産」を撤収を考えて、罪のない者を不当に起訴として金を奪い、最悪殺害までしたそうです。それ以外にも、国に金を貸してくれる市民を探したり、結婚や売春に税を課した。即位して3年で親衛隊に暗殺されてしまった。
ネロ
・(37年〜68年)ローマ
・ローマの五代皇帝。即位することは叶わない生まれであったが母の力で16歳即位することになった。統治の初期は善政と評価されましたが、母が政治に介入することを次第に疎ましく思ったネロは母を暗殺。師匠であり優秀な補佐役であったセネカも、離反の疑いをかけて処刑を命じてしまいました。こうして手綱を握る人物から開放されたネロは好き放題を始めました。ネロは「暴君」と呼ばれることになる最大の理由は「ローマの大火災」です。鎮火に6日と7晩も費やした大火災でしたが、ネロは迅速に対応したので被害を最小限に食い止めましたが、災害地に「ドムス・アウレア(黄金宮殿)」を建設したことで、民衆から批判されることになります。それでネロは火災の原因はキリスト教徒のせいにして、片っ端に処刑したのでした。この対応によってネロは「暴君」と言われることになる。
ハドリアヌス
・(76年〜138年)ローマ
・第14代ローマ皇帝。帝国各地を視察して現状を把握して、帝国の安定した統治に力を注いだ。重要建築物であるハドリアヌスの長城をイギリスに建築させたことで有名である。ただ、帝国の視察を目的にした旅でお気に入りの都市であるアテネに長く居座ったようだ。しかも愛人を抱えて。それが15歳くらいの美少女だったとか。これもあり、妻がいたが子供を作らなかったのでハドリアヌスは同性愛者で有名なローマ皇帝となった。またアゴヒゲを生やした最初の皇帝だったりする。
ゼノビア
・(240?年〜274年)パルミラ
・「戦士女王」と呼ばれたパルミラの女王。夫の死をきっかけに歴史の表舞台へと立ったゼノビアは、ローマからの独立を願いシリアやエジプトを占拠した。あっという間に巨大国家を建設したゼノビアは自身を「エジプトの女王」と自称した。ところが本気で鎮圧を考えたローマ軍に敗北してパルミラは崩壊。ゼノビアは捕虜となった。
ユリアヌス
・(331〜363)ローマ
・コンスタンティヌス1世の甥に当たる皇帝。キリスト教が容認されたローマで、キリスト教を否定したことで有名な皇帝で、キリスト教会から「背教者」と言われた。ローマ本来の文化再生を願い、皇帝の威信の回復に勤めたが目標を達成させることはできなかった。
ユスティアヌス1世
・(483〜565)ローマ
・かつてのローマ領土を取り戻してローマの覇権を取り戻した「不眠不休の皇帝」である。全盛期を過ぎたローマの救世主とも言えるユスティアヌス1世は、名将ベリサリウスの活躍もあって領土を拡大してローマの威厳を示した。しかし、活気を取り戻す活動として公共施設の建設に力を入れた結果、帝国の財政が傾いたことで、重税を課すことになり、結果的にローマは衰退することになる。
武則天
・(624年〜705年)中国
・中国史上で唯一の女帝。14歳で皇帝の側室となった武則天は自身の子供を殺して、皇后になり、逆らう奴らを打倒して女帝に君臨した。武則天は地位を獲得するために手段選ばず、残虐な行為を起こなっていたので「中国三大悪女」に数えられる。
レオン3世
・(717年〜741年)
・ビザンツ帝国の皇帝。王族の血筋ではないが、軍人としてイスラム勢力の侵攻を食い止めたことでレオン(獅子)と呼ばれるようになり、即位した際もレオン(獅子)を名乗った。イスラム教徒の陰謀でキリストの聖象崇拝禁止令を出したことで有名。この条例によってキリスト教は東と西に分裂して対立することになる。
カール大帝
・(742年〜814年)フランク王国(フランス)
・フランス語でシャルル・マーニュとも呼ばれるフランク王国の王。初代神聖ローマ皇帝とも見なされる人物で、功績の大きさから「ヨーロッパの父」とも呼ばれる。領土の拡大に力を注ぎ、ヨーロッパの殆どを支配下にすることで、古典ローマ、キリスト教、ゲルマン文化の融合を体現した。カール大帝の死後に王国は解体されフランスやドイツやイタリアの母体が出来上がった。
オットー大帝
・(912〜973)ローマ
・初代神聖ローマ皇帝とも見なされる。形骸化した皇帝の称号を約40年ぶりに復活させた。
ハインリッヒ四世
・(1050年〜1106年)ローマ・イタリア
・ローマ・イタリアの皇帝。グレゴリウス7世はローマ教皇の権力強化をする改革を目指したが、ハインリッヒはそれを無視して互いに対立するようになる。ハインリッヒは反乱にあったのでとりあえずは黙ったが、体制を立て直してグレゴリウスを失脚させた。
サラディン
・(1138〜1193)エジプト
・イスラム教とキリスト教の聖地でエルサレムを奪還したイスラムの英雄。戦上手で十字軍を破り聖地を奪還した「強い英雄」としての側面だけではなく、略奪行為が行われないように配慮したことで、敵であるキリスト教(ヨーロッパ)からも人格を絶賛された。寛容過ぎて、寄付みたなことをやっていたので、遺産はなかったそうだ。
チンギス・ハン
・(1155〜1227)モンゴル
・世界最大規模の超大国モンゴル帝国を建国した覇王。戦闘に特化した遊牧民族を束ねて、領土を拡大していった。降伏する者は寛容に受け入れて、歯向かう者は徹底的虐殺していった結果、帝国を建設することになる。
リチャード1世
・(1157年〜1199年)イングランド
・イングランドの獅子心王。10年間もイングランドの王をやっていたが、イングランドに滞在していたのは僅か6ヶ月で、英語も話すことはできなかった。じゃあ何をしていたかと言うと戦争である。即位する前は父や兄と領土の取り合いをしていた。即位後は十字軍遠征に参加してイスラエルの英雄・サラディンと互角に戦った。フランスの王様と対立したりと性格に問題があったようで、それが原因でイングランドは壊滅の道をたどり始める。
フリードリヒ2世
・(1194年〜1250年)ローマ
・十字軍の遠征を引き換えにローマ皇帝となり、エルサレムを奪還した。ところがローマ教皇と対立してしまい教皇から「アンチキリスト」と罵倒された。これに怒ったフリードリヒ2世は教皇の会議に参加する者を投獄した。
ルイ9世
・(1214年〜1270年)フランス
・内政に力を入れた長期間に及ぶ平和を保ってフランスを繁栄させた。国内外問わずに争いを収めるように努力したことから、ヨーロッパの調停者と呼ばれた。しかし、十字軍遠征に向かうが戦争による浪費と、戦に勝てずに自身は捕虜になるなど失敗してしまった。
フィリップ4世
・(1268年〜1314年)フランス
・絶対王政へと繋がる中央集権化に力を入れた。合理的で貪欲、薄情な人物とされるが、中世フランスの名君と評価される。自身の野望の為に十字軍の英雄テンプル騎士団を壊滅に追いやったことでも有名です。
ティムール
・(1336〜1405)タイ
・中世アジアを代表する軍事的な天才と評価される。モンゴル帝国の半分に匹敵する帝国を建設した。三十年以上に渡り、破壊と征服を繰り返した。チンギス・ハンが築いた帝国を理想としたティムールは、生涯をかけて領土を拡大していった。
イザベル1世
・(1451年〜1504年)スペイン
・レコンキスタを完成させたカトリック両王。冒険家コロンブスを支援して国を繁栄させた。兄弟王国であるアルゴンの王フェルナンドと結婚したことで、彼らの孫世代でスペインは統合された。
スレイマン1世
・(1494〜1566)オスマン帝国(トルコ)
・オスマン帝国の10代皇帝。領土を東西に広げてヨーロッパにも進出した。ウィーンを包囲したり、地中海の覇権も手に入れた。カール五世はスレイマン1世の存在によって、夢を絶たれることになる。後継者選びに苦労したようで、子供達は悲運な死を遂げることになった。
カール5世
・(1500〜1558)ローマ
・ハプスブルク家の絶頂期に君臨していた帝王。フランス、ベルギー、オランダ、スペインと神聖ローマ皇帝の地位にも付いた。最終的に西ヨーロッパの統一とカトリック的な世界帝国の構築であった。しかしフランス王や、オスマン帝国のスレイマン1世との戦い、病魔との戦いもあってカール五世は疲れて自ら退位した。
フェリペ2世
・(1527〜1598)スペイン
・スペイン最盛期の王。スペインは「太陽の沈まぬ王国」と評価された時代の王で、オスマン帝国との戦いに勝利して地中海の覇権を勝ち取った。ただ、戦争のやり過ぎでスペインは破産することになる。
イワン4世
・(1530〜1584)ロシア
・雷帝と呼ばれたロシアの皇帝。ロシア史上最大の暴君で知られる皇帝で、重臣を亡命したり、息子を殴り殺したり、嘘の忠告を信じて最大で6万人の民を処刑した。
エリザベス1世
(1533〜1603)イギリス
国と結婚することを誓ったので「処女王」と呼ばれる。彼女の統治下でイギリスは最盛期を迎えるきっかけになる。結婚はしなかったが、関係を持った男性は沢山いた。晩年は若い愛人を寵愛していたが、クーデターを起こされたりと男運に恵まれない人生だった。
アンリ4世
・(1553〜1610)フランス
・ユグノー戦争の最中に即位して、後にカトリックに改宗してパリに入る。プロテスタントを公認してユグノー戦争を終わらせた。フランスにブルボン王朝を開いた人物でもあり、宗教戦争を終わらせたことでフランス国民からの人気の高い王さまである。
アッバース1世
・(1571〜1629)アフガニスタン
・ペルシアで成立したサファンビー朝を再興してオスマン帝国と戦った。ヨーロッパから最新の武器を導入することでオスマン帝国と戦う力を得たらしい。ただ、どうしても王位を息子に譲りたくなかったようで、息子を暗殺したり、失明させたり、処刑したりした。
グスタフ・アドルフ
・(1594〜1632)スウェーデン
・スウェーデン最盛期の王で、ナポレオンも彼を高く評価した。主に三十年戦争で活躍した王で、負けが続いていたプロテスタント側に付いた。最新の武器を大量に導入してこれまでの戦い方を一新したことで、プロテスタント側に初の勝利を上げた。この1勝でグスタフは伝説となった。
ルイ14世
・(1638〜1715)フランス
・フランスの絶対王政時代の王で「太陽王」と呼ばれた。好戦的で戦争を頻繁にしていたし、浪費癖が酷くヴェルサイユ宮殿を建築したりと、「朕は国家なり」の言葉を残した通り国を私物化していた。フランス国民は不安が募っていたので、ルイ14世の死を悲しむどころか、喜んだ。
ピョートル1世
・(1672〜1725)ロシア
・ロシア帝国の初代皇帝。国家のヨーロッパ化を積極的に進める政策を実地して、「ロシア」を強国にした。ヨーロッパで船大工、歯科医、花火師、時計職人など様々な技術をヨーロッパで学んだことで「職人皇帝」とも呼ばれる。
マリア・テレジア
・(1717〜1780)オーストリア
・ハプスブルク家の女性でハンガリーの女王と神聖ローマ皇后となった女帝。女性が即位することを各国から反対された。なかでもプロイセンのフリードリヒ2世は過去にマリアとの結婚を拒否されたことを根に持っていたのか、生涯のライバルとして幾度も戦った。
フリードリヒ2世
・(1712〜1786)プロイセン王国
・プロイセンをヨーロッパの列強にまで成長させた大王。マリア・テレジアのオーストリアを含むフランス、ロシア、三つの国を相手に最善した。即位以前は父と対立してひどい目にあっていたようだが、即位すると才能が開花して、自身の名前だけで戦争を終わらせるくらいになっていた。
エカチェリーナ2世
・(1729〜1796)ロシア
・ロシアの皇太子に嫁いだが、夫がバカだったし、尊敬もしてなかったのでクーデターを起こして自身は皇帝となった。野心と性欲に満ちた彼女は、沢山の愛人を抱えていたようで、孫から「玉座の上の娼婦」と揶揄された。
ナポレオン
・(1769〜1821)フランス
・フランスの領土になったばかりだったコルシカ島の出身だったので、幼少期はフランス人としての自覚がなかった。ところが努力家だったので軍人としてデビューすると、トントン拍子で出世してフランス皇帝になった。軍人から皇帝になった英雄なので、自身を「戦争で勝ってこそ威厳が保てる」と評価していた。実際、戦争で負けると「罪人」扱いされた。