今回は始皇帝について簡単な説明をしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
始皇帝とは
・史上初の中国統一を成し遂げた皇帝
・封建制から郡県制への全国的な転換、万里の長城を建設したことで知られる。
・不老不死を求めて水銀を常用していたので中毒?で亡くなった。
昼ドラ的な展開? 出生の秘密
始皇帝の父・子楚は王族の人間でありましたが、兄弟は20人以上いたので王位継承順位はかなり低くく、趙という国で人質になっていました。
そんな子楚に呂不韋という男が近づきます。
呂不韋は、子楚とその父(始皇帝の祖父に当たる人物)を金銭的に援助していました。そんななかで女性の紹介もしました。女性の名前は趙姫。のちに始皇帝の母となる人物なのですが、実は呂不韋と夫婦の関係でした。
一説には趙姫が子楚に嫁いだときには、呂不韋の子供を身籠っていたとされ、始皇帝は王族の血を引いていなかったと言う説があります。
さらに呂不韋の工作で子楚が王さまになったりしたので、呂不韋はかなり出世(現代の総理大臣)しました。すべて思惑通りだったに違いありません。とんでもない男なのです。
始皇帝の即位
子楚が亡くなったことで、始皇帝は13歳で即位します。まだ経験が浅く、若い王の後ろ楯として、引き続き呂不韋は総理大臣を続けることになったので、これでもっとも権力を持つの実質、呂不韋になりました。
自分の子供が孕んだ嫁を王族に嫁がせて、本人は総理大臣にまで上り詰めるなんて方法は、大変めずらしい天下の取り方だとおもいます。
ですが、呂不韋にも問題はありました。それは趙姫です。趙姫は呂不韋を忘れてはいませんでした。子楚の死をきっかけに、二人は再び急接近しました。そこで呂不韋は関係の清算のために、趙姫に新たな男を紹介しました。
とは言え、王の母と関係を持つことはよくありません。てか、大犯罪です。始皇帝が22歳のときに呂不韋と趙姫を知ります。それまでの恩を感じた始皇帝は、免職と追放で済ませて命を奪うまでしないつもりでした。
三年の歳月が経っても呂不韋が、いまだに野心を持っていると察した始皇帝は呂不韋に手紙を送り、脅迫します。呂不韋は始皇帝の真意を察して、毒を飲んで自殺しました。
さらに始皇帝は呂不韋の葬儀で悲しんでいた人物を処刑する徹底ぶりでした。
中国統一
中国史上初の統一を成し遂げた始皇帝は、王の上に立つ存在として自らを「始皇帝」と名乗り出します。さらに始皇帝はこれまで統治の方法を積極的に変えていきます。
これまでの中国はそれぞれの地区で独立した政治を行うのが主流でした(封建制)がそれらを廃止して、始皇帝をトップとした政治(郡県制)を行うようにします。
また、度量衡(計量の統一)や水道設備と整えるなど、改革を進めていきました。
もちろん反発もあり、三回も暗殺者を送られたそうです。
不死を求めて
始皇帝は自身がいつでまでトップであることも望み、不死の肉体を求めます。1000才の仙人がいると聞くと部下に連れてこいと命令していたそうです。いるわけもなく、体にいいはずのない水銀に不死の効能があると聞き薬として常用をした。
それが原因となって病で亡くなりました。
始皇帝の死は国に大きな混乱が招くと恐れた部下は2ヶ月近くも始皇帝の死を隠蔽していたようです。また始皇帝の墓の製作には70万人以上の人々が関わったとされており、これらからも始皇帝の影響力を垣間見れます。
まとめ
始皇帝は日本での影響力も強く、実は私達が使う漢字のベースを考えた人物でもあります。結構すごい人物なのです。