最高の女王。イギリスは彼女の統治下に置いて「黄金時代」を迎えることになる。この頃の日本では織田信長や、豊臣秀吉、徳川家康が登場する戦国時代だったりします。エリザベス1世の活躍でイギリスは「大英帝国」と評価され、現代に至っても世界的に重要な国となっている。今回はそんなイギリス最高の女王はエリザベス1世は簡単に解説していこうと思います。どうぞよろしくお願いいたします
幼少
エリザベス1世は1533年にヘンリー8世の子供として生まれました。母のアン・ブリーンはヘンリーの寵愛を失い、罪を問われて処刑されてしまう。エリザベスは庶子として扱われるようになり、王位継承権を失うことになる。いきなりドン底かと思いきや、エリザベスは優秀な子供で、学問を好む勤勉な性格であり、高度な教育を受けられる記憶力の持ち主だった。フランス語やイタリア語、スペイン語、ラテン語を話すことができ、音楽も秀でていたとか。ヘンリーはエリザベスの王位継承権を回復させて、変わらない愛情を注いだ。
恋と政治的な混乱
1547年に父であるヘンリー8世が亡くなり、長男のエドワード6世が即位した。この頃にエリザベスは25歳も年上のトマス・シーモアに恋をしていた。ただ、エリザベスは義母のキャサリン・パーと暮らしていて、トマスとキャサリンは結婚していた。それでもトマスはエリザベスにちょっかいをかけたりと友好な関係だったりしたそうだ。そんななかで、キャサリンはお産で亡くなってしまい、エリザベスとトマスは互いに結婚を望むようになる。ところが、トマスはエドワード6世を追放する計画に加担していたので、処刑されることになる。エリザベスも尋問されるが、最終的に釈放されることになった。
姉メアリーの統治下
1553年にはエドワード6世が亡くなったことで、姉のメアリーが女王となった。ところがメアリーはエリザベスを冷遇するようになる。熱心なカトリック教徒であったメアリーはプロテスタントを迫害して処刑をしていたのだが、プロテスタント側は希望の星としてエリザベスを持ち上げるようになったのだ。それでメアリーにとって妹のエリザベスは政敵でしかなくなった。残虐な行為からメアリーは「ブラッディ・メアリー」と呼ばれることになり、プロテスタント側はとうとう反乱を起こした。エリザベスは保身の為に、プロテスタントを誓っていたの幽閉されることになり、暫し悲惨な生活を強いられた。
女王となる
1558年にメアリは世継ぎを産むことなく他界して、エリザベスが王位を継ぐことになった。女王として君臨したエリザベスは、優れた統治能力を遺憾なく発揮することになる。またウィリアム・セシルを筆頭にした優秀な官僚団を使いこなして国内をスムーズに統治した。ウィリアム・セシルは大変優秀な人材で、エリザベスは最も信頼する補佐官として重宝され、エリザベスとウィリアムはイギリス史上最高の組み合わせと評価されているようです。
エリザベスは女ではあったが、王として優秀だったので国民に愛された。ただ、彼女にも問題はあった。それは結婚問題である。イギリス人と結婚すれば、内紛の種になるし、外国人と結婚すればイギリスの政策が上手くいかない可能性がある。なのでエリザベスは自身の結婚に、国益を生み出さないことを理解して結婚に興味を示さなかった。
とは言え、若い頃はそれでよくても歳を重ねると考えが変わってきたようだ。例えば、46歳の頃に26歳の若い求婚者がいたが、結局は断念して泣き崩れたらしい。
メアリー・スチュワート
ブラッディ・メアリーによるカトリック時代の終わりを告げたエリザベスは、プロテスタントの時代を宣言した。このことでエリザベスはローマ法王から破門を言い渡された。ローマ法王は重ねて「エリザベスに従わない権利」「エリザベスを殺害する権利」を人々に与えた。この権利で「殺害の計画」を考える者まで現れていきエリザベスは追い詰められていく。
なかでも、スコットランドのメアリー・スチュワートはエリザベスの次の王位継承者であり、自身が正統な後継者であると主張したのだ。1568年にプロテスタント側の陰謀でスコットランドからイングランドに逃亡していたメアリーは、エリザベスへの恩義を忘れて自身の王位を主張し続けたと言う。1587年には、エリザベス暗殺計画に加担した罪で、メアリーは処刑されることになった。エリザベスは死刑執行書への署名を渋っていたが、メアリーを処刑されてしまう。この処刑がアルマダ海戦に繋がる。
スペイン艦隊を破る
血まみれメアリーの夫でありイングランドの共同王であったスペイン王フェリペ2世は、プロテスタントのエリザベス1世の統治をよく思っていなかったので、メアリー・スチュワートを即位させようとしていたが、上手くはいかない。重ね重ねエリザベス女王はスペイン船に対して海賊行為を行っていたので、しびれを切らしたフェリペ2世は行動を起こす。
1588年にスペインはイギリス征服を目論んで、アルマダ(無敵艦隊)を送り込みました。この戦争は海上でのみ行われたが、エリザベスは白のガウンと銀の甲冑を纏って国民の前で演説をして国土防衛を宣言する。海賊フランシス・ドレークと言う優秀な人材と天候にも恵まれたイギリスはスペインの無敵艦隊を破る快挙を達成した。エリザベスは国を守護することに成功して、イギリスを強国であると知らしめた。
最後に
1603年にエリザベスは69歳で他界した。晩年は若い愛人にワインの独占権を与えたりと寵愛しますが、その愛人にクーデターを起こされたり、政策が上手くいかず、「うつ状態」であったとも言われています。
それでも「大英帝国」の礎を気付いたエリザベス1世の功績は大きいでしょう。