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【ネロ・クラウディウス】皇帝の自覚なし。暴君と恐れられた皇帝について

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母親殺し、妻殺し、自らを芸術家と評した皇帝ネロ。最後には自殺することを選択したネロでしたが、民衆からたくさんの花やお供え物が寄せられました。暴君と呼ばれていたネロは実は慕われていた?


今回は暴君と恐れられたネロの真実に迫りたいと思います。

 

 

出生

 

父はエジプト女王クレオパトラの夫なった人物の孫で、母はローマ初代皇帝のひ孫に当たる人物。血筋的にもネロは皇帝に相応しい人物でしたが、母である小アグリッピーナは実の兄である当時の皇帝によって追放されており、ネロは叔母に育てられていたので、皇帝になることは難しい立場でした。


しかし、ネロは16歳にして皇帝になります。


それは母である小アグリッピーナの暗躍によるものです。小アグリッピーナはかなり野心の強い人物だったようで、自身の叔父であるクラウディウス皇帝をたぶらかして妻になると皇帝を暗殺しました。手段を選ばない小アグリッピーナは、息子であるネロの邪魔な存在を淘汰していき、ネロは若冠16歳にして皇帝に即位しました。

 

皇帝ネロの誕生

 

ネロが即位して五年は、稀に見る善政と評価されローマはたいへん活気に満ちていたと言われています。後にネロが暴君と呼ばれるようになるのは、母の死がきっかけだと思われます。


善政とは評しましたが、これはおそらくネロの実力によるものではありません。家庭教師兼補佐である哲学者・セネカの存在が大きかったのです。ネロはセネカの助言を良く聞くことで、安定した善政を保っていました。


これを面白く思わないのは母である小アグリッピーナでした。小アグリッピーナは政治に介入をしだしてネロは窮屈に感じはじめました。


そんななか、ネロはついに母である小アグリッピーナを暗殺してしまいます。原因は色々あるでしょうが、一番は女性問題でした。解放奴隷の女性を寵愛していたネロに、口を挟む小アグリッピーナ。さらには正妻と別れて、別の女性との結婚も邪魔されたネロは、ついに母を暗殺してしました。

 

暴君の誕生

 

母の死をきっかけにネロは欲望を爆発させます。奴隷の少年を去勢して妻と迎える。女装して哲学者と結婚。妻に罪を擦り付けて処刑して、別の女性を正妻と迎える。さらには師匠であり優秀な補佐であったセネカにも離反の疑いをかけて処刑を命じました。こうして、口を挟むような者がいなくなったネロは自由気ままに生きていくようになります。

 

ローマ大火災

 

のちの世の中でネロが暴君と呼ばれるきっかけは、ローマ大火災です。鎮火に六日七晩を費やしたとされる大火災で、数えきれないほどの犠牲者を出したとされます。ネロは自ら指揮をとり、犠牲者を最小に食い止めたとされますが、あまりにも対応が早かったこと、災害地に「ドムス・アウレア(黄金宮殿)」を建設したことで、ネロは自ら火を放つことで自分の理想のローマに作り替えようとしたのではないか?と民衆の間で悪い噂が立ちました。


焦ったネロは火災の原因を全てキリスト教徒に擦り付けて、片っ端から処刑していきました。猛獣に食わしたり、火炙りにしたり、と非情な処刑方法にネロは哄笑していたとされます。

 

暴走

 

ローマ火災では災害者へのケアもしっかり行い、皇帝らしい言動が目立ち評価されていましたが、次第に暴走が加速します。男だろうと女だろうと容姿が優れていれば誰でも自分の側に置き、上記でも説明した少年との結婚やら、欲望の赴くままに邁進していき、挙げ句には歌手になりたい夢を叶えるために数千人を集めてリサイタルを開きました。

これが大変下手だったようで、逃げ出す人が続出したそうです。ですが退屈そうにしている人物には罰を与えられたようで、後の皇帝ウェスパシアヌスはリサイタル中に居眠りをしていたので絶交されたみたいです。


また四年に一度あるオリンピア祭に対抗してネロ祭を開いたりとやりたい放題。


ネロ祭では自らも出場して成績に問わず一位になっていたと言う記録も残っています。


ネロの言動は決して誉められるものではありませんでした。

 

そして国家の敵に

 

ドムス・アウレアで贅沢の限りを尽くしていたネロでしたがついに、各地で反乱が起こるようになります。反乱は軍の力で鎮めることはできましたが、穀物の配給が満足に行かなくなりました。


穀物の価格が高騰していたローマにエジプトから穀物輸送船が着船したのですが、運んでいたのはネロが闘技場で使おうと思っていた砂でした。これに民衆は激怒、支持率の低下を招き、元老院も巻き込む事態になりました。ローマ帝国では外交や財政などの決定権は元老院が握っていたのですが、ガルバを皇帝と擁立することでネロを国家の敵と見なしたのです。


もはやローマに味方はいない。ネロは逃亡してローマ郊外の別荘に逃げ込みますが、1日で見付かりネロは自らの喉を短剣で突き刺して自殺しました。嘘か本当か、ネロは死に際に「見よ、世界は優れた芸術家を失うのだ」という言葉を残しました。


ネロの自殺後、ネロの死を悲しんだ民衆からたくさんの花やお供え物が寄せられました。意外にもネロは民衆から慕われていたことを証明しました。

 

まとめ

 

暴君で知られるネロですが、おそらく彼は権力で力を誇示することには興味がなく、人々にスゴいやつと、面白い奴と慕われたい気持ちが強かったのではないかと思いました。