チキンのネタ倉庫

歴史、事件、雑学、エンタメを適当に紹介するブログ

【セバスティアン1世】死後に伝説となった無能の騎士王

f:id:adachi3939:20210703234701j:plain

はい。無能な王です。

ユーチューブとかで、セバスティアンは「童貞王」と呼ばれていることを知りました。

それまで名前すら知らんかったけど、どんな王なんやろうと調べたら、どうやら無能な王だったようです。政治に無関心で、冒険や戦争に強い憧れがあったみたいな。

 

このタイプで有名な王と言えば、イングランドの王であるリチャード1世です。彼は政治に無関心で王位を強引に奪うと十字軍遠征に向かい戦いに明け暮れた事で、獅子心王と呼ばれている。

 

www.chickennoneta.com

 

セバスティアンは自身の血筋から偉大な王になる、と根拠のない自身を持ち南アフリカを占領する計画するが、大失敗する事になる。生前に全くいいことなく、戦死した無能な王。しかし、彼は死後に伝説となります。待望王として生まれたセバスティアンが、どうして童貞王と呼ばれ無能でありながら、伝説になったか。セバスティアンの生涯を簡単にご紹介していこうと思います。
 

 

 

 

誕生

 

セバスティアンは大きな期待を背負って1554年にポルトガルで誕生した。母のフアナは神聖ローマ皇帝カール五世の娘で、ハプスブルク家の血筋でもあった。祖先にはカトリック両王もいる。


www.chickennoneta.com

 

祖父のジョアン三世は多くの子供に恵まれたが、男子は次々と亡くなってしまい跡継ぎがいなかった。父もセバスティアンが生まれる前に亡くなっていたので、フアナが男子を産まないとポルトガルの王位はスペインに奪われてしまう。

 

スペインの王フェリペ2世も、自身の子供を王位につかせる準備をしていたほどだった。

 

なので、セバスティアンは、やっと生まれた後継ぎだったのだ。そのことからポルトガルの国民からも期待され「待望王」と呼ばれた。母のフアナは婚約の取り決めによって、出産後にスペインに戻った。

 

即位

 

祖父のジョアン三世が亡くなると、セバスティアンは僅か三歳で即位した。摂政は祖母、後に祖父の弟のエンリケが務める事になる。

 

1562年には、叔父であるスペイン王フェリペ2世の娘との婚約も決定した。期待されて育ったからなのか、セバスティアンは根拠のない自信に満ち溢れていた。

 

確かにハプスブルク家の血筋であり、叔父には当時最強と謳われたスペインのフェリペ2世もいる。祖父にはジョアン3世、カール5世、偉大な王の血縁であるからこそセバスティアンは自身が偉大な王となると、運命付けられた存在であると、錯覚していた。まさに中二病である。

 

キリスト教に強い関心があったセバスティアンは、成長と共に十字軍への強い憧れを持つようになった。

14歳になりセバスティアンは親政を開始するが、関心は戦争と宗教、国政に関心を持たなかった。十字軍への憧れから南アフリカの領土の奪還を夢見るようになった。

ある日セバスティアンにチャンスが訪れた。

 

遠征

 

1578年にモロッコでクーデターが起こり内戦に突入したのだ。モロッコのスルタン(王)はムハマッドは、オスマン帝国の支援を得た叔父アブデルマルクに王位を奪われて、ポルトガルに支援を求めた。

 

これはセバスティアンにとって千載一遇のチャンスである。セバスティアンは、フェリペ2世に支援を求めるが断れてしまう。それどころか、結婚の話が延期する事になった。

 

それでもセバスティアンは遠征をやめることはなかった。むしろこの数年前にもモロッコに遠征に向かったが、計画性もなく負けることを想定していない無謀な遠征計画だった。運がよく戦闘が起こらなかったが、無駄に遠征費を使うだけであったようだ。

 

それは今回はも同じである。傭兵を含めた1万5千兵でモロッコ軍に戦いを挑んだが、暑さと兵糧不足、統制のない部隊、稚拙なセバスティアンの戦術。開戦すると、押されてしまうが、最新兵器であった火器で何とか巻き返した。しかし、不用意に進軍を続けたので、伏兵に遭遇してしまいポルトガルは大敗北した。

ポルトガル史上最大の大敗北となったこのアルカセル・キビールの戦いで、ムハマッド、アブデルマルクは戦死、セバスティアンも行方不明(おそらく戦死)となった。

 

死後に伝説となる

 

セバスティアンは24歳で亡くなり結婚もしなかったので、後継ぎがいなかった。生涯女性と性交渉をしなかったらしく「童貞王」と呼ばれる事になる。

 

王位は祖父の弟であるエンリケが務める事になるが、エンリケも高齢であり子供もいなかった。なのでポルトガルはスペインの支配下に置かれることは確定的であった。希望を捨てきれない民衆は救世主を求めた。

 

「隠れていた王が民衆を解放する」

 

50年以上前に靴屋の男が書いた予言が民衆の間で流行るようになり、各地でセバスティアンが実は生きていて、敗北を恥じて隠れているんだ。と、世間は英雄の誕生を求めるようになった。各地でセバスティアンを名乗る詐欺師が現れたりと、混乱することになる。

 

本物のセバスティアンは現れなかったので、ポルトガルはフェリペ2世の物になり、60年間はスペインの配下となった。

 

その後セバスティアンを求める運動ーーセバスティアニズモはジョアン4世が蜂起する際の正当な理由となり、王位を奪還する事に成功する。

 

セバスティアンは日本のウィキによると「騎士王」と呼ばれているようです。勇敢で冒険を求めた姿勢はアーサー王伝説に登場する騎士のような王だったからだと思われる。

しかし、実像はただの無能だ。

 

 

www.chickennoneta.com