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実在した怪異殺し。鬼殺しの伝説を持つ日本の偉人10選

 

 怪異とは。道理では説明できないもの、もしくは化物を指す。古代より自然災害や、不吉なことが立て続けに起こると、怪異が関係しているのではないかと考えられたそうです。今回はそんな怪異を殺して英雄となった日本の偉人を10人紹介していこうと思います。

 

 

 

 

 

源頼光



 

948〜1021

 

史実の頼光は父である満仲の後を継いで、藤原道長の側近として仕えた。それくらいで歴史的に目立ったことはあんまりしていない。しかし、頼光は鬼退治のスペシャリストとして、多くの伝説を残すことになった。名刀「膝丸」と頼れる部下である頼光四天王を従えて多くの鬼と戦ったのだ。酒呑童子、土蜘蛛、丑御前など規格外の体格を持った大鬼と苦戦を強いられながらも、勝利をもぎ取ったとされる。

 

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渡辺綱

 

 

953〜1025

 

名刀「髭丸」を片手に茨木童子や羅生門の鬼退治で知られている。嵯峨源氏の生まれであったが、源満仲の娘婿の養子となった。渡辺氏の祖となる。渡辺綱の伝説で最も有名なのは、酒呑童子の退治だろう。この戦いでは、茨木童子を京都の一条戻橋や羅生門で戦って勝利をしている。茨木童子は女の姿になって綱に接触してきた。正体を顕にして不意打ちを食らうが、反射的に腕を切り落としたという。その時に使われた刀は「髭切」と呼ばれるようになる。その後、伯母に化けた茨木童子は腕を回収して、逃げ切った。

 

 

碓井貞光



 

954〜1021

 

祖先を辿ると桓武天皇や平氏であるなど名家の出身である。ただし天涯孤独の身になったようで、山奥で武芸に励みながら育った。なんだか坂田金時に似ていると思ったと思う。実は金時を見出したのは碓井貞光なのだ。人材を求めて全国を旅していた時に、たまたま自身が育った山に、金時がいたと思われる。菩薩の加護を得て、大鎌で大蛇を退治した伝説もあったりする。これは全て一説なので、全体的に謎が多い。

 

卜部季武



 

 

950〜1022

 

本名は坂上季武。つまりあの坂上田村麻呂の子孫だったりする。こちらも名家の出身で武芸に秀でていたようだ。あんまり知られてはないが、妖術を扱う滝夜叉姫を退治したとか。有名なエピソードを挙げると、川を渡ろうとすると産女が現れて赤子を抱かせようとするのだが、季武はビビらずに赤子を抱いたのだ。産女は返せと理不尽なことを言い出すが、季武は無視した。かなり豪快な性格だったのだろう。

 

坂田金時



 

 

956〜1012

 

昔話や童話にも登場する英雄の一人。頼光四天王の中で圧倒的な膂力を持った戦士であった。山姥の子供であったなど、実在したかは怪しいとされている。一説では最強の近衛兵と謳われた下毛野公時(しもつけのきんとき)がモデルであると言われている。熊と相撲を取るなど、山奥で育った金太郎は、源頼光にスカウトされて、四天王にまで上り詰めた。酒呑童子との戦いで生き残り、多くの戦いで貢献を続けたが、1012年に九州の賊を制圧する道中で、病にかかって、亡くなってしまう。享年は55歳であった

 

坂上田村麻呂

 

 

758〜811

 

征夷大将軍として名が周知された坂上田村麻呂にも鬼退治の伝説が各地に残っている。坂上田村麻呂は桓武天皇の命によって、蝦夷を攻略したことで有名だ。その遠征にしたがって東北を中心に坂上田村麻呂の鬼退治伝説が8つもある。大獄丸との戦いでは、数年経っても倒すことができなかった。この鬼神は空を飛んで、火の雨や雷を落とすこともできたとか。鈴鹿御前が色仕掛けで大獄丸の武器を取り上げたことで、坂上田村麻呂が一騎討ちの末に何とか倒したようだ。

 

藤原秀郷

 

891〜958

 

藤原秀郷(ひでさと)は平将門の乱を平定させたことで知られる有名な武将です。甥であった平貞盛と結託して平将門に戦いを挑んだ。劣勢が続いていたが、風向きが変わったことで遂には逆転勝利を達成した。平将門を葬ったことで当時の最大職であっ鎮守府将軍にまで任命されて、源氏、平家に並ぶ武士の棟梁として高い評価を受けることになる。そんな藤原秀郷には大百足を退治した伝説がある。橋の上に大蛇が横たわっていて、怖くても誰も渡れない。藤原秀郷は平然と踏み越えていった。その様子を見た大蛇こと龍神の一族の娘にスカウトされて、大百足の退治を依頼されたそうだ。五人がかりで引く大型の弓と、加護を受けた矢の力で大百足の眉間を撃ち抜いて討伐した。

 

平維茂

 

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平維茂(これもち)平安時代の武将で生年は不明である。平貞盛の養子になったことは記録に残っている。貞盛は多くの養子を持ったことで維盛は15番目の子供だった。このことで将軍になったときに、余五将軍と呼ばれた。そんな維茂だが、鬼女紅葉を退治した。鬼女紅葉は、第六天魔王の子供とされていて、血の騒ぎが抑え切れなくなると、麓を降りてきて、金銀財宝を盗んで、人を殺害して生き血を吸っていた。天皇に討伐を依頼された平維茂は150の討伐隊を編成して、望んだが、鬼女紅葉の火炎を駆使した妖術に苦戦を強いられた。そこで、維茂は八幡菩薩から授かった破邪の刀を使用することで、鬼女紅葉を退治した。

 

 

安倍泰成

 

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安倍晴明の子孫とされる安倍康成は、玉藻前を調伏の儀式によって、退治したことがあるとされている。玉藻前の正体は化け狐であり、女官に変装して鳥羽上皇に色仕掛けをした。大変美しい容姿だったので、鳥羽上皇はコロリと引っ掛かり、王朝は滅亡の一歩を辿ることにになる。鳥羽上皇が亡くなると、女官が化け狐であると泰成が看破して、調伏した。

 

源頼政

 

1104〜1180

 

源頼光の子孫とされる源氏の長老として有名である。保元・平治の乱で勝者に属していた。戦いの後に平清盛から信頼されて、平家の政権下で、源氏のトップとして政界に留まった。平家への不安が積もる中で、挙兵を計画するが、平家にバレて呆気なく敗北する。そんな頼政は若い頃に鵺と戦った逸話がある。時の天皇が黒雲に悩まされていたらしく、源頼政が弓の達人であったことから、退治を命じられたようだ。本人も妖怪相手に何を懸念しかなかったが、先祖である源頼光が残した弓、雷上動を使って見事に撃ち落とした。黒雲から姿を現した鵺を滅多刺しにして無事に退治したようだ。