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軍神・坂上田村麻呂について簡単に解説

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中学くらいの教科書に「坂上田村麻呂」が征夷大将軍になったと書かれていました。名前だけで詳しいことは書かれていなかったので、後に征夷大将軍になる源頼朝とか、徳川家康などから勝手に幕府を開く権限のある強い人物だと思っていたんです。

 

それが全く違うことを知りました。本来、征夷大将軍とは朝廷の敵を排除する役職らしく、征夷とは蝦夷(当時の東北辺り)を指すようです。

 

今回は征夷大将軍としての本来の仕事を全うした坂上田村麻呂をご紹介したいと思います。どうかよろしくお願いたします。

 

生涯

 

一応貴族の生まれではあるみたいですが、坂上氏は弓馬を得意とした武の名家として朝廷を守護していた。父である坂上苅田麻呂は反乱が起こるたびに鎮圧をしていた武の人物で、坂上一族の子として田村麻呂も期待されていたと思います。

 

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田村麻呂が若い頃に蝦夷との戦争が激化して、朝廷は軍を送り込んだのですが、蝦夷軍に大敗してしまいました。それで、将軍、大伴弟麻呂に仕える四人の副将軍の一人として田村麻呂は蝦夷と戦争に身を投じます。その実力を評価され中心人物として活躍しました。なんでも地方から若い兵を採用することで兵の質を高めたらしい。

 

その後も、地方の行政を監督する役職を兼任するようになり、大伴弟麻呂が老いで役職を辞任したこともり、征夷大将軍にまで出世しました。坂上田村麻呂は蝦夷を支配する全ての役職を併せ持つことになります。

 

田村麻呂の力を恐れて、蝦夷のリーダーは降伏を求めました。田村麻呂は命を奪うつもりはなかったのですが、朝廷の人間は拒否して処刑してしまいました。激怒した蝦夷の人達と再び戦争が起こるかと思いきや、朝廷は軍を動かすことをやめて、話し合いで東北を治めることに力を注ぎました。

 

三度目の蝦夷への遠征の話がなくなり坂上田村麻呂は活躍の場を失いましたが、征夷大将軍としての役職は全うして54歳で亡くなりました。

 

黒人説

 

なんと1910年頃に黒人の学者を中心に「坂上田村麻呂黒人説」があったみたいです。なんでも日本で過ごしたことがある学者が、日本人の外国人に対する寛容な態度から、古代日本で黒人の存在が言及された。なんの根拠もないので、黒人は多分ないです。しかし、坂上の一族は渡来人であり、坂上田村麻呂も大柄で当時のアジア人にしては屈強な男だったみたい。

 

まとめ

 

日本史で最初に出た名将、坂上田村麻呂のご紹介でした。圧倒的な武功から後世に伝説と語られ、日本の武人のシンボルとして評価される人物で、征夷大将軍としての本来の役職を果たした人物です。


しかし、征夷大将軍としての知名度は源頼朝や徳川家康が勝ってしまっているのは残念でなりません。坂上田村麻呂は忠誠心に溢れた素晴らしい人格者だったと思うとなおさら思ってしまいます。


最後までありがとうございました。