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マイナー?? あんまり知れてないけど歴史に影響を与えた偉人10選

 

 

知られてないけど、実は凄いってかっこいいですよね。今回は歴史に影響を与えたけど、イマイチマイナーな人物を紹介していきます。救国の英雄なのに国に嫌われた者、死後に業績を認められた者。あんまり知れていない理由は様々ですが、わかる人にはわかる凄さだと思います。

 

 

 

 

 

岳飛

 

(1103〜1142)

 

三国志の関羽と並ぶ中国史上最高クラスの英雄で、全戦全勝の無敗だった。北方の異民族国家である金の進行によって戦争が始まると、農民の出身でありながらも岳飛は祖国のために戦争に参加にした。しかし戦況は不利となり、皇帝とその息子までもが拉致されることになる。岳飛は義勇軍を結成して金軍に立ち向かった。剣や槍など武勇に優れて武将だけではなく、卓越した戦術を繰り広げる軍師としても一面を持ち合わせた岳飛は全戦全勝。まさに救国の英雄と呼べる活躍だった。民衆からも絶大な人気を誇った岳飛でしたが、宰相の策略によって反逆者に仕立てられしまう。国への強い忠誠心で拷問に耐えた岳飛でしたが、最後には処刑されてしまった。死後に汚名は晴れて、中国では関羽と並ぶ英雄となり、その精神は江戸時代の日本にまで広まり、西郷隆盛などに影響を与えた。

 

モーリツ・ベニョヴスキー

 

 

(1746〜1786)

 

元軍人の詐欺師であり冒険家。モーリツは奇妙な人生を送った。ハンガリーで生まれたモーリツは、ポーランド人の対ロシア同盟に加入していたが、ロシアの捕虜となりカムチャッカ半島に流刑される。仲間を募って反乱を起こしたモーリツは船を奪って、日本に逃げた。日本で交流を深めたモーリツはマダガスカル島に渡って、東南アジアや日本と通商する事業を計画するが上手くいかなかった。その後再びマダガスカル島に渡ったがフランス軍との争いに巻き込まれて亡くなった。彼の嘘と事実が混ざった冒険譚は、本になってヨーロッパで広まった。ここまでの話で彼が歴史にどんな影響を与えたかと言うと、ロシアに先駆けて、日本が蝦夷の調査をするきっかけを作ったことだ。江戸時代の蝦夷がいまだにどこの国でもなく、国家すらなかった。モーリツが日本に来たことで、北国への関心が高まったと推測されるそうだ。モーリツがいなかったら、北海道はロシアのものだったかも知れないらしい。

 

アレクサンドル・スヴォーロフ

 

 

(1729〜1800)

 

ロシアの大元帥で不敗伝説で知られる指揮官。ピョートル1世に元で将軍として従事していた父の影響で十代から戦争に参加していた。その後に士官学校を得て、軍人としてのキャリアを再スタートした。七戦争が終わる頃には、大佐に昇進していた。生涯で7つの大戦争に参加して、60の戦いの勝利。一度も敗北することはなかった。奇人変人としても一面もあり、女帝だろうが皇帝だろうが、媚びるようなことはなかったとされる。スヴォーロフは後輩の育成もしっかりしていたので、その戦略と戦術はナポレオンを破ったクトゥーゾフなどの名将を産むことになる。もしスヴォーロフがもっと長生きしていたら、ナポレオンの快進撃を止めていたかも知れない。

 

ジョン・ハンター

 

 

(1728〜1793)

 

「近代外科学の開祖」と称される解剖医。近代医学の発展に貢献したことで有名です。しかし、ジョン・ハンターの研究熱心な性質から変人扱いされている。解剖医であった兄の元で医師を志したジョンは、非合法で遺体を手に入れたりしてた。手先の器用さを評価されて、大病院に勤める医師のもとで修行をした。当時の水銀などを使った治療法に反対して外科医としても安易に手術することを避けて、自然治療、経過観察を大切にした。当時の医学界では反対の声も多かったが、ジョンの考えは弟子を通じて世界に広まった。ジョンは梅毒の研究で自分に感染させたり、巨人症で249mの大男の標本が欲しくて、死ぬ瞬間を監視するために人を雇ったなんて逸話もある。

 

バルトロメオ・クリストフォリ

 

 

(1655〜1731)

 

ピアノを発明した製作者。フェルナンド大公子は音楽好きで数々の音楽家を保護していたようで、その楽器の制作や管理をする目的でバルトロメオを雇ったと言われている。主に新しい楽器の制作をすることを求められていたようで、バルトロメオがフェルナンドに工場を新設することを頼めば、専用の工場を作ってもらったらしい。フェルナンドの要望通りに新しい楽器である「ピアノ」の制作に成功した。現代のよりも軽くて、音が軽いと言われていたが、音域の広さであったりと、現代のピアノの特徴を全て兼ね備えている。しかし、ピアノの制作には膨大な費用がかかるので、当時でも相当な裕福ではないと購入することはできなかった。

 

 

中根中

 

(1870〜1945?)

 

日本人でありながらも、黒人運動の指導者だった人物。口が上手かったと思われる。大分県で生まれた中根は、キリスト教徒になるが、浪費癖が酷くて除名される。日本で妻もいたし愛人もいたようだが、借金が加算でカナダに渡り白人の女性と結婚するがまた借金が原因で失踪した。その後は黒人運動に参加して白人と戦うようになる。中根は口が上手いようで10万人が動くような暴動になることもあったようだ。黒人の間で「小さな少佐」と呼ばれた。ちなみにこの頃には黒人とも結婚して愛人もいたようだ。FBIに目をつけられて、日本に強制送還されても再びカナダに渡る。しかし、逮捕されて活動は上手くいかなかった。第二次世界大戦中に釈放されてアメリカで余生を過ごした。

 

アレッサンドロ・ボルタ

 

 

(1745〜1827)

 

電池を開発したイタリアの科学者。1791年にカルバーニがカエル神経と筋肉に二種類の金属を繋ぐとする動くことを発見した。ボルタはこの現象を調べました。最初は動物電気が有力だったようですが、金属から電気が生まれていて、金属の種類によって電圧も変わることを発見しました。数々の実験を得て、1799年にボルタ電池にまでこぎ着けた。ボルタ電池は様々な実験の電源に利用されて、研究の発展に貢献されました。

 

ジャック・クール

 

(1395〜1456)

 

百年戦争時代のフランスの大商人。クール家は代々貨幣鋳造、金銀細工に携わっていたようで、ジャックは事業を引き継いジャックは実業家としての才能を発揮していく。硬貨の質を落とすことで荒稼ぎをしたが、偽装が発覚して一時は信用を失う。しかしジャンヌ・ダルクを使用した貨幣を製造していたので、なんとか酌量の余地を与えられた。貿易事業をスタート、さらにはシャルル七世から宮廷御用商人に任命されると、国王会計方に就任した。これは王国の財政管理と王への無償の支援援助を行うが、見返りとして事業を自由に行えるものであった。ジャックは貿易などの事業を更にを活発にして行ったことで、多大な財産を抱えることになる。その成功を憎む者もいた。シャルル7世の愛人が毒殺されるとジャックは殺人の容疑をかけられて、全財産を没収されてしまう。おそらく事業を独占していたことで、恨みをかわれていたと思われる。ジャックがいなければ、ジャンヌ・ダルクの活躍もなかったのかも知れない。

 

ニコラ=ジョゼフ・キュニョー

 

 

(1725〜1804)

 

車を人類史上初めて製作した軍事技術者。七戦争で大敗したフランスは、軍事力の強化に邁進していた。馬の代わりに大砲を運ぶシステムが欲しいと考えたフランスは、最新技術であった蒸気動力を使った乗り物の制作に着手したこうして誕生したのが、キョニョーが開発した運搬車である。試作品を二台製作したが、初号機はノロノロとゆっくりとしか走ることができなかった。ハンドルがかなり重かったようで、世界初の交通事故が起こった。

 

 

ヘディ・ラマー

 

 

(1914〜2000)

 

通信障害の影響を防止するシステムを開発した女性開発者でもあり、女優だったと言うキャリアを持つ女性。写真を見ての通り美貌を兼ね備えていたので、女優として活躍していた。ハリウッド女優時代には「世界で一番美しい女性」と宣伝したらしいが、納得できる美しさではないだろうか。彼女の驚くべきところは、科学者としての一面だ。第二次世界大戦中には魚雷が通信障害にあって命中しないと聞き、障害を防止するシステムの開発を志した。しかし、実装は困難であり、アメリカ海軍も軍隊外からの発明は受け入れがいたと拒んでした。20年くらい経過してから改良版が軍艦で使われることになる。このシステムの凄いとことは、Wi-Fi、Bluetooth、携帯電話などの技術に応用されたことだ。彼女がいなければ、携帯は誕生しなかったかも知れない。