フランスの英雄ナポレオンは一度の敗北によって皇帝の座を退位されて、地中海のエルバ島に追放された。しかし、再びフランスが混乱すると、ナポレオンは軍を再編成して、侵攻を開始した。かつての大英雄の侵攻に、イギリスのウェリントン公爵は立ち向かう。このワーテルローの戦いは、接戦の末にイギリスが勝利をすることになる。今回は勝利の立役者であるイギリスのウェリントン公爵の生涯を簡単に解説していこうと思う。
生まれ
ウェリントン公爵(アーサー・ウェルズリー)は、1769年にアイルランド貴族の三男として生まれる。実はナポレオンとは同い年である。ロンドンで初等教育を受けた後に、全寮制の学校に入学した。成績は平凡だったようだが、喧嘩をするような血気盛んな生徒だったようだ。父が亡くなり学費が払えなくなると、乗馬学校に編入して陸軍士官学校に入学した。この時代のイギリス貴族は軍隊生活を送ることが義務だったので、ウェルズリーも軍人となった。
軍人として
18歳で軍人となったウェルズリーは24歳で中佐に昇進して、先頭で指揮を執るようになる。戦争中でも冷静に対処する姿は高い評価を受けた。その一方でフランスとの戦いで敗亡を味わったウェルズリーは軍を去ることも考えたようだが、思い止まった。
大佐になったウェルズリーはインドに派遣されて東インド会社の経営を任せられる。兄や弟もインドに派遣されて一族でインドを制圧することを目標にした。インド南部を領土にしていたマイソール王国はフランスとの同盟関係にあり敵対関係にある。本土でナポレオンがエジプト遠征に失敗すると、兄の意見でマイソールに進軍を開始した。ウェズリーは領土の拡大には反対していたようだが、インドで幾度も戦いことで経験値を得たウェルズリーは軍人として完成されることになる。インドの活躍は母国イギリスでも高い評価を受けることになり帰国したウェルズリーは将軍となった。
政界に進出
1805年に帰国したウェルズリーは一年後には初当選を果たして、政界に進出した。翌年には陸軍大臣の地位にも付いた。軍人も務めたながらも同時に政界で活躍することになるが、中将に昇格したことでナポレオン戦争従軍することを決めて軍の職務に専念する。
ナポレオン戦争
ポルトガルを占領したナポレオンは首都のリスボンを占拠して、スペインの王室を解体させた。そして兄をスペインの王に就けた。国民からの反発がありクーデターが起こると、フランス軍はスペイン軍に敗北した。この事件でイギリスはスペインを支援することを決めて、ウェルズリーが派遣されることになる。イベリア半島での戦いでウェルズリーは驚愕した。フランス軍はナポレオンがいないと平凡な軍に過ぎないのだ。フランスのアンドレ・マッセナ元帥との戦いに快勝することになった。ウェルズリーはウェリントン公爵となり元帥に昇格することになる。ウェリントン公爵の優れた指揮能力はイベリア半島の戦況をイギリスの優位に進めることができた。ナポレオンが動くをことを想定していたウェリントン公爵であった。普通ならこのまま放棄するなんてことは有り得ない。しかし、予想に反してナポレオンはイベリア半島を放棄してロシアに侵攻を開始したのだ。この愚行を好機とみたウェリントン公爵は、イベリア半島どころかフランス本土への侵攻も視野に入れる。ナポレオンがロシアで敗北した情報を聞きえれるとイベリア半島を掌握して、フランス本土への侵攻を実際に開始することができた。
ナポレオンが退位してフランスの王にはルイ18世が即位した。ウェリントン公爵もパリの大臣に任命されてウィーン会議のメンバーとなり、有名な「会議は踊る」はのことだ。
ワーテルローの戦い
人気を得られないルイ18世はナポレオンが再び動き始めてると聞いて、ミシェル・ネイを派遣してナポレオンを食い止めようとする。しかしネイの裏切りにあい、最終的には無血でフランスの王位をナポレオンに奪われる結果となる。各国のリーダーは再び打倒ナポレオンで団結する。「世界を救うのは君だ」どロシアのアレクサンドルから鼓舞されたウェリントン公爵は連合軍を指揮して進軍を開始した。ナポレオンは全盛期のような進軍を速さを発揮したことで、両軍はワーテルローで激突することになった。戦いは一進一退の攻防であったと言える。しかし、ウェリントン公爵はナポレオンの戦術を研究してた。彼は敵軍を誘導してバラバラにしてから主力を打つける戦略を得意としていた。なので地形から動きを読むことができた。またナポレオンは体力的には全盛期ではなかった。陣頭指揮を取る立場で有りながら昼寝をしていたのだ。昼寝をしてる間にも戦況は大きく変わる。紙一重の戦いの中でナポレオンが援軍を送ることが遅くれたことが決定打となり、ウィリントン公爵がフランスに勝利したのだ。
戦後
ウェリントン公爵はナポレオン政権の終焉を見送るとイギリスに戻り政治家として本格的な活動を開始する。政敵との激しい戦力争いに勝利して首相を務めたこともある。70を過ぎても即位したばかりの18歳のヴィクトリア女王に個人の相談役にしてもらえないかと前代未聞の相談を受けた。1852年にウェリントン公爵は83歳で生涯を終えた。