誰にも言いたくない秘密は偉人にだってあるみたいですよ。今回は偉人の夜の話です 生涯女性経験がなかった偉人はたくさんいますし、キング牧師みたいに性欲が強すぎて毎晩のように娼婦と寝ていた人もいます。徳川家康は性病を恐れて遊女とは関係を持たないことを徹底していたりと、人間性が現れるエピソードは結構あります。
あなたが特殊な性癖を持っていたとしても、おそらく偉人に比べたら大したことないので元気を出してください。
- クレオパトラーーフ○ラの達人だった。
- ナポレオンーー匂いフェチだったらしい
- モーツアルトーー下ネタ好き
- ルソーーー露出狂
- カエサルーー女たらし
- エカチェリーナ二世ーー玉座の上の娼婦
- レオナルド・ダヴィンチーー同性愛者
- 宮沢賢治ーー経験なく亡くなった
- ネローー両刀使い
- 武田信玄ーー美少年好きだった
クレオパトラーーフ○ラの達人だった。
古代エジプト最後の女王クレオパトラは、世界三代美女に数えられる絶世の美女です。その美貌で、ローマの権力者であるカエサルや、アントニウスを誘惑してエジプトの女王としての地位を確立した。クレオパトラは特別美しい容姿を持っていたのではなく、綺麗な声と頭の良さを評価された才能溢れる女性だったと言われています。そんなクレオパトラですが、実はフ◯ラの達人だったらしい。100人の護衛兵を一気にイカしたなんて逸話もあるようです。当時のローマでは娼婦がフ◯ラをすることは一般的に広まっていたようなので、ローマ側の嫌味の可能性もあります。
ナポレオンーー匂いフェチだったらしい
混乱のフランスを導いた英雄ナポレオン。彼は戦いに勝利する事で地位を確立していき、ついには皇帝にもなった人物だ。ナポレオンは遠征から帰る途中に「家に帰る。風呂には入るな」と手紙を送ったことがあるようだ。また、寝ているナポレオンの鼻にブルーチーズを近づけると「ジョセフィーヌか。今夜は勘弁してくれ」と寝言を言ったらしい。ジョセフィーヌとは最初の奥さんで、「ナポレオンのち○こは子供並」と馬鹿にしていたとか。愛人を持つことは一種のステータスだったので、ジョセフィーヌも愛人を持っていたようで、ナポレオンは「浮気はやめてくれ」的な恥ずかしい内容の手紙を書いたこともある。これがイギリスに渡り、新聞に載った。
モーツアルトーー下ネタ好き
神童と謳われたクラシック音楽の巨匠モーツアルトは、下ネタが好きでした。恋人の手紙の内容は常にウ◯コの話題だらけ。ウンコがどうのこう、ウンコが出そう、ウンコで汚す、とかスカトロ好きのど変態野郎だったのだ。天才の考えることは僕ら凡人に理解できない典型のように思います。もし、モーツアルトの手紙の詳細が気になるなら、検索してください。かなりぶっ飛んだ内容ですので、ここでは記載しません。
ルソーーー露出狂
ルソーの本名はジャン=ジャック・ルソーで、「社会契約論」などを書いたフランスの哲学者である。彼の考えは後に起こる「フランス革命」に大きな影響を与えた。つまり偉大な思想家なんですが、その実態は露出狂である。なんでもルソーは、真昼間から貴婦人の前でいきなり裸になって、反応を楽しむ事に愉悦していたそうだ。それで警察に連行されたこともある。また、愛人に子供ができても、育児放棄していた。とんでもない変態でありながら、クズ人間だったのだ。こんな人間の考えが評価される時代には心底驚く。
カエサルーー女たらし
古代ローマの英雄であるガイウス・ユリウス・カエサルは、とんでもない女たらしだった。ハゲだしエラも張っていたので、カエサルは決して容姿に優れていることはなかった。それでもカエサルはモテた。生涯で三回の結婚を経験して、愛人も8人はいたそうだ。古代ローマのイケメンの基準は痩身の優男だったことからも、規格外のモテっぷりだ。元老院の三分の一は嫁を寝取られた、と言われている。
エカチェリーナ二世ーー玉座の上の娼婦
ロシアの偉大な女帝であるエカチェリーナ二世は、ロシア人ではない。ドイツの出身で運よくロシアのピョートル3世に嫁ぐ事になる。根っからの肉食系であったエカチェリーナは、クーデターを起こして夫から王位を奪う。この頃からエカチェリーナは愛人との性生活に溺れていた。生涯で公認の愛人を10人持ち、非公式に数百人の愛人がいて、毎晩別の男と夜を共にしたそうだ。血縁関係にある孫のニコライ一世から「玉座の上の娼婦」と侮蔑される事になる。
レオナルド・ダヴィンチーー同性愛者
万能の天才。肩書きだけでも数しれず、あらゆる分野で才能を開花させたダヴィンチは、「モナリザ」「最後の晩餐」で特に有名である。ダヴィンチを天才と評価するエピソードは数知れません。そんなダヴィンチが同性愛者であると、罪を問われたことがある。無罪になったようですが、生涯を通してダヴィンチは女性関係が少なく、結婚をしなかったので、本当に同性愛者の可能性があるようです。
宮沢賢治ーー経験なく亡くなった
37歳と言う若さで亡くなった宮沢賢治は、死後に作品を評価された作家である。学生時代から優秀であった宮沢賢治は教鞭を執り、その後、農業指導者と文筆活動を始めた。過労で肺を痛めた宮沢賢治は肺炎でこの世を去る事になる。ただ37年間の人生で、女性経験がなかったらしい。結婚はしていないし、女性との交際を少なかったらしい。なんでもニュートンは生涯で精液を一滴も漏らさなかった「無性愛者」だったから影響を受けたらしいのだ。しかし、晩年には「禁欲のおかげで大きな病気に罹患した」と述懐した。
ネローー両刀使い
古代ローマの長い歴史で数多くの皇帝が誕生しましたが、その中でも異彩を放ち「暴君」と呼ばれるネロは、とにかく好き勝手やっていた皇帝でした。特に性関係に関した頭がおかしいです。正妻はいました、美少年を去勢して妻に迎える、女装して哲学者の男性と結婚。意味がわからない。そんなネロは自殺で生涯を終えます。
武田信玄ーー美少年好きだった
甲斐の虎と呼ばれた武田信玄は戦国最強と謳われた武田騎馬隊を率いて、戦国時代で名将と讃えられた大名だ。その強さに、あの織田信長や徳川家康も危険視したと言う。武田信玄は男色で有名であったことをご存知であろうか。美少年に恋した武田信玄はラブレターをよく送っていたようだ。その美少年に浮気を疑われて釈明の手紙を送ったことは、有名になりつつある。武田信玄に関わらず、男色の文化は昔からあった。前述で紹介したカエサルやネロ、戦国時代では織田信長や上杉謙信も男色していたとされる。