中国、中央アジア、イラン、東ヨーロッパ、などを征服して世界最大規模の帝国を築いたモンゴル帝国初代皇帝チンギス・ハンをご紹介していこうと思います。いろんな征服王をご紹介しましたが、世界最大の帝国を築いた彼こそが、本当の征服王でしょう。チンギス・ハン(カン)は本名ではなく皇帝としての名前で、チンギスは「荒れ狂う」とか「海」などの意味があって、ハンには「王」と言う意味があるそうです。「荒れ狂う海を支配する者」的な意味になるみたいです。かっけー。ちなみに本名は「テムジン」だそうです。
はい。と言うわけでこんな感じでチンギス・ハンをご紹介していこうと思います。どうかよろしくお願いたします。
幼少期
父親であるイェスゲイ・バートルは「勇者」の異名を持つ部族長で、王族とも同盟を結ぶモンゴルの有力者でした。いわゆる名家の出身者だったのですが、チンギス・ハンが9歳のときに敵対部族に父親が暗殺されてしまいます。そのことで、父の部下達は去ってしまい部族は崩壊してしまいました。自身も危険な目に幾度かあったが、順調に成長していったチンギス・ハンは14歳にして、部族を束ねていた。父親譲りのカリスマ性を遺憾なく発揮して、裏切り者を次々と倒していったと言う。この頃からチンギス・ハンは降伏するものは仲間に迎え入れ、敵対心を消さないものは、熱湯に放り投げて処刑した。モンゴルの遊牧民は戦闘を好む集団で、個人を重んじる集団であった。それを束ねていくチンギス・ハンのカリスマ性は異常だったと言えます。こうして敵対勢力を次々と攻略して、仲間に迎え入れたりしていき、モンゴルでも大きな組織にまで成長していきました。
モンゴル帝国
44歳でチンギス・ハンは帝国の皇帝として君臨します。それまでに同族のジャムカとの戦いに敗北して、捕虜になったこともあります。部下は次々と処刑されていきますが、チンギス・ハンは持ち前のカリスマ性で敵を離反させて、寧ろ勢力を拡大していきました。ついにはジャムカを倒して帝国を建設するのです。
チンギス・ハンには離反する者が殆どいなかったとされる。それは徹底して裏切り者を処刑する一面もありましたが、一番は相手をしっかりと見極めるところだったようです。敵だろうと最後まで主人を裏切らない人物は積極的に採用していき温情を与えた。また、チンギス・ハンは部族長や部下に「貴族」の称号を与えて、征服した領土を分けた。元敵だろうと、それなりの地位と褒美を与えて尊重することができるチンギス・ハンだったからこそ、膨大な領地をまとめる王として君臨できたと思います。
最強の軍団
チンギス・ハンが率いたモンゴル軍団の特徴は機動力だった。一人一人に7頭から8頭の馬を貸し与えて、世界最速の機動力を保持していた。それを階級制度を導入して、千人隊、百人隊、十人隊、と数を正確に管理することで軍を指揮することを可能とした。それだけではなく、これだけの軍隊を二つ用意することで、一つの軍隊が攻めている間に、もう一つの軍隊を休ませることで、敵を攻め続けた。また、ヨーロッパの騎士が一対一の戦闘を好んだのに対して、モンゴルの騎馬隊は集団での戦闘を重んじて、統制を徹底していた。
ホラズム・シャー朝との戦争では、モンゴル軍は10万人に対してホラズムは倍以上の戦力を誇っていた。それでもホラズムはまるで戦いにならかったという。
当時ホラズムは世界最大規模の大国で、シルクロードを領土にしていた。そのこともありヨーロッパとの貿易が盛んで物資も知識も行き交う盛んな国だった。イスラム教との中心国であり、世界で最も盛んな国といって過言はなかった。
それだけの国だからこそチンギス・ハンは貿易を望んだが、ホラズムの王はこれを断った。互いに有利な立場を保とうした結果、大きな戦争に発展したわけだ。
チンギス・ハンが率いるモンゴル軍は、最初こそ手こずったが、持ち前の機動力と適応力を発揮していって、圧倒的な差を見せ付けて倒してしまった。
ただ、倒すのではなく、歯向かう者達は徹底的に虐殺する反面、降伏する者は宗教まで受け入れる寛容さをみせた。
ホラズムの王は肺炎で死ぬまでチンギス・ハンに追われ続けたと言う。元々西に侵攻するつもりはなかったチンギス・ハンでしたが、「敵」と判断したら徹底的に侵略してしまい、結果的に大帝国を建設したのでした。そんな感じでヨーロッパデビューも果たしたようです。
最後に
チンギス・ハン当時としては長寿で65歳で亡くなりました。一代で世界の四分の一を制覇したので、子孫を沢山残したわけです。とある調査ではアジア各国にチンギス・ハンの遺伝子を受け継いだ人達がいるとか。遺伝子的にも世界を征服したわけと言うわけ。
帝国の継承者はチンギス・ハンの三男が継ぐことになります。かつてチンギス・ハンの嫁は敵に捕まったことがあったのですが、捕虜から開放されると妊娠していたようです。そんな経緯もあって長男が、チンギス・ハンの実子なのか訝しむ声もありました。その意見を主張する次男は、正式に長男を攻めてしまいます。後に長男は実子であることがわかりチンギス・ハンは後悔して、三男を後継者としました。
その後、四男の息子、チンギス・ハンの孫に当たるフビライ・ハンが歴史の表舞台に登場するのです。
ここまで終わろうと思います。最後までありがとうございました。