歴史上で最も強い男が誰なのか。単純に一対一で誰が強いとかは、わかりにくいので征服領土をランキング化して、征服王に相応しい最強の男を提案しようと思う。基本的に1世代で国を大きくした強者をチョイスしていますが、なかには最初からデカイ国を持っている奴もいるので、僕個人的な気分もあります。何らかの参考程度に楽しんで貰えると嬉しいです。
ちなみに日本の領土がだいたい35万平方キロメートルなので、念頭に入れておくとスケールの大きさがわかりやすいかもしれません。
では、よろしくお願いいたします。
10位 マフムード 176万平方キロメートル
(971年〜1030年)
176万平方キロメートル
現在のアフガニスタンのガズナを首都にしたイスラーム王朝ガズナ朝の最盛期をもたらした君主。998年に即位したマフムードは、表向きは、イスラム教徒の宣布としてインドの侵略を開始する。実際はインドの豊富な金銀と奴隷の獲得を目的にしていた。何万人に及ぶ被害者と、約75万人が奴隷として拉致されたと言われている。数回に渡るインド侵略によってインドの歴史上では「ガズナのマフムード」と記憶された。アフガニスタン、イラン、パキスタン、北西インドに渡る膨大な領土を獲得したが、略奪に主軸に置いていたので晩年は反乱と鎮圧に明け暮れた。インドの制圧はマフムード死後にも続くことはなかった。
9位 ナポレオン 186万平方キロメートル
(1769年〜1821年)
186万平方キロメートル
フランス革命時代の皇帝。その天才的な軍人としての才覚から、ヨーロッパに大きな衝撃を与えた。コルシカ島の田舎貴族の出身であったが、本土の軍事学校を飛び級で卒業して、軍人デビューをする。革命で混乱していたフランスで、才能を開花していったナポレオンはまたたく間にフランス皇帝にまで上り詰めた。「ナポレオン戦争」とも呼ばれるくらいヨーロッパ全域を巻き込んだ戦争で勝利を続けたナポレオンは、イギリスを除く全ヨーロッパを征服することになる。ただし、ヨーロッパを全域を巻き込んだ戦争で600万人以上の命を奪ったことから「コルシカの悪魔」と呼ばれた。
8位 アドルフ・ヒトラー 335平方キロメートル
(1889年〜1945年)
335万平方キロメートル
ドイツの独裁者。全世界を第二次世界大戦に巻き込み、ユダヤ人の迫害で知られる「ホロコースト」など世界史に多大な影響(悪い意味)を与えた。意外かも知れないが、元々ヒトラーは画家志望であった。第一次世界大戦の敗戦後にドイツの再建を目指して政治家になる。その後は圧倒的なカリスマ性でドイツを軍事大国として、第二次世界大戦を吹っかけた。6年後には自決を選ぶことになり、ヒトラーの死後ドイツは降伏することになる。ドイツ人だけでも700万人が亡くなった。
7位 アッティラ 375万平方キロメートル
(406年?〜453年)
375万平方キロメートル
遊牧民族であるフン族は短期間でヨーロッパ全土に猛威を振るった。その凶悪で野蛮な行いからヨーロッパでは「神の鞭」「神の災い」と恐れられたのがフン族の王アッティラだ。兄弟で統治をしていたアッティラでしたが、兄が死んだことで一人でフン族を率いることになる。ローマはフン族の強さに成す術もなく侵攻を許していった。西ローマの姉がアッティラに求婚したことで、更に西へ侵攻することになる。これにヨーロッパが手を組んでアッティラと戦うことになったが、最終的にはローマ法王がお金で解決させた。散々ヨーロッパを荒らし回ったアッティラは、婚姻後の宴の終わりに呆気なく亡くなったそうです。アッティラの死後にフン族は歴史の表舞台から消えた。
6位 トラヤヌス 500万平方キロメートル
(53年〜117年)
500万平方キロメートル
ローマ帝国史上最も領土が広かった時の皇帝で、領土の獲得だけではなく公共施設の強化にも力を入れた。イタリア本土の出身ではないが、若くして軍人としての才能を開花させて皇帝にも選ばれた。ローマの道路、下水道、などのインフラ設備にも力を入れる一方で、アジアからヨーロッパに至るまで膨大な領土を獲得したが、ユダヤ教徒による大規模な反乱が起こったりした。この反乱の鎮圧には残虐とも言える行為をしたので、評価が多少低いようです。
5位 キュロス2世 541万平方キロメートル
(前600年〜前529年)
541万平方キロメートル
ペルシア王国の初代国王。メディア王国に属した小さな国であったペルシアの王に即位したキュロス2世は、クーデターを起こして、メディアを攻めて領土を奪った。さらに不死隊と呼ばれる精鋭部隊を率いて、周辺の諸国であるリディアやバビロニアを滅ぼして、エジプトを除くオリエント世界の支配に成功した。大帝国の建設後はメディア王国に倣って、広大な領土をスムーズに統治するために20の州に分けた。
4位 ティムール 555万平方キロメートル
(1336〜1405)
555万平方キロメートル
最盛期にモンゴル帝国の西南部地域を支配下に置くチャガタイ・ハン国のティムール朝の建国者。没落した貴族の出身とされるティムールは、盗賊のような暮らしをしていた。東チャガタイ・ハン王国の侵攻されて、一時的に従うがクーデターを起こして実質的にティムール朝を開くことになる。そこから遠征に続く遠征を続けて、領土を拡大していった。金銭を払うなりの降伏する姿勢を示せば残虐な行為はしなかったが、抵抗するなら徹底的に虐殺したとされている。中央アジアから西アジアにかけての膨大な領土を獲得しても、野心を持ち続けたティムールはオスマン帝国とも対決して中国にも攻め入る。なんでもチンギス・ハンが創り上げた大帝国を理想としていたようだ。ところが、中国との戦いの途中で病死してしまい野望を果たすことはできなかった。
3位 アレクサンドロス大王 564万平方キロメートル
(前356年〜前323)
564万平方キロメートル
古代マケドニアの王で多くの英雄が彼に憧れたとされる。二十歳で即位して僅か十年ほどで、約4500キロに及ぶ広大な領土を獲得した。とにかくマケドニアの兵士は強かった。当時としては先駆けとも言える、投石機や兵糧攻め、ヒットアンドアウェイ的なチーム戦術。この時代では間違いなくでは最強であったマケドニア軍を率いたアレクサンドロス大王は生涯で負けはなかったとされる。また、アレクサンドロス大王自身も戦士として優れていて、敵将を討ち取る活躍を見せている。ところがアレクサンドロス大王も若くして突然亡くなってしまう。暗殺された可能性もあるようで真相は不明である。
2位 スレイマン 650万平方キロメートル
(1494年〜1566年)
650万平方キロメートル
オスマン帝国の10代皇帝で、領土を東と西に広げて、ウィーン包囲や地中海の覇権を獲得したりとヨーロッパに多大な影響を与えた。46年間もオスマン帝国の皇帝として君臨していて、その間に13回も遠征行って領土拡大していき、オスマン帝国の領土を二倍にした名君主である。戦争だけではなく意外にも、法律、文学、芸術、建物などの設備にも力を入れてオスマン帝国の最盛期に導いた。継承問題には苦労したようで、二人の息子は処刑、一人は偉大な父へのプレッシャーから酒に逃げて事故死した。
1位 チンギス・ハン 1260万平方キロメートル
(1155年〜1227年)
1260万平方キロメートル
今回紹介する王のなかで断トツで領土を獲得した「征服王」はチンギス・ハンです。歴史に詳しい人なら驚きはないかもしれませんが、チンギス・ハンは間違いなく最強の王だったと思います。遊牧民族の長男として生まれたチンギス・ハンは圧倒的なカリスマ性で領土を拡大していって、僅か数年で世界最大規模のモンゴル帝国を築き上げた。モンゴル軍は機動力に優れていて、一人の兵に対して10匹の馬を用意していた。それで軍隊を二つに分けて交代制で進軍したそうだ。
最後に
いかがだったでしょうか? 日本の領土は約38万平方キロメートルと考えると世界の征服王達が築き上げた大帝国の大きさがよくわかると思います。こうしてまとめてみると、チンギス・ハンのモンゴル帝国が断トツのトップで、想像も付かない規模だと思いました。
最後までありがとうございました。