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【ベアトリーチェ・チェンチ】麗しき乙女の訴え

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こんなに儚く美しい肖像画があるだろうか? 女性らしい卵型の輪郭に、少し上がった口角、通った鼻筋、そして悲しげな儚い瞳。この絵は、彼女が処刑される直前を描いたものとされています。白い衣服は死刑に処される罪人の服装で、髪が邪魔にならないようにターバンを身につける必要があった。彼女ーーベアトリーチェ・チェンチは美しい女性であったが、時代に翻弄され22歳の若さで死刑に処されることになる。罪状は「尊属殺人」父親殺しです。罪を犯した人間が処されるのは当然のことです。しかし、ベアトリーチェが罪を犯した理由が、あまりにも悲劇的だったので彼女は悲劇のヒロインとして知られ、多くの文学や芸術の題材とされることになる。

 

今回は悲劇のヒロインである「ベアトリーチェ・チェンチ」の生涯を簡単にご紹介していこうと思います。

 

生涯

 

ベアトリーチェ・チェンチは1577年にイタリアの貴族として生まれました。チェンチ家は名家とされていて、ローマのユダヤ人居住区に「チェンチ宮」と呼ばれる豪邸に住んでいたようです。それ以外にも小さな村に「ペトレッラ・デル・サルト要塞」と言う城まで所有していました。それなりの財力を持ったチェンチ家だったので、ベアトリーチェも修道院の寄宿学校に入れて貰えたりといい生活をしていたと思われる。だが、それは表向きであって、真実は違う。父であるフランチェスコは日頃から妻や息子達に暴力を奮い、ベアトリーチェも性的な暴力を受けていたのだ。兄達は遠くの学校へ入れられたが、仕送りがなかったので物貰いをしながら実家に帰ったこともあると言う。

 

傲慢な人間であったフランチェスコはその暴力的な性格から、罪に問われて投獄されることになる。ところがそれなりに権力があるフランチェスコは、恩赦を受けて釈放されることになった。これを不服に思ったのが、なにを隠そう身内の人間である。ベアトリーチェは日常的に暴力を受けていると訴えたのだ。ローマの市民はフランチェスコの問題ある性格を熟知していたが、「貴族」であることから放免された。

 

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娘が自身を告発したことを知ったフランチェスコは、ベアトリーチェと妻をローマから追い出して田舎の城に追いやった。

 

助けを求めるが誰も助けてくれない。苦悩な毎日から抜け出すには自分たちなんとかするしかないのだ。ベアトリーチェと家族は「父を殺害」することを計画したのでした。

 

1598年のあくる日、フランチェスコは城に滞在することになったので、ベアトリーチェ達は毒を盛って殺害することを計画するが失敗する。最終的に、フランチェスコを金槌で殴り殺してバルコニーから遺体を捨てた。

 

当然こんな無計画で突発的に近い犯行なんですぐにバレてしまう。ベアトリーチェは事故だと主張したが、誰も信じなかったようです。事件の真相を探るために調査がはじまると、召使いでありベアトリーチェの恋人でもある人物は、拷問の末に殺害されるが、最後まで真相を口にはしなかった。家族は危機感に晒されて、もう一人の召使いを殺害する計画をするが、計画が露呈してベアトリーチェ達は逮捕された。そして、ベアトリーチェは死刑を宣告される。事件が起こった理由が広まると、ローマ市民は恩赦を主張します。

 

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しかし、時の権力者であるローマ教皇クレメンス8世は全く持って意見を変えなかった。なんでもチェンチ家の財産を没収することが目的だったとか。真相はわかりませんが、1599年に9月11日に一家は、サンタンジェロ城橋で処されることになります。

 

兄は四つ裂にされて、母は斬首、末の弟は死刑を免れたが財産を没収されて、家族の処刑を見せられた。

 

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ベアトリーチェは最後に斬首されることになります。斬首刑って聞くとかなり酷い処刑方法と思われますが、苦しむ時間が少ない方法として、主に高貴な身分にのみ許された処刑方法だったようです。ベアトリーチェは直前まで泣いていたとされている。ベアトリーチェは22歳で亡くなり、サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会で埋葬された。

ベアトリーチェは傲慢な貴族と戦ったヒロインとして、人々の心に深く浸透して芸術などの題材にされていくことになる。また、毎年のように処刑された前日にベアトリーチェは幽霊となって徘徊して自身の首を持って橋に戻ってくる、なんて言う都市伝説も生まれた。それだけ、ベアトリーチェの死はローマの人々にとってインパクトがあったようだ。

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