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【ウィリアム・ウォレス】名を知られていない若者が英雄になるまで

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13世紀のスコットランドは脅威に晒されていた。隣国のイングランド王エドワード1世は、ウェールズとスコットランドの統合を目論んで、イギリスの原型を作ろうとしていたのだ。そのためスコットランドの若き女王が亡くなると、エドワード1世は戦争を仕掛ける。そんななか一人の男が立ち上がった。強い愛国心を持ち、強国であるイングランドに対抗して、自由を求めたその男ーーウィリアム・ウォレスはスコットランドの英雄として名前を残すことになります。

 

今回はウィリアム・ウォレスの生涯を簡単に説明していこうと思います。

 

イングランドとスコットランド

 

ウェールズを支配したイングランド王エドワードはスコットランドの支配を目論むようになる。そんななかでマーガレットが初のスコットランド女王として、僅か3歳で即位することになった。これに便乗したエドワードは息子とマーガレットを婚約させて同君連合を企んだ。ところがマーガレットを乗せた船は悪天候に遭い、マーガレットは7歳で他界する。次の王位継承者に有力なのはジョン・ベイリャルとロバート・ブルースであったが、互いに揉めるので、他国からも少しでも血縁がある者達が名乗りを上げてしまい13人も候補が現れた。

 

内戦を危惧したスコットランドの上級貴族はイングランドとの繋がりもあったので、エドワードに相談する。最終的にはエドワードがスコットランドの統治権を奪うことになる。スコットランドの貴族達はイングランドに領土を持っていたことと、イングランドの軍事力にビビり承諾するしかなかった。その後、スコットランド王にはジョン・ベイリャルが即位するがイングランドの圧力に耐えられなくなり、フランスとの同盟を結んだ。これにエドワードは憤り、進軍する。ジョン・ベイリャルは迎え撃つも大敗して降伏することになり投獄された。それ以後、スコットランドの統治はイングランド人によって行われるようになった。

 

立ち上がる若き者

 

このような状況下に陥ると一人の若者が立ち上がった。ウィリアム・ウォレスは1270年頃に生まれたとされて、強い愛国心を持ち、自由を求めて強国イングランドに対抗する意思を示した。イングランドとの戦いで戦死した父の影響が強いとも言われている。

 

スコットランド南部の村で保安官を務めていたイングランド人が、ウォレスの義兄弟を処刑される事件が起こった。ウォレスは仲間を引き連れて、南部の村に出向きイングランド人を殺害する。すると今度はウォレスの愛人が殺害された。これに本気になったウォレスは村の全てのイングランド人を殺害したのだった。

 

なんだか不良の抗争みたいな感じで始まった小さな戦いでしたが、ウォレスの行動はスコットランドの中間以下の貴族たちの間で急速に支持されることになり、抵抗運動が本格化される。イングランドによる過酷な統治から開放を求めていた民衆は、ウィリアム・ウォレスを英雄として祭り上げて、彼を中心に反乱が起こることになった。ウィリアム・ウォレスが率いる反乱軍は加速するように規模を大きくしていき、イングランドは軍を侵攻させることなる。

 

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こうしてスターリング・ブリッジの戦いが幕を上げた。エドワード本人はフランスに出兵中だったとは言え、兵力はイングランドの方が多く、戦闘経験も豊富である。しかし、ウィリアム・ウォレスは地の利を生かすことで、イングランド軍の機動力を奪い勝利を収めたのだ。戦いの後、ウォレスはスコットランドの守護管に任命されるのだった。

 

敗北

 

力を証明して自信を付けたウォレスは反乱を続けてイングランドの北部に侵攻する。また、スコットランドの交易や外交関係を取り戻すべく、ヨーロッパの国々と接触を図ったとされている。

 

しかしながら、ウォレスの武勇は尽きることになる。スコットランドの階級の高い貴族からは軽蔑されていたので支持を得ていなかったし、フランスに挙兵していたエドワードが休戦協定を結び、帰還することになる。ウォレスは真っ向から勝負しても勝ち目はないので、ゲリラ戦で抵抗を続けるが、フォルカークの戦いで野戦を強いられることになった。貴族から成る騎兵隊が一戦もすることなく撤退したこともあり、ウォレスはまともに戦うことなく徹底した。

 

戦いの責任を取りウォレスは守護管を辞任することになり、亡命した。その後、五年近くウォレスの行方の不明になった。フランスやローマに渡り援助を求めたと言う資料が見つかっているようなので、ヨーロッパの主要国家を渡り歩いていたと思われる。

 

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そんななかでフォルカークの戦いに勝利したエドワードは1300年からスコットランドへの侵攻を続けて、三年後には制圧してしまった。ウォレスは帰国するが、エドワードが執拗に迫ることになる。賄賂や脅迫によって部下に裏切られたウォレスはイングランド軍に捕まってしまう。1305年にウィリアム・ウォレスは、馬に引きずられながら処刑場に向かわされて、首吊りから内蔵をえぐられて、最後は四つ裂きにされると言う残酷な刑に処された。

 

最後に

 

エドワードがウィリアム・ウォレスを残忍な処刑に処したのは、反乱の鎮圧させるための見せしめであったが、逆にスコットランドの抵抗運動を活発化させたしまったらしい。ウォレスの意思を引き継いだロバート・ブルースは、エドワードの死去に反乱を起こして。バノックバーンの戦いでイングランド軍に勝利して武力で独立を勝ち取ったのでした。

 

ウィリアム・ウォレスを題材にした「ブレイブハート」の挿入歌を海外の人がストリートで弾いているんですが、めっちゃいいので聞いてみてください。


Improvisation at the train station in paris!



 

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