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『ジャンヌ・ド・ベルヴィル』最愛の人を奪われた女性の復讐劇

 

百年戦争で最も有名な人物と言えばジャンヌ・ダルクだと思います。ジャンヌ・ダルク は片田舎の農夫の娘でしたが、神の声を聞いて百年戦争を終わらせる旅に出ます。それでフランスの形勢を逆転する奇跡を残した後に、捕虜となり処刑される悲劇の英雄となりました。

 

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今回はジャンヌを紹介するのですが、こっちのジャンヌではなく、別のジャンヌです。フランスの女海賊、ジャンヌ・ド・ベルヴィルです。フランス王に夫を処刑された彼女は、復讐を誓いフランス王に牙を剥くことになる。英雄ジャンヌ・ダルクは百年戦争の後半で活躍した人物ですが、ジャンヌ・ド・ベルヴィルは前半で活躍する海賊です。なので両者が顔見知りとかでないですし、敵対関係もない。時系列的には全く関わりはありません。

 

今回はどのようにしてジャンヌ・ド・ベルヴィルが百年戦争に関わっていくのか。簡単に生涯を解説していこうと思います。

 

 

生まれ

 

ジャンヌ・ド・ベルヴィルは1300年にフランス西部で貴族の娘として生まれました。ジャンヌが4歳の時に父が亡くなると、異母兄弟が領土を相続しますが、やがてジャンヌが領土を相続したようです。彼女の一族はワインの製造やイギリスからイベリア半島への貿易で財を成していたようで、かなり裕福であったと思われる。

 

結婚

 

19歳の頃にシャトーブリアン8世と結婚して二人の子供に恵まれた。最初の夫が若くして亡くなると再婚することになります、一度目は教皇から許可を得れなくて失敗する。1330年にオリヴィエ・ド・クリソン3世と再婚する。三度目の正直だったようで、これまでの結婚生活で一番相性が良かった。5人の子供を授かった。

 

百年戦争の開戦

 

1339年に百年戦争が開戦する。イングランドのエドワード3世は自身こそが最もフランス王に相応しいと抗議をしたことが発端とされる。ジャンヌとオリヴェエが暮らしていてたブルターニュ地方でも、有力者達がフランスかイングランドのどちらに付くかで、争いが始まる。(ブルターニュ継承戦争)

 

フランス派がシャルル・ド・ブロワで、イングランドがジャン・ド・モンフォールです。オリヴィエはフランス派のシャルル達とイングランドと戦いますが、防衛に失敗してしまいます。捕虜となり、解放された唯一の人物となりますが、保釈金があまりにも低かったことから、フランスから最大限の努力を怠った敗者と評価されてしまう。つまり裏切り者であると疑われてしまったのだ。

 

1343年に模擬戦に招待されたオリヴィエは逮捕されてしまいパリに連行される。裁判の結果としては、オリヴィエを含めた15人の貴族は処刑を言い渡されてしまい、フランス王の指導の元で斬首刑に処された。この処刑は有罪の証拠が公に明かされなかったこともあり破門を呼んだ。ジャンヌも夫を助けようとしたが上手くはいかなかった。なんなら賄賂を送ったことで罪に問われて、全ての財を没収されそうになったようだ。

 

最愛の夫を奪われたジャンヌは、フランス王フィリップ6世と、シャルル・ド・ブロワへの復讐を誓うのであった。

 

そして海賊となる

 

奪われなかった領土や財産を全て売り払ったジャンヌは、400人の傭兵を雇用した。そしてイングランド側に付き、フランスへの攻撃を開始した。ジャンヌ自身も戦闘に参加したようで、その勇姿から「ブルターニュの雌獅子」と恐れられた。その評判はイングランド王エドワード3世の元にも届き、軍船を3隻も与えられた。

 

その軍船を黒色に染めて、帆を朱色にしたジャンヌは、軍船に「リベンジ」と名付けたらしい。それでフランス海域を荒らしに荒らし回ったようだ。その後は活動拠点をイングランドの海域に移動して、フランスの船を見つけるととにかく略奪。フランス船を襲うことに過剰な執着を見せた。最終的にはフランス船に敗北して、船を失い5日間の漂流することになり、子供を一人亡くしてしまう。これに懲りたのか13年も続いた海賊活動は終幕した。

 

その後はエドワード3世の側近と四度目の結婚するなど、元の生活水準に戻ったと思われる。1359年に最後の夫を亡くした数週間後に、ジャンヌも亡くなった。

 

ジャンヌ・ド・ベルヴィルは最愛の人を亡くしたことで、戦場では獅子と恐れられましたが、若い頃は国一の美女と言われるくらいには、優れた美貌を兼ね備えていたようです。また、オリヴィエとの子供にはフランス元帥にまで昇進した逸材もいたようなので、ジャンヌの戦場での活躍は遺伝なのかも知れません。一族が優秀な戦士?

 

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