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『グレイス・オマリー』エリザベス女王に気に入られたアイルランドの海賊女王

 

グレイス・オマリーは族長の娘として生まれたが、組織を大きくしていき海賊行為を盛んに行うようになった。3番目の子供は海の上で産んだようで、その日は自室に引きこもっていたが、船員に助けを求められると、無能の部下を非難しながらも、戦闘の指揮を取って勝利に導いたと言う。船団を導いたグレイスは、あのエリザベス女王とも対等な関係を結んだ。このことからも一部では海賊女王なんて言われることもあるようです。アイルランドでは愛国者としても評価が高い。今回はグレイス・オマリーの生涯を簡単に解説していこうと思います。

 

 

 

生涯

 

生まれ

 

グレイス・オマリーは1530年ごろにアイルランドの北西地域で、領主の娘として生まれた。グレイスの一族は、勇敢な船乗りとして漁業や交易、海賊活動を行い、時には傭兵として戦場で戦うこともあったようです。幼少期のグレイスのことはわからないことが多い。父が所有していたクレア島で幼少期を過ごしていたと言われていて、この頃には有名なエピソードがある。父から船を操る許可を得るために、髪を少年のように短くした。禿頭のグレースと言われたらしい。少しダサい。もっといいい方もあると思うが、これは伝説とされている。

 

結婚

 

グレイスが16歳の時に結婚をした。相手は海賊であり領主のドナル・オフラハティだ。ドナルは現代のゴールウェー地方を領土としていた。二人の子供に恵まれたグレイスではあったが、夫は奔放な性格でグレイスに自由を与えて、政治問題や海賊活動に参加することを許した。それどころか夫のドナルは政治に無関心だったので、グレイスが困窮で苦しみ領民の期待を背負って、事実上の領主として活動することになる。城攻めで夫が戦死すると、グレイスがオフラハティ一族の長に成り代り、城攻めを成功させたと言う。ドナル・オフラハティが亡くなったことで、グレイスが故郷に帰郷した。

 

二度目の結婚

 

帰郷したグレイスはクレア島でガレー船団を設立して、交易や海賊活動を参画するようになる。1556年頃になると、海賊活動に便宜を求めるようになりリチャード・バークと結婚した。リチャード・バークはメーヨー地方の領主で、鉄のリチャードと呼ばれる優秀な戦士でした。またリチャードはロックフリート城塞を所有していたので、船団の避難所としても非常に価値がある結婚となりました。ただし一年後には自由に離婚ができるとされていたらしい。この契約も伝説とされているので、事実かはわかりません。事実としては、グレイスはリチャードをロックフリート城から追い出して、城を奪い取ってから、離婚を成立させたそうです。

 

ロックフリート城

 

イングランドと戦う

 

バーク家とは有効な関係を築いていたグレイスは、ロックフリート城を拠点として海賊活動を有意義に進めていた。アイルランド西海岸の商船員の間では、恐怖の対象になっていく。1574年にはイングランドが痺れを切らして、ガレー船団の討伐に動いた。グレイスはロックフリート城を死守しますが、束の間の成功を喜んでいる悠長なことは言っていられません。イングランドのアイルランドへの侵略は着実に進んでいることは事実であり、グレイスはイングランドの総督と会談の場を設けて、服従することを決めた。1577年にグレイスは捕虜となる。イングランドに服従はしていたは、海賊活動を盛んに行っていたからだ。この頃グレイスの夫であるリチャード・バークはイングランに対して反乱を計画していたようで、それを止めることを条件にグレイスは釈放される。尻に敷かれるタイプの夫はイングランドに服従して、仕舞いには騎士となったらしい。

 

反乱に参加する

 

リチャード・バークが死ぬとグレイスはロックフリート城に帰還して生涯をここで過ごすことになり、再び海賊活動を再開した。しかしここで邪魔になってくるのは、やはりイングランドであった。この頃にはイングランドの脅威はアイルランドのとっては死活問題であり、グレイスのガレー船団も同じことでした。グレイスはイングランドから派遣された知事リチャード・ビンガムに対する反乱に精力的に参加して、イングランドを追いやることを望んだ。再び捕虜となり絞首刑に処されかけるが、仲間が人質を差し出したことで難を逃れる。しかし、反乱に参加していなかった長男がイングランド軍によって殺害された。その後も反乱に参加しながらも、時にはリチャード・ビンガムと手を組み罪を犯した次男の領土を攻めることもあったと言う。それらの所業からビンガムは「40年に亘って反乱を育んだ乳母」とグレイスを称した。

 

エリザベス女王と対談

1593年にグレイスはエリザベス女王に直接手紙を送った。この頃になると、イングランドの脅威はグレイスの領土にまで迫ってきていて、最早これ以上戦いのは困難であった。とは言え大胆な決断である。グレイスは高齢ではあったが、そちらが私達を攻撃しないなら、召集があれば必ず答えるとエリザベスに訴えたのだ。ビンガムはグレイスの行動を危険視して、彼女の三男を捕虜とした。グレイスは三男を案じながらも、自ら船に乗りイングランドのロンドンに向かいエリザベス女王との直接的な対談を求めるのであった。ビンガムは抗議したが、エリザベスはグレイスとの対談を認めた。どのようなやり取りがあったかは、伝わっていないが、グレイスがエリザベスから信頼を勝ち取ったことは明確である。女王の敵と戦うことを約束したグレイスは全てを放免されて、引き続き自由な海賊活動を行うようになったと言う。イングランドが物資提供を求めたなら応じることもあった。グレイスは1603年にロックフリート城で亡くなった。

 

グレイス・オマリーは自由に生きたが、神話や逸話が伝えられるようになり、アイルランドの愛国者として、伝説的な存在になっていく。それはグレイスの行動、つまりイングランドと有効な関係を築いたことが、結果的に、アイルランドを救国することになったからだと思われる。おそらく自国と他国からでは、捉えた方が違うので、イングランドから見たグレイスはアイルランドを守った英雄に見えたのかもしれない。