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『ビーア・ゲルロフ・ドニア』フリジアの英雄は、規格外の巨人だった

 

その圧倒的な体躯から、ビッグビーア、とかジャイアントビーアと呼ばれたそうです。

雄牛のように逞しく、肩幅は広い。長い口髭を生やした黒髪の男で、ユーモア溢れる温厚な男だった。そんな彼が大切な仲間、家、嫁を奪われたことで復讐の鬼となりました。今回は個人的な遺恨から反逆の英雄となったフリジアの巨人、ビーア・ガーロフス・ドニアの生涯を簡単に紹介していこうと思います。

 

 

 

生涯

 

ビーア・ゲルロフ・ドニアは1480年頃に現代のオランダで生まれました。当時でいうところのフリジアです。フリジアはワッデン海を沿って発展した地域で、ゲルマン系の民族であるフリジア人は伝統的に住んでいました。しかし、1514年にザクセン公ジョージが東フリージアの所有権を狙って侵攻を開始しました。ザクセン公ジョージに雇われたブラックバンドと呼ばれる傭兵軍団は、残虐で必要以上に攻撃な軍隊で有名でした。ブラックバンドはビーアが住み街にまで迫って来るのは、最早時間の問題だった。1515年にブラックバンドはビーアが住む街を攻撃。ビーアは仲間と家族を失った。ただの農民に過ぎなかったビーアでしたが、復讐の鬼となり仲間を集うようになりました。

 

反乱

ビーアは元凶であるハプスブルク家への復讐心を意思を仲間を集って、反乱軍「アルムの黒軍」を結成しました。彼らは海上で活動する海賊となり、イギリスやオランダを専門に襲撃するようになった。

 

陸地に上陸するとビーアは後のカール五世に協力したメデンブリック(オランダ西フリージア)への侵攻を計画します。ハプスブルク家を代表して残っていたザクセン公アルベルト三世に会い、互いに干渉しなことを約束して、ビーアは心置き無くメデンブリックへ侵攻を開始した。歯向かう者は殺し、降伏する者は捕虜とした。ビーア達反乱軍の強さを恐れた城主は、街を捨てて城に立て篭もることを決めた。城を奪うことは諦めたが、略奪の限りを尽くした後に、火を放って、街を廃としてた。その非情な行いはかつて自身に降り掛かった不幸を想起させた。

 

その後も複数の街に対して残虐な行いをしていた反乱軍は要塞化された都市を、根城にして活動を活発していきますが、そうは行きません。ハプスブルク家のカール5世の名の下に鎮圧軍が行動を開始しました。所詮は農民やアウトサイダーの集まりなので、本気となった強国を相手にすることは不可能だったのです。ビーアが懸命に抵抗を続けていき、300人のオランダ人を捕虜にするなど活躍を続けましたが、ハプスブルク家に脅威を止めることはできませんでした。

 

モチベーションを失ったビーアは1519年に引退を決意して、反乱軍は後継に継がれた。その一年後にビーアは静かに亡くなったそうです。

ビーアは2メートルを越す大剣を自在に操る大男と言われているようで、現代でもビーアが使っていたと言われる剣がオランダの博物館に展示されている。反乱は成功したとは言えませんが、オランダでは英雄として数えられているようです。