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【オリバー・クロムウェル】王殺し。王を打倒して自身がトップになった貴族

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「王殺し」自らをジェントルマンと評したオリバー・クロムウェルはイングランド王チャールズ一世を処刑して、護国卿として国のトップになった。確かな支持を持っていたクロムウェルだったが、その死を悲しむ国民は少なかった。信頼があったからこそ、護国卿となったのに、わざわざ遺体は掘り返されて、首を切断されたのだ。遺体の体は穴に放棄されて、首は晒されることになる。熱心なピューリタンであったクロムウェルに何があったのか? 今回は「王殺し」オリバー・クロムウェルについて書いていきたいです。どうぞよろしくお願いたします。

 

 

 

生涯

 

生まれ

 

1599年にオリバー・クロムウェルは貴族の家系で生まれた。ジェントリと呼ばれる階級にあやかってか自身を「生まれながらのジェントルマン」と評したと言う。先祖にはヘンリー八世(エリザベス女王の父親)の元で政治家をしていたトマス・クロムウェルがいる。

 

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熱心なピューリタン(プロテスタント)で、よく涙ぐむ感激家だったそうだ。戦争中でも聖書を持参して、読んでいたと言われている。話が飛躍して、小人が出てくる都市伝説まで登場したらしい。

こちらで、クロムウェル聖書をちょこっと紹介している。

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ケンブリッジ大学を卒業したクロムウェルは、29歳で庶民院議員になるも、一年後には議会が解散することになり、故郷で判事になるも、土地を売って牧場の経営に携わることになる。ちなみに20歳前後の時に結婚していて、9人の子供をもうけてます。

 

内乱に投入

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41歳のときにケンブリッジから議員となり、再び政治に介入することになる。この時代のイングランドは王と議会での対立が凄まじかった。時の王チャールズ一世は父である先代の王ジェームズ一世の意思を継いで、王権神授説を断行した。要するに王は「神のみに責任を果たし、国民は知らん」みたいな考えであり、成功例はフランスのルイ14世が有名だったりする。

 

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とは言えチャールズ一世の改革は上手くはいってはいなかった。戦費は調達するために課税を考えたが、王とは言え議会での決定がないと進めることはできない。ところが議会での決定に、納得がいかないと議会を解散させて11年間議会を開かずに、絶対王政の移行を強めた。それで1640年に議会が必要となり、オリバー・クロムウェルをはじめとする新たに選出されたメンバーで、議会が開かれることになる。しかし、議会の結論に納得がいかなかったチャールズ一世は再び議会を解散させてしまった。もはや行き過ぎたチャールズ一世の愚行に議会は、絶対王政の完全否定を目標とする、改革を進めることになる。クロムウェル達は王の執政を告発した。議会でこの告発書は通ることになるが、チャールズ一世は議会派を叩くことを決意して、400人の兵を引き連れて議員達の逮捕に乗り出した。だが、これは不発で終わる。

 

この事件で議会と王は決定的な対立が生まれることになる。

 

こうしてイングランド内戦が勃発した。騎士を率いた王軍の強さに、革命軍は敗北することになる。クロムウェルはよく訓練された騎士に勝つには、洗練された軍隊が必要であると考えた。根っからの信者であったクロムウェルは、兵士達に聖書を言い聞かせて、信者による軍を結成した。それが鉄騎隊である。後のニューモデル軍の核である。各地から集められた鉄騎隊は、信仰によって結束した強力な軍隊であり、攻撃でも防御でも、どんなに陣形を崩されても、すぐさま陣形を整えて迅速な行軍を可能にした。

 

マーストン・ムーアの戦いでは悪天候に見舞われたが、鉄騎隊が奇襲を仕掛けたことで勝利に貢献した。クロムウェルは武功を上げたが、王軍に快進撃を与える力は、議会軍にはいまだにない。連合軍はより結束力を高めて、ニューモデル軍を結成した。赤いユニフォームを身に纏った軍の副司令官になったクロムウェルは、決戦となるネイスビーの戦いに身を投じる。鉄騎隊の活躍で王軍はじりじり攻められていく。鉄騎隊の勢いを殺すべく、王の親衛隊は進軍するはずだったが、連絡ミスで後退してしまう。この連携ミスが命取りとなり、王軍は瓦解する。この戦争での議会軍の勝利が決定的になり、王軍は事実上壊滅状態となり、再建は不可能となった。一年ほど内戦は続いたが、議会軍は逆転を許すことはなく、チャールズ一世はスコットランドに亡命することが余儀なくされた。

その後も、チャールズ一世は、スコットランドの力を借りて議会軍を攻めたので、第二次イングランド内戦が始まった。クロムウェルが率いるニューモデル軍は軽くあしらい、チャールズ一世は処刑されることになる。

 

こうしてイングランド共和国が誕生して、クロムウェルは共和国の指導者となった。

 

護国卿として

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アイルランド遠征部隊の長となったクロムウェルは、アイルランドを征服してイングランドの植民地要素を強めた。また、チャールズ一世の息子である、後のチャールズ二世の上陸を阻止する目的でスコットランドを攻めて王族を追いやることに成功した。

 

クロムウェルは、54歳で護国卿となり、イングランドの実権を握った。オランダと講和して、スウェーデン、デンマーク、ポルトガル、と通商条約を結んだりと、護国卿らしい仕事もした。議会はクロムウェルに王の座を与えようともしたが、流石に拒否したそうだ。

 

しかし、実権を握ったクロムウェルはだんだん本性を表すことになる。独裁を始めたのだ。

 

熱心なプロテスタントだったクロムウェルは宗教を国民に押し付けた。祝日は禁止され、演劇や競馬、売春宿、居酒屋などは閉鎖、これらは軍の監視下におかれたので国民はクロムウェルを嫌った。

 

クロムウェルは、1658年に59歳で、インフルエンザもしくはマラリアで亡くなった。その後は息子のリチャードが継いだそうだが、人望がなかったので、護国卿と言う地位がなくなり王政が復活することになる。王政の復活によってクロムウェルは国の反逆者として、棺が掘り起こされて遺体はバラバラに切断された。24年間も首は晒されることになる。

 

最後に

 

王権を断行したチャールズを倒して、ヒーローになったはずのオリバー・クロムウェルでしたが、敵となったはずだった王と同じ愚作に走ったことでクロムウェルは、死後に「王殺し」として反逆者となってしまいました。やはり、力を持って人格が変わるタイプは嫌ですね。そう言う人は現代でも嫌われると思います。僕は嫌いです。