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【ルイ14世】朕は国家なり。フランス最盛期を築いた太陽王

 

なんで太陽王かと言うと、バレエで太陽神に扮したことで太陽王と言われるようになったみたいです。そんな感じでフランスの王ルイ14世をご紹介していこうと思います。

自分で言っといてよく分かりませんが、どうぞよろしくお願いたします。

 

 

 

ルイ14世とは

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フランス絶対王政の全盛期に「太陽王」と呼ばれた国王。5歳で即位すると、貴族の反乱などを経験して、フランスを人口2000万人のヨーロッパ随一の国家に成長させた。ルイ14世は積極的に領土の拡大を目的にした外交や戦争を繰り返して、フランスの領土を大幅に拡大させることに成功する。しかし、在位中に戦争を続けたことで、フランスの財政は苦しくなり、世紀末に起こるフランス革命に繋がることになる。

 

出生 

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ルイ14世は1638年にルイ13世の長子として生まれる。しかしながら、その出生には秘密があったとされる。ルイ13世と王妃アンヌ・ドートリッシュは23年間も子供ができないくらい不仲だったのだ。国民は王位継承者の誕生を大いに祝福したが、同時に良からぬ噂が相次いだ。例えば、ルイ13世はゲイだったとか、本当の父親は当時の宰相とか、話が膨らみ謎の囚人「鉄仮面」がルイ14世の親族とか、真実はわかりません。二年後に弟が誕生するが、ルイ13世はアンヌを信用していなかったので、自身が亡くなってもアンヌが実権を握ることを許さない遺言を残した。ところが、ルイ14世は僅か4歳で即位すると、ルイ13世の遺言をアンヌは破棄して母后として摂生となった。

 

ルイ14世が即位した頃のフランスは三十年戦争に介入していた。当時の宰相の活躍で神聖ローマ帝国の分裂、つまりハプスブルク家の弱体化に成功した。ただし、長い戦争による重税によって、貴族による乱、ブロンドの乱が起こっている。ルイ14世はパリからの逃亡を経験した。この頃、17歳のルイ14世は「朕は国家なり」と貴族に向かって言い放ったとされるが、創作の可能性が高いそうだ。

 

政治に介入

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1661年にルイ14世が23歳の時に宰相が亡くなったことをきっかけに、親政(王自らが政治する)を開始する。以後、宰相は置かないことを宣言した。国務会議から、王族、貴族を大幅に排除して、王権の強化に努めた。また、地方に監察官の派遣を続けることで、王による支配を安定させた。重商主義によってフランスの財政再建にも成功、さらには貴族が介入しない軍の設立によって、王の力を強固にすることにも成功した。ルイ14世が政治に介入することで、フランスは着実に国力を増した。この頃にはルイ14世の代名詞とも言える建造物「ヴェルサイユ宮殿」の建築を開始する。地盤に問題があり、完成には20年も費やすことになった。

 

領土の拡大と最盛期

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ルイ14世はフランス王権を中心としたヨーロッパ体制の構築を計画していた。最初の標的はスペインであった。ルイ14世は嫁のマリー・テレーズがスペインの王妃だったこともあり、継承権を主張したことで、ネーデルラント継承戦争が勃発した。ルイ14世は自ら軍を率いてスペイン軍を退けた。この勝利にオランダを危機感を覚えて、イギリス、スウェーデンとの三国同盟を結んで、ルイ14世の動きを止める。ルイ14世はオランダを深く根に持つことになり、4年後にはイギリスに同盟を破棄させて、オランダに侵攻することになる。仏蘭戦争である。初めはフランス、イギリスとオランダの戦いだったが、イギリスが中立の立場を取るようになり、神聖ローマ帝国諸侯とスペインがオランダと同盟を結び参戦、フランスもスウェーデンを引き入れて規模がヨーロッパ全土に拡大させた。ルイ14世はオランダ征服と言う、当初の目標を達成することはできなかったが、フランスの威厳を強めることには成功した。

 

ルイ14世の力は最盛期を迎えることになる。その象徴とも言えるのは、「ヴェルサイユ宮殿」の完成である。死者まで出した過酷な建築には、巨額の資金を必要とした。ルイ14世は定期的に視察して、気に入らなければ何度でもやり直しをさせたと言う。完成と言っても、拡張工事を生涯続けることになるので、本当の完成はかなり先である。

 

大同盟戦争

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ルイ14世はハプスブルク家との長年の戦争で、ローマ教皇との繋がりを強めることを考え、カトリック教会の守護者になることを決めた。フランスはカトリック信仰の強化を唱えて、異端的キリスト、プロテスタントを力でねじ伏せて、カトリックへの改宗を強制させた。改宗に応じないプロテスタントは20万人にのぼり反乱が起こる始末であった。

 

1688年に大同盟戦争が勃発する。ルイ14世は神聖ローマ帝国の諸侯には弟の嫁に継承権があると一方的に主張した。これに神聖ローマ帝国、ドイツ、スペイン、オランダなどが同盟してフランスに対抗した。ルイ14世はイングランドを追われたジェームズ二世を庇護したことで、領土拡大の意図を顕にする。これに反応したのは、オランダである。フランスは幾度かの戦場で勝利を治めたが、国財は底をつき、フランスが有利の状況のまま戦争は終結することになった。

 

スペイン継承戦争

スペインのハプスブルク家最後の王カルロス二世は、長年の近親相姦によって、先天的に体が弱く、後継者も望めない。第一候補はオーストリアのハプスブルク家、神聖ローマ帝国のレオポルト一世だったが、スペインとオーストリアの合併を招くので避けられた。次の有力者はルイ14世だ。ルイ14世の嫁はカルロス二世と血縁が近ったが、継承権を放棄していた。なので継承権は第3候補のホセ・フェルナンドになった。しかし、ホセは6歳で急死することになり、ルイ14世は継承権はいいから領土を貰うと主張を始めたことで話がややこしくなっていく。しかし、ルイ14世はこのままではフランスはハプスブルク家に包囲されることに気付き、スペインを完全に物にすることを決断した。こうして1701年にスペイン継承戦争が始まった。ルイ14世の領土拡大に対抗して、イングランド、オーストラリア、ネーデルランド連邦共和国は大同盟を結んだ。当初フランスは優位に戦争を進めていたが、ブレンハイムの戦いで状況が変わる。この戦いでは、オーストリアの名将プリンツ・オイゲンがいた。オイゲンはフランス出身の貴族であり、ルイ14世の息子なのではと噂された人物だ。オイゲンに敗れたことでフランスは次第に追い込まれるようになり、戦争の長期化もあり財政が圧迫されることになる。同盟軍側もトップが亡くなったこともあり、講和条約が結ばれた。こうして、ルイ14世の領土拡大は終焉した。

 

太陽王の死

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1715年にルイ14世は壊疽の悪化によって亡くなってしまう。ルイ14世はフランス王権中心によるヨーロッパ支配に固執した。長きに渡る戦争はフランスの財政に大きな負担をかけることになってしまい結果的に国民は重税に苦しむことになる。ルイ14世の死を国民は歓喜して、葬列には罵声が響き渡った。ルイ14世は死際に幼い王子達を呼び出して、「私は数多くの戦争をしてきたが、私のようにはなってはならない」とアドバイスしたと言う。

 

最後に

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ルイ14世は官僚王とも呼ばれるくらい政治に力を注いだ。とても真面目で時間通りに起きては仕事をしてみたいなバリバリの働きマンだったようだ。部下にも同じようにしろと強制したとか。また、戦争、狩猟、女遊び、全てに置いて全力で取り組み休む日はなかったとされる。とんでもない超人だったみたい。

また、歯抜け王と呼ばれ、全ての歯を抜いてしまっていた。ちなみにハゲだったそうだ。