今回は日本三代怨霊について書いてみようと思いました。呪術廻戦の影響です。あんまり漫画を読む習慣はないんですが、個人的には鬼滅の刃よりは面白いと思う。それでなんで日本三代怨霊について書くかというと、主要人物である、五条悟と乙骨のご先祖様が、菅原道真なんだそうです。
日本三代怨霊と言う単語は、本編ではなく外伝でも出てきます。
と言うわけで、簡単に適当に解説できたらと思います。どうぞよろしくです。
日本三代怨霊とは
菅原道真、平将門、崇徳天皇の三人を指す怨霊。3人とも、壮絶な最後を迎えたことで知られ、政府に、もしくは国に対して恨みを持って亡くなった怨霊である。
江戸時代くらいになると、数々の創作に影響を与えた。
菅原道実(すがわら の みちざね)
845年〜903年
中級貴族で出身であるが、子供の頃から才覚の抜きでいた秀才である。特に文才においては父を出し抜いて代筆の依頼を受けていた。成長すると宇多天皇からも信頼されるようになり、息子の醍醐天皇に譲位すると右大臣となった。身分の低さなどもあり、嫉妬された道真はライバルの藤原時平に策略によって九州に左遷された。また、左遷された理由も醍醐天皇の地位を道真が別の人間に即位させようとしていると、大嘘だったりする。道真は二年後に亡くなった。それから五年後、道真を不幸に追いやった人物達が不審な死を遂げることになる。まず道真の弟子で左遷に加担した人物は、落雷で亡くなる。ライバルであった藤原時平は39歳の若さで急死した。これにビビったのが醍醐天皇である。息子、孫が若くして次々と亡くなっていくのだ。道真の祟りであると感じた醍醐天皇は左遷を命じた書物を破棄して、道真を右大臣の座に戻した。それでも祟りが続いたので、醍醐天皇は体調を崩して譲位した。
今では菅原道真は学問の神として祀られている。
平将門(たいら の まさかど)
???年〜940年
天皇の血を引く名家の出身であったが、身分を落とされた一族でもあった。それでも関東では有力な一族が平家である。若き日の将門は有力な権力者の家臣となって働いていた。30歳近くになると、京都から故郷である関東に戻った。将門が戻ってきたことで、一族間で争いが始まった。将門は一族を束ねて関東でもトップクラスの力を得ることになる。その後、藤原玄明と呼ばれる指名手配犯を匿ったことで、将門の人生は大きく変わる。政府が藤原玄明を差し出すことを要求するが、将門は拒否した。政府は将門を犯罪者と考え軍を差し向けた。将門はこれを退けて、関東に独立国家を立ち上げてしまったのだ。世紀の大犯罪者となった将門だったが、藤原秀郷の活躍によって討死にすることになる。その首は京都で晒されることになるのだが、何ヶ月経っても、目を見開き、歯軋りをしていたとか。さらには「俺の胴はどこだ」毎晩訴えったらしい。
戦国時代になると、逆賊は武士の強さであると武士の信仰対象になった。
崇徳天皇(すとくてんのう)
1119年〜1164年
まず、出生に問題があったとされる。父である鳥羽天皇の息子らしいが、その嫁は祖父である白河法皇の愛人だったのだ。なので白河法皇は孫を天皇として、自身が院政として実権を握ることにしました。鳥羽天皇はこのことを一生涯恨むことになります。
やがて祖父が亡くなると父が実権を握るようになります。父は崇徳天皇に弟を養子にやりました。これは父が院政となり、弟を天皇とすることで実権を握る計画の一つでした。崇徳天皇は自身が院政の立場になれると思っていたので譲位することになります。弟は近衛天皇となりますが、父の策略で崇徳は実権を失ってしまいました。
弟、父が続けて亡くなると、もう一人の弟ーー後白河天皇によって犯罪者扱いされることになります。なんでも崇徳天皇が国を傾けようとしている噂にのっかたそうです。やむおえず崇徳天皇は兵を率いることになりますが、惨敗して謀反人として讃岐に流されることになりました。崇徳天皇の死後、火災などの天災が相次、後白河天皇の周りでも急死が相次いだ。