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『KATANA』伝説の名刀と逸話10選

 

本日は日本が誇る伝統工芸であろう「刀」と、逸話を紹介していければと思っています。よろしくお願いします。

 

 

 

天下五剣

日本の歴史上では数多くの名刀が生まれました。その中でも史上最高の名高い5振り名刀を指す。

 

童子切

童子切安綱とも呼ばれる。平安時代の刀工である安綱による一振り。元々は「血吸い」と呼ばれる刀だった。源頼家が酒呑童子の首を切り落としたことから、「童子切」と呼ばれるようになった。江戸時代には、試し斬りで6人の罪人の遺体を一度に切断することができたと、その桁外れの切断力は証明されている。室町時代には足利家が所有していた。豊臣、徳川と代々トップの一族が所有を続けてきたようだ。明治に入ると松平家の家宝となり、現代では国宝に指定されている。

 

鬼丸

鬼丸国綱。鎌倉時代に製造された不吉な太刀。元々は北条家に家宝であったが、元寇の乱によって新田義貞の手に渡る。新田も足利尊氏の反旗によって斯波高経に殺害されて、鬼丸は斯波高経が所有となる。それが斯波高経と足利尊氏が争うと、降伏の条件として尊氏に鬼丸と差し出した。その後は足利家の重宝となるが、織田信長、豊臣秀吉と所有者は変わっていく。徳川家にも渡ることになるが断った。この時代にもなると所有者が次々と没落する不吉な太刀として、嫌悪されていた。最終的には皇室の所有となり現代も皇室の私有財産となっている。しかし。天下五剣のうち鬼丸だけが、国宝にも重要文化財にも指定されていない。呪われた刀と言える。

 

 

三日月

三日月宗近。平安時代の名刀。最古の日本刀とも呼ばれている。直刀から反りのある日本刀に変化する時代の代物で、天下五剣のなかで最も美しい刀であると称される。永禄の変では時の将軍である足利義輝が1万の軍で囲まれて、収集していた刀を畳に刺して応戦した。血で刀が汚れると別の刀に切り替えて、30人を斬り伏せたと言われる。三日月宗近は首謀者の一人であった三好の手に渡った。三好から豊臣へ、徳川に渡る。明治時代なると徳川家は財政困難となり三日月を売却したことで行方がわからなくなった。その後、後にスバルとなる会社の2代目中島喜代一が所有していたことがわかった。喜代一は刀の愛好家で大切にしてたが、GHQが日本刀の没収をすることを聞いて刀を譲った。現代は東京国立博物館に展示されている。

 

大典太

平安時代に三宅典太光世によって制作された。室町時代の将軍足利尊氏の愛刀「二つ銘則宗」と「鬼丸国綱」と並んで足利家の重宝となったとされる。その後に豊臣家に渡ることになった。大典太には病気の治療の効果があると言われている。前田利家は娘が病にかかると、枕元に大典太を置いて寝かせた。すると三日にして病が治った。豊臣秀吉に大典太を返却するが、娘はまた病になり、また借りることになる。見かねた秀吉が正式に譲ったそうだ。それ以降は前田家の家宝となり、現代でも前田家が管理している。

 

数珠丸

鎌倉時代に青江恒次によって作られた。僧で日蓮が刀の美しさに惚れて、数珠を巻いて破邪顕正(邪を討ち滅ぼして正しくする)の太刀としたことで数珠丸と名付けられた。日蓮が杖代わりに山を登ると転ばなかったなどの逸話も残っている。日蓮が亡くなった後に刀の行方がわからなくなった。説は色々あるが1600年から1700年の間に刀は紛失したが、200年後の1920年に刀の研究をしていた杉原祥造が競売品から偶然にも見つけた。当時は新聞社が大々的に報じたことでかなり話題になったようだ。

 

骨喰藤四郎

骨をも噛み砕くような一撃から骨を喰らうと言われた刀。元は薙刀だったそうだ。イエスズ会ジョアン・ロドリゲスは日本教会史で「軽く降っただけで、大根を切るように人体が切れた。まるで骨を丸呑みにするかのような一振りだった」と述べている。

 

 

にっかり青江

南北朝時代に青江派によって作られた刀。名前の由来は幽霊を斬ったからである。とある武士が道を歩いていると、にこりと笑う幽霊に出会した。異形であることは直感でわかった武士ではあったが、刀で斬り伏せたという。翌日に幽霊と出会った場所に行くと、お墓が真っ二つになっていた。この逸話から「にっこり青江」と呼ばれるようになった。

 

雷切

元は千鳥と言う名の刀であった。立花道雪は半身不随になりながらも、雷神(雷)を斬り伏せた。この伝説から千鳥は雷切丸と呼ばれることになる。立花道雪の死後に雷切は養子である立花宗茂の所有物となり、大切に保管された。現存する雷切を観察すると、刃の一部に変色が見られるようで、もしかしたら本当に雷に打たれたのかもしれないと言われている。

 

猫丸

菅原道真が自らの手で鍛え上げた神刀。刀身に触れた猫が真っ二つになったことから、猫丸と名付けられた。菅原道真は平安時代の貴族で政治家だった。才能に恵まれていて、若いうちから活躍をした。ところがその活躍を根に持たれて左遷されてしまう。その後は政務を禁止されて、2年後には命を落とした。死後に道真の左遷に関わった人物が次々と亡くなったことで祟られたと恐れられることになる。そんな猫丸だが、神格化されることになる道真の刀と言うことで、神刀とされているようだ。

 

破邪の御太刀

世界最大級の日本刀。約345センチで2畳ほどの大きさの刀である。幕末に長州藩の志士たちによって、破邪顕正の太刀として製作された。打ったのは藤原国綱で、5人の門弟と2人の助手で、1112キロの砂鉄から鍛えた。焼入れの際に川の流れを堰き止めたと言う。昭和初期には祭で若者30人がかりで、担いでしたとか。現在は花岡八幡宮で保管されている。

 

 

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