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世界のジャンヌダルク10選 

 

 

 

 

そもそものジャンヌ・ダルクとは?

 

百年戦争の後半に突然現れたフランスの英雄。「オルレアンの乙女」と呼ばれた。平凡な農民の子供であったが、神の啓示を聞きフランス軍に入隊した。軍人になってから男装を貫いた。それは強姦を防ぐためであったと言う。共に戦った軍人の証言によれば、女性と認識していたが全く違う存在に思え手を出す男はいなかったと言う。戦場では指揮を取り、兵士を鼓舞した。最期は敵軍に捕まり火刑に処された。

 

今回はそんなジャンヌ・ダルクの異名を受け継いだ世界の女性英雄たちをご紹介していこうと思います。

 

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徴姉妹(ちょうしまい)

(??〜43)

 

ベトナムのジャンヌ・ダルクだけどジャンヌダルクよりもずっと過去の姉妹。豪族であった徴姉妹はベトナム北部にまで勢力を拡大していた後漢に対して反乱を起こした。漢軍は20000の軍を率いて進軍を開始するが、悪天候や疫病によって想像よりも苦戦することになり、大敗することになった。徴姉妹は逃れ続けるが、漢軍の猛追についに捕らえられた。姉妹は揃って処刑された。

 

鶴姫

(1526〜1543)

 

日本で実在したとされる「瀬戸内のジャンヌ・ダルク」。大祝家の娘で、彼女の一族は村上水軍と呼ばれる海賊集団を傘下にして、瀬戸内を守護していた。村上水軍と言っても3つに別れているようで、別の勢力が侵攻を開始したのだ。兄が戦死したことで鶴姫も勇敢に戦うが、戦いの中で恋人を含めて多くの仲間が亡くなり、降伏することが決まる。彼女は最後の悪あがきで夜襲を決行して、成功させたが命を落とした。

 

 

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ゲッシェ・マイブルク

(1581〜1617)

 

ドイツのジャンヌ・ダルク(ブラウンシュヴァイクのジャンヌ・ダルク)。ブラウンシュヴァイクは以前から攻撃を受けていた。13回目にして最大の危機が訪れる。砦からの砲撃で住民への被害は最大にまで膨らんだ。防衛軍の活躍も期待できない。敵軍が市内に突入したことによる乱戦。絶対的な危機となる。そんな中で現れた救世主こそが、ゲッシェ・マイブルクだ。市民は女性を含んで戦うことを決断した。その中でも孤軍奮闘の活躍をしていたゲッシェ・マイブルクは剣とマスケット銃を持って、防戦に努めた。仲間たちを鼓舞しながら戦う姿に敵軍からも恐れられた。500発の銃弾が当たらなかったことから不死身であると評された。

 

 

マリア・キテリア

(1792〜1853)

 

ブラジルのジャンヌ・ダルク。マリア・キテリアは男装してブラジル独立戦争に参戦した国民的英雄。1822年に父に反発して軍隊に入隊した。ポルトガルとの戦いは故郷にまで及んだことで、父に入隊したことが発覚してしまう。父に勘当されることになるが、後にマリアの兵士としての実力を認めた。独立戦争ではマレー島の防衛に参加した。歩兵を率いたマリアは、ポルトガルの捕虜を獲得するなど、勝利に貢献した。マリア・キテリアは皇帝から直々に評価されることになり、ブラジルでは国民的な女性英雄に数えらることになる。

 

エミリア・プラテル

(1806〜1831)

 

リトアニアのジャンヌ・ダルク。11月蜂起に参加した女性の軍人。幼少期からジャンヌダルクなどの女性の軍人に憧れていたようで、11月蜂起が始まるとゲリラ軍を募った。髪を短くして、軍服を着用して、志願兵を武装させた。蜂起に参加していくが、エミリアは病気になってしまい、そのまま亡くなった。

 

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ラクシュミー・バーイー

(1835〜1858)

 

インドのジャンヌ・ダルク。インドの大反乱で活躍した国民的な英雄。王妃であったが、夫である王が亡くなり、後継ぎも産んでなかった。ここをイギリスに突かれて王国は吸収されることになり、ラクシュミーは国を去ることになった。数年後にインドの大反乱は起こると私財を投じることで、義勇軍を結成してラクシュミーはイギリスの拠点を攻め落としていく。無血で城を落とすことに成功するなど、活躍を見せていくが、大軍であるイギリスに次第に押されるようになり、戦いの果てに戦死した。 

 

 

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川島芳子

(1906〜1948)

 

満洲のジャンヌ・ダルク。日本のスパイとして活動した清の王族。生まれは清の北京で8歳の時に日本人の養子となり、日本で教育されるようになる。17歳の時にピストル自殺を図るが失敗して、それ以降は女を捨て、男装するようになる。男装の麗人と呼ばれるようになった。アイドルのような人気だったとか。その後は田中隆吉と諜報活動をスタートする。満州事変が起こると皇后の逃亡を援助、上海日本僧侶襲撃事件を立案して実行した。これらの諜報活動を成功させたことから「東洋のマタ・ハリ」「満洲のジャンヌ・ダルク」と呼ばれた。

 

マリア・ボチカリョーワ

(1889〜1920)

 

ロシアのジャンヌ・ダルク。第一次世界大戦で活躍したロシアの軍人女性。農民の生まれであった彼女は、第一次世界大戦が勃発すると、マリア女性でありながらも軍人となった。やはり男社会が根強い軍で、彼女は性的な嫌がらせもされることがあったようだが、何度も負傷してもめげずに立ち向かう姿勢に誰も評価するようになる。マリアは女性だけで編成された女性部隊を任されることになり、ロシア初の婦人部隊「婦人決死隊」が誕生した。ロシアは革命の時代に突入することになり、混乱の中で婦人決死隊は解散を余儀なくされることになり、マリアは国外に亡命することになる。帰国したマリアは再び婦人の軍を組織することを決めたが、捕らえられてしまい銃殺された。

 

新島八重

(1845〜1932)

 

幕末のジャンヌ・ダルク。会津戦争が始まると、銃と刀を持って戦った。会津藩の砲術師範の父がいて、剣や重火器には幼少期から慣れ親しんでいたようだ。会津戦争が開戦すると、婦女隊に参加しないで、男装して砲術を使って戦った。籠城戦になると、銃と剣を持って戦う事になる。激しい戦いの果てに敗北することになるが、新島八重は生き延びて、86歳で亡くなった。

 

ジャンヌ・デ・アルモワーズ

偽のジャンヌ・ダルク。本物のジャンヌ・ダルクが処刑された後に、各地に偽物のジャンヌ・ダルクが現れた。その中でも最も有名なジャンヌがアルモワーズです。正体はただの農婦だったとか。

 

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