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『ローラ・セコード』米英戦争で功績を讃えられたカナダの女傑

 

今回紹介するローラ・セコードは戦場で活躍した英雄というわけではありませんが、彼女の活躍によってカナダ軍はアメリカ軍に勝利することができたとされる。90年代に入ってから女性歴史家によって認知されるようにカナダで国民英雄となったようです。

 

生い立ち

 

ローラ・セコードは1775年にイギリス領であったアメリカのマサチューセッツで生まれました。ローラの父であるトーマス・インガソルはアメリカ独立戦争に参加した兵士でした。8歳の時に生みの母が亡くなり、父は再婚したが、妻は早世。三回目の再婚も果たしたが、これも早世。ローラは13歳までに三人の母を失ったことになる。

 

1795年に父のトーマスは破格の条件で土地を得られるカナダへの移住を決めたので、ローラも移住を決めた。その2年後には、2歳年上の商人であるジェイムズ・セコードと結婚した。しかし、夫のジェイムズは商才に関してあるとは言い難く、多額の負債を背負った。ローラの所有する土地までが、売買しなけれがならない状況になってしまった。

 

米英戦争

 

1812年にナポレオン戦争が激化するなかで、アメリカはイギリスへの宣戦布告を宣言した。このことでイギリス領であったカナダに侵攻されることになる。カナダにはアメリカからの移住者が多くいたが、イギリスとの繋がりを強くして、カナダ人としての意識を高めることになった。

 

カナダ軍はアイザック・ブロック少将の活躍で、大軍であるアメリカ軍と優勢に戦えていた。アメリカ軍の兵士を1000人捕虜にしたが、ブロック少将が戦死したりと、戦いは熱を帯びていく。そんな中で戦争に参加していたローラの夫であるジェイムスが負傷した。ローラは戦場に駆けつけた。

 

夫と家に帰宅したが、既にローラの町はアメリカ軍に占拠されていた。ローラの家もアメリカ軍の兵士の宿となり食事の準備を強制させられた。そんな中で、アメリカ軍は奇襲を計画していることをローラは聞いた。誰かが伝えなければならない。夫は負傷をしている。最初は他の地区に住む親戚を頼るつもりだったが、その親戚は負傷していたので、ローラが自らいくしかないと状況になる。

 

ビーバーダムへ

 

先述した通りにローラは最初に親戚に家へと向かった。雌牛の乳を絞ってアメリカ軍の警戒を解いたと言われている。そんな感じビーバーダムへの道のりはかなり険しい物だったようだ。アメリカ軍に見つかるわけにはいかないので、舗装された道なんて御法度だ。森や沼などの険しい道を選択するしかなかった。最初は姪も同行していたが、早々に脱落した。ローラは一人で行くしかなかった。

冒険の終わりに差し掛かったところで、インディアンと遭遇してしまう。インディアンを説得して、助力を得たローラはビーバーダムへと到着したのだった。二日間に渡る冒険だったようだ。軍はボロボロの夫人でくたびれた夫人に不信に思うことなく、ローラの話を信じて、アメリカ軍を迎撃する準備に取り掛かった。こうして開戦したビーバーダムの戦いは急襲するはずだったアメリカ軍は待ち伏せされることになる。さらにはインディアンの加勢もあり、カナダ軍は大勝したのだった。

 

その後

 

戦争が終結しれローラは普段通りの生活に戻った。功績が認知されることなく時間が過ぎていったが、1841年に夫が亡くなると、ローラが塾の運営や著作活動をするなど社会の表舞台に出るようになる。活発な活動によってローラの功績が次第に浸透していく。1860年に85歳のローラは功績を認められて、イギリスのエドワード7世から報酬を受け取った。1868年にローラ・セコードは93歳で亡くなった。

 

死後に歴史家によってローラの活躍が浸透すると、カナダ国民的な英雄となる。20世紀になると、彼女の名前はチョコレートブランドの名前に採用されるようになり、現代でも彼女のチョコレートはカナダで人気のようだ。