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『ポーラ・サラバリエータ』コロンビア独立に貢献した女スパイ

ポーラ・サラバリエータはコロンビアがスペインからの独立を果たすために、王室で働いて情報を得た。諜報活動が明るみになり、彼女は絞首刑となるが、恐れることなく仲間達を鼓舞したという。今回はコロンビアの英雄であるポーラ・サラバリエータを紹介していこうと思います。

 

 

 

生涯

 

幼少から青年期

 

本名はポリカルパ・サラバリエータで愛称はラ・ポーラ。(ポーラで統一しようと思います)ポーラは1795年にコロンビアの中部地方で生まれた。上流貴族だったので裕福だったと思われる。幼少時代に過ごした家が、現代は博物館になってるので、立派な自宅だったことは間違いない。1802年に天然痘が流行したことで、家族はバラバラになる。この期間のポーラについては不明な点が多い。仕立て屋で働いていたとか、教師をしていたとか、いろんな情報が錯綜しているがよくわかっていない。

 

革命まで

 

1810年にコロンビアがスペインからの独立を運動を開始した。ポーラが住んでいた地域は6年後の1816年に革命運動は鎮圧されてしまう。ポーラは兄と共に革命運動に参加していたが、降伏を余儀なくされる。表立っての活動はできなくなったが、ポーラは仕立て屋として、裕福なスペイン貴族やスペイン王室で働くようになった。ポーラはすでに革命家として知られていたが、別の地域ではまだ知られてない。スパイとして情報を集めることが容易だった。敵軍の計画や活動地域、地図情報、主要な王党派、革命家を特定した。また革命に賛成する男を募って、反乱に必要な兵力を集めていた。

 

逮捕される

 

ポーラが着実に任務を遂行していた。革命家のリーダーが逮捕されると脱走の手伝いをしたことで、ポーラの存在が知れ渡ることになり、芋づる式に逮捕されることになる。1817年に逮捕されたポーラはスペイン王室崩壊の罪で、処刑されることが決定される。処刑される日にポーラは恐れを見せることなく処刑場に歩いて向かったと言う。そして大勢の群衆に向かって演説をした。スペインの圧政に対する反感、私の死が火種になることを祈ると、コロンビア人達を鼓舞した。このような壮絶な死に様からポーラはコロンビアの国民的な英雄となった。1819年にコロンビアの独立が認められるまでの間に、50人近い女性諜報員が亡くなることになる。

 

1910年にコロンビアの独立100周年でポーラの肖像はシモン・ボリバルなどの英雄達と共に切手になった。

 

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