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【女英雄】戦場で活躍した歴史上の女性 女傑10選

 

今回は女傑とも呼ばれる、世界の女英雄達を厳選して10人ご紹介していこうと思っています。最初は女王とかも混ぜて20人くらいもありかと思いましたが、それはもっと別でやろうかと思います。

 

調べてみて思ったのですが意外にも女傑って結構いるもので驚きました。最後の一人は「女?」と思っても今回は女ということでよろしくお願いします。

 

ジャンヌ・ダルク

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フランスの英雄で「オルレアンの乙女」と呼ばれた。平凡な農民の子供であったが、神の啓示を聞きフランス軍に入隊した。軍人になってから男装を貫いた。それは強姦を防ぐためであったと言う。共に戦った軍人の証言によれば、女性と認識していたが全く違う存在に思え手を出す男はいなかったと言う。戦場では指揮を取り、兵士を鼓舞した。最期は敵軍に捕まり火刑に処された。

 

 

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クレオパトラ

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絶世の美女と言われたエジプト最後の女王。弟と結婚して共同でエジプト王に即位した。クレオパトラはローマとの関係を良くしようとしていたが、弟はローマからの独立を望みクレオパトラの追放を企てた。それでクレオパトラはカエサルを誘惑して、エジプト王に返り咲いた。その後カエサルが暗殺されてしまい再び追い詰めれた、果てに自殺した。実際に美女だったかはわからないようですが、クレオパトラの最大の魅力は知性とそれを証明する話術だったという。

 

 

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ゼノビ

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自らをクレオパトラやセミラミスの後継者と自称したパルミラの女王。三世紀頃のローマは各地で反乱が起きてしまい、混乱していた。半独立国家であったパルミラの女王ゼノビアは「ローマを守る」と言う名目で各地に進軍して領土の拡大を図った。ゼノビアは、戦場で自ら指揮を取る勇敢な女王で「ウォリアークイーン」と呼ばれた。ローマ皇帝に就任したアウレリアヌとの戦いに敗北して、パルミラ王国は崩壊してしまった。

 

 

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ブーディカ

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ケルト人イケニ族の女王で現代のイギリス辺りを治めていた。背が高く、腰下まで伸びた赤い髪を持ち知性溢れる女性だったと言う。夫の死に乗じて王国を乗っ取りローマ帝国に対して大規模な反乱を起こしたとされる。反乱を起こした理由としては、ローマ支配下では王の称号を受け継ぐことはできないとか、ローマが戦争を起こしたら援軍を提供するとか、他の国家との同盟禁止とか、不自由が多かったからだ。当時の皇帝ネオが率いるローマ軍に勝利したブーディカでしたが本気になったローマに大敗北して、責任から服毒自殺したそうです。知名度はそんなになかったようですが、ヴィクトリア女王の時代に「偉大な女王」として再評価された。

 

 

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セミラミス

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世界七不思議の一つ「バビロンの空中庭園」を建築させたとされるアッシリアの伝説上の女王。なので実在はしない人物です。美貌と英知を兼ね備えた女王であり、残虐な一面も持っていた。その代表的なエピソードが夫を毒殺したことだろう。もし彼女が実在するなら、世界最古の毒殺事件になる。女王として長く君臨していたが、息子の離反を聞き王位を譲り、62歳で亡くなった。

 

 

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キュナネ

 

アレクサンドロス大王の姉で自ら軍を率いて敵将を討ち取ったこともあるくらい、勇敢な女戦士だった。アレクサンドロス大王がキュナネの意思を確認することなく他国に嫁がせたら、夫になるはずだった人物が不可解な死を遂げたと言う。どうやら結婚を嫌がったキュナネが毒を盛ったとか。それ以降アレクサンドロス大王はキュナネの意思をしっかり聞くようになった。アレクサンドロス大王が急死したあとキュナネは娘を通して帝国の実権を握ろうとしたので、暗殺された。

 

カラミティ・ジェーン

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アメリカ西部開拓時代のガンマンで、別名は平原の女王。長きに渡るインディアンとの戦いに参加していた。6人兄弟の長女で家族を食わせるために、斥候(最前衛で現場の監視をする少数兵)の仕事をしていた。除隊したあとは射撃や商売などのショービジネスをしていた。自伝があるのですが、誇張されている部分もあるので、どこまでが真実かはわからない。

 

巴御前

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源平合戦で活躍した女武将で、源義仲の側室。色白の長髪で容姿に優れていたが、男を上回る武芸と確かな実力を持っていた。なかでも弓術に長けていて、源平合戦では有力な武将の一人として戦った。義仲とは幼少の頃からの仲で共に武芸の鍛錬をする仲でもあった。

 

甲斐姫

 

安土桃山時代の女性で豊臣秀吉の側室だった。父が小田原城不在のときに、城を守り抜いたと言う逸話を残す姫。東国無双の美人と評される美貌を兼ね備えていたと、同時に軍事や武芸にも精通していた姫で「男子であれば天下に名を成す人物になっていた」と評価される人物であった。城に二万三千人の豊臣軍が侵攻してきたときは、水攻めをしたり、自ら鎧兜を被り勇敢に戦い誰よりも敵を討ち取った。

 

上杉謙信

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最後にご紹介するのは上杉謙信です。「男」ってことになっていますが、女説が結構有力なので今回は女としてご紹介していこうと思います。名だたる英雄が一同も競い合った戦国時代でも、戦が特に上手く「軍神」「越後の龍」と恐れられた。内乱続きであった越後を統一して、北条氏康や織田信長やらと戦をして勝ち星を積んだ。なかでも武田信玄とは5回も川中島で戦った。肖像画は別人、婦人病で亡くなった、女性らしい着物を着ていた、結婚はしないし、子供もいなかったとか、女性だったじゃないか?みたいな説がわりと説得力がある。

 

最後に

 

ここまでお付き合いいただきありがとうございます。上杉謙信って男やろうと思ったかたは正解だと思います。

そんなに真新しい記事ではなかったですが、最後までご覧いただきありがとうございます。