そういえば日本の実力派バンドであるJanne Da Arcが正式に解散を発表しました。Janne Da Arcのなかでは、Z-HARDっていうアルバムが僕は好きで、今でもたびたび聞きていました。まあ、十年近くこれといった活動はしていなかったので、しかたがないことだと思いますが残念でなりません。
と言うわけで、今回は「オルレアンの乙女」ジャンヌ・ダルクを解説したいと思います。ジャンヌ・ダルクは漫画、映画にも幾度も登場する人気のある英雄です。十代の少女でありながら、英雄と呼ばれ短い人生となった聖女を、なるべく簡単に解説していきたいと思います。
どうぞ。よろしくお願いします。
基本情報
(1412〜1431)
オルレアンの乙女と呼ばれたフランスの聖女。フランスは百年戦争によって停滞していた。国家の存続も危ぶまれるような事態と言えた。そんな中で救世主のごとく現れたのが、ジャンヌ・ダルクだ。ただの農民の娘であったジャンヌは、神のお告げを聞いて、フランスを救い、シャルル皇太子を即位させると言い切った。これを面白と思ったシャルルは彼女を同行させる。期待通りにオルレアン開放をすることに成功させて、シャルルをフランスの王に即位させたのだ。しかし、続く戦いの最中で捕虜となり、ジャンヌは魔女として糾弾されることになり、火炙りにあった。
異名
オルレアンの乙女、魔女
逸話
・神のお告げを聞いた。幻聴だと思ったがくどいから折れた
・フランスが敗北する事を予言した。シャルルを口説いた
・魔女として死刑となる。最期まで十字架に願うような狂信的な教徒だった
年表
生まれ
ジャンヌ・ダルクは、1412年1月6日頃にフランス東部のドンレミ村で、農家の子供として生まれたとされています。ジャンヌの両親は20ヘクタールほどの土地を所有していたと言われているので、富農であったとされる。ジャンヌは宗教心が強い以外に、取り立て特殊な才能があったわけではない、明るい子に育った。そう。普通の農民なのだ。本来なら歴史の表舞台に現れるような人物でありませんでした。
しかし、ジャンヌの運命は「神の声」を聞いたことで変わりはじめます。12歳の頃、三人の神と出会い「イングランド軍を駆逐して王太子シャルルをフランス王にせよ」とお告げを受けました。当時のフランスはイングランドとの長い戦争で窮地に立たされていました。ジャンヌはお告げに従い、処女を守る誓約を近い、ラ・ピュセル(処女)を自称する。そして自身が戦争に参加して、フランスに勝利を捧げることを責務に感じるようになった。
実はこのときジャンヌには婚約者がいたのですが、結果的にその相手を捨てることになる。それで裁判を起こされるのですが、ジャンヌは「結婚の約束なんてしていない」と言い張って裁判に勝っている。
シャルルとの面会
とは言え、一介の農民が戦争に参加するどころか、シャルルに会うこともできません。そこでジャンヌ・ダルクは叔父の嫁さんの出産を手伝う名目で、都市部に訪れることになった。そこで守備隊長をやっていたロベールと出会いかなり無理を言って、シャルルと面会する機会を与えて貰ったのでした。このチャンスを物にしたジャンヌは戦争に参加することになるのですが、どのようにしてシャルルから信頼を得たのかわかっていません。一説では、変装したシャルルを見極めたとか、不義の子と言われていたシャルルを鼓舞したとか。どちらにしてもジャンヌ・ダルクはオルレアン包囲戦に参加することなります。
オルレアン包囲戦
オルレアンは半年以上もイングランド側が優勢でしたが、ジャンヌダルクが戦場に加わると僅か9日間でイングランドによる包囲を崩壊させました。その後も、フランス軍はイングランド軍に連勝、見事にシャルルを即位させることに成功しました。ジャンヌ・ダルクはオルレアンを解放させたことから、「オルレアンの乙女」と呼ばれることになります。どうしてジャンヌ・ダルクが一人が介入した事でフランスが連勝することができたのか。それは圧倒的なカリスマ性と脳筋である。戦争に参加することになったジャンヌでしたが、ともかく戦わせろとうるさいくらいに進言した。あまりにもうるさいので会議から外されたジャンヌであったが、オルレアンで演説をして民衆から信頼を勝ち取っていく。そして民衆をその気にさせた。ある日、ジャンヌが昼寝をしていると、民衆が勝手に動いてイングランド軍に攻撃を開始したのだ。当然のように勝てるわけがない。なんなら負ける寸前までいくが、遅れて登場したジャンヌ・ダルクを見ると民衆はこれまでの負けムードを跳ね除けて、再び奮い立った。そして勝ってしまう。ジャンヌ・ダルクがいるだけで、民衆は最強になるのだ。あくる日も、戦いが夕方に差し掛かり、両軍はお開きモードになる。ジャンヌも徹底を考えるが、戦線に旗を忘れたので取りに帰った。その様子を見た味方は「ジャンヌがまだ戦う」と勘違いして、そのまま延長戦に突入したのだ。このようにジャンヌの存在は味方にとって、最強のバッファーだったのだ。
シャルルを王位につかせたジャンヌでしたが、首都であるパリはいまだにイングランドのものでした。ジャンヌはパリ奪還のために再び戦場に向かい、あくまでも戦いで勝利することを目標としましたが、シャルルは戦を控えて外交で決着をつける考えであった。次第にシャルルにとってもジャンヌは扱いにくい存在になっていく。この頃のジャンヌは、神のお告げすらも聞けなくなっていたという。それで、落馬して敵軍の捕虜になってしまいます。シャルルはジャンヌを助けようと多少は動きますが効果はなく、ほぼ諦めたと言ってもいいでしょう。
そして火炙りへ
ジャンヌの身柄はイングランド軍に引き渡されて、裁判にかけられます。罪状はめちゃくちゃなもので、文字が読めないジャンヌは、デタラメなサインをさせられたそうだ。そのなかには男装していたことを咎められる内容があって、終身刑となったジャンヌは男装することを禁じられることになります。女性の姿で独房で過ごしていると、男に乱暴されるようになった。ジャンヌは次第に精神的い追い詰められてしまい、禁じられていた男装をして、身を守る選択をした。しかし、このことが問題となってしまう。養護する声もありましたが、再び罪を犯したとして、ジャンヌは死刑判決を受けた。
1431年、5月30日にジャンヌは生きたまま19歳と言う若さで火刑という残酷な刑に処せられました。
戦場でのジャンヌ・ダルク
戦場でのジャンヌダルクは髪を短く切り、男装して甲冑を身に付けていたとされます。これには女性と思われないようにする意味があり、「性的な対象にならない」配慮とされています。また、剣よりも旗を持つことを選び、味方を鼓舞していました。現代の研究者のあいだでは、ジャンヌは優れた戦術家であったのという考えがあり、だからこそフランス軍の奇跡的な逆転を可能にしたとされています。
さいごに
フランスの英雄ジャンヌ・ダルクは少女でありながら、英雄となりました。しかし、その最期は母国、信じた神にも裏切られた悲劇的な結末でした。また、ジャンヌが神を見ることができたのは、感染症だったなどの病気であったことが有力であるそうです。