チキンのネタ倉庫

誰かの役にたったらいいなぁ、とゆるめなブログ

『サディ・ザ・ゴート』ニューヨークの川に君臨した水辺の女王

 

19世紀のニューヨークで強盗に遭う事なんてよくある事でした。その中でもゴート(山羊)と異名を取る女性がいた。通行人にの腹部に頭突きをして怯ませると、仲間が石を側頭部に当てて、気絶させる。その間に身に付けていた物から貴重品が盗まれていたと言う。彼女の名前はサディ・ザ・ゴート。後に「ウォーターフロントの女王」「水辺の女王」と呼ばれる、人に恐れられる組織のトップになるのです。

 

今回はニューヨークの女海賊サディの生涯を簡単に紹介していこうと思います。

 

 

 

生まれ

 

サディ・ザ・ゴートの本名はサディ・ファレルで、1860年の頃にイーストリバーのスラム街で生まれたとされています。スラム街で盗みのプロに囲まれて育ったサディが強盗を仕事して選ぶことは必然的だった。1869年にはサディの名前は有名になっていたようです。前述しましたが、サディは小柄だったので屈強な男と手を組みました。酔っ払いや通行人を見つけると、サディは全力疾走で頭突きをしました。その技術は高く、正確に相手の急所を捉えることができたようです。サディの頭突きで悶えていると、仲間の男が側頭部に強烈な一撃をかましたそうです。手際が良く、多くの被害者を出したので、彼女の所業は広まり、ゴート(山羊)と恐れられた。

 

耳を失う

イーストリバーから2ブロック先にあるとあるバーで、盗みを働いたサディでしたが、そのバーの用心棒であったマグに見つかってしまいます。マグは180センチを超える大柄の女性であり、ヘッドロックで相手を固定すると、相手の耳を噛みちぎっていた。それで耳をアルコールにつけて飾っていたようです。こんな逸話を残す相手にサディが勝てるわけがありません。ボコボコにされたサディでしたが勇敢にも何度も立ち向かったが、例に漏れずに耳を噛みちぎられてアルコールに付けられた。

 

リーダーとなる

屈辱的な敗北に喫したサディはイーストリバーにいられなくなり、ウイストサイドに活動拠点を移しました。ある日。いつものように強盗を働くことを計画して、街をウロウロをしていると、小さな船に乗り込もうとして失敗するグループを見つけます。彼らはチャールトン・ストリート・ギャングと呼ばれる無能な犯罪集団でした。船に乗り込んで強盗するつもりだったようですが、返り討ちにあったのです。サディは彼らに近づいて、知恵を与えました。

 

ギャングはサディの助言を聞いたことで、数日後には大きな船を獲得した。さらには大きな川の周辺の集落を襲うことで、成果を上げていきました。貧しい農家や裕福な家まで、サディはリーダーとしてギャングを率いて、貨物船なども襲うようにもなったようです。僅か数ヶ月で多大な戦利品を得たサディとギャンググループは、瞬く間に有名となりました。

 

とは言えいいことばかりではありません。サディとギャングの被害にあった住人は力を合わせて討伐隊を結成したからです。警察も要請に答えたことで、川周辺はかなり警戒されるようになり、ギャングは強盗をしようとするなら、多くの死者が出るようになった。このような状況ではさすがに、手を出せなくなったサディはギャングを解散しました。

 

その後

海賊を解散したサディは稼いだ財産で、酒工場を開いたのでした。その後のサディの活動は伝説的となり「ウォーターフロントの女王」と呼ばれるようになったようです。イーストリバー戻ったサディは、かつて敗北に喫して、人生の転換点となった人物であるマグと出会います。マグが働いていたバーは警察によって閉鎖されたようで、二人は以前のように歪み合うことはなく、仲良くしたようです。サディも耳を返してもらったのでした。