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『へティ・グリーン』ウォール街と魔女と呼ばれた世界一の金持ちでありケチ

 

ウォール街の魔女。予知能力とも呼べる経済を読み解く力によって、ヘティ・グリーンは、生涯で12億ドル(現代価値)の財産を築いた。それでも彼女はボロボロの衣服を着て、安いアパートに住んでいたのだ。治療費をケチっていたことでも有名で、あまりにもお金を使わない吝嗇的な生活をしていたので、ギネスブックにもケチであると、記載されることになった。つまり世界一のケチであると、不名誉な記録を打ち立てしまった。今回はそんなケチと金融界の魔女としての一面を持つへティ・グリーンの生涯を簡単に紹介していこうと思います。

 

生涯

 

へティ・グリーンは1834年にアメリカのマサチューセッツ州で裕福な家庭の子供して生まれた。父は捕鯨と中国貿易を生業にすることで財を成した実業家で、彼女も商才を学んだと思われる。また弟が幼くして亡くなったことで相続人となった。また一族はクエーカー教(キリスト教のプロテスタント派)を重んじていたので、質素と倹約が根付いた。商才とクエーカー教。相反する性質を幼い頃から当たり前に教育されたことが、へティと言う女性の本質を形成していった。

 

1860年に母が亡くなったことを皮切りに、ニューヨークへと拠点を移した。5年後には父と叔母が亡くなったことで、1千万ドルを相続する事になる。1867年には裕福な貿易商人であったエドワード・グリーンと結婚した。結婚するときにへティ・グリーンは互いの財産には一切関与しない制約を結ぶことになる。これはのちに夫が財産を失うことになっても、実際に干渉しなかった。イギリスで過ごしたいと後に、ニューヨークに戻る。この間に女の子一人、男の一人を授かった。家庭的に過ごすかと思うが、彼女は財を増やすことに専念することになり、忙しくなっていく。

 

アメリカに帰国したへティはウォール街の不動産や、株、債権を買い付けて財産を膨れ上げていった。へティ・グリーンは投資について極めて判断力が高く。まるで未来を知っていたかのように、投資の売買を行っていたと思われる。この経済を読み解く才能は、1907年の恐慌をいち早く嗅ぎ付けて、難を逃れた。多くの投資家が転落していく中で、へティは財産を失わなったことで、「ウォール街の魔女」と存在感は高まった。相続した一千万ドルは死際には1億ドルまで膨らませた。

 

へティ・グリーンの成功の裏で夫であるエドワード・グリーンは、1885年に破産している。結婚の際の契約の通りに、互いの財産に関与はしなかったのでへティが夫の負債を肩代わりすることはなかった。生涯を通して夫を金銭的にも養うことになり、邪魔者を扱いしていたと言われているが、夫が亡くなる1902年まで良好な関係を築いていたようだ。

 

また成功者としての一面よりも、奇人としての方が彼女を有名にした。荒廃した下宿に住み着き、ボロボロの服を常に着用していた。医療機関も無料診断所を好んで通っていた。息子が膝を怪我しても治療すること拒んだ。このことで息子の足が壊死して切断することになってしまう。みたいな吝嗇的な一面のエピソード然り噂は数多く残っている。これらはあくまでも噂であり、子供たちには裕福な生活を送らせていたとも言われている。孫には自身の財産の管理を任せるなど、いかに吝嗇な面があったとしても、血の繋がった家族はそれなりに信頼をしていた。1916年にはへティ・グリーンはなくなるが、死ぬ寸前まで風評被害に苦しんだ。晩年は特に猜疑心に囚われて、過ごしていた。一度広まってしまったイメージは簡単には覆らない。