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『日本の女海賊』瀬戸内のジャンヌ・ダルク。伝説的な海の女戦士について

 

この頃なぜか女海賊についてばかり書いているので、どうせなら日本の女海賊についても触れて置こうと思います。しかも聖女「ジャンヌ・ダルク」に肖った異名を持つ人物です。 彼女の名前は鶴姫です。日本の海賊である村上水軍の娘で内輪もめの果てに戦死したと言われています。とは言え彼女の存在は1966年に出版された小説「海と女と鎧 瀬戸内のジャンヌ・ダルク」が発表されるまで、鶴姫の存在は地元の人も知らなかったと言われているようです。

 

 

 

 

生まれ

 

鶴姫は1526年頃に大三島(愛媛県の島)の大山祇神社を預かる大祝家(おおほうりけ)の大宮司の姫として生まれました。海賊ではないのかと思われたかも知れませんが、この大祝家は海賊を率いていました。当時の瀬戸内海は河野家によって統治されていましたが、河野家は村上水軍と協力関係にあったのです。その河野家はなんと大祝家に仕えていた。

 

そもそも村上水軍とは?

 

村上水軍とは、中世の瀬戸内海で活動していた水軍である。南北朝時代から活動していたと言われていて、後に「野島村上」「因島村上「来島村上」の三つの派閥に分かれた。海賊らしく略奪や、安全に海を渡れる通行料、時には漁業にも従事していたようだ。

 

侵攻を受ける

 

大祝家の河野家は来島村上と提携を結んでいたので、鶴姫は来島村上家の一員と言えた。やがて、鶴姫は侵攻を受けることになる。現代の山口県周辺を統治していた大内家が、因島村上と手を組んで、大三島に攻撃を開始したのだ。戦いは厳しいものとなり、兄が戦死した。その悲報によって鶴姫は自らが甲冑を着て馬に跨り、薙刀を振って敵陣に突っ込んだ。16歳の少女の初陣。その勇姿に味方の士気が上がり、戦争に勝利した。その姿はまさにジャンヌ・ダルクだ。ジャンヌ・ダルクも恐れることなく敵陣に突っ込んで、味方を鼓舞した伝説を持つ。鶴姫にも聖女のような不思議な力があったのかも知れない。

 

続く戦いでも鶴姫は遊女の姿をして敵軍を欺くと、敵将に近づいて捕らえたという。味方は一気に攻勢に向かい戦いに勝利した。

 

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快進撃はいつまでも続かない。二度の敗北に業を燃やした大内家は更なる同盟関係を結んで、大三島に侵攻した。多勢に無勢。多くの家臣は討ち取られることになり、大祝家は壊滅状態となった。もはや戦うことは不可能となり、大祝家は大内家と講和条約を決断したのでした。これで戦いは終わりというわけではありません。

 

鶴姫は残存兵を集めて夜襲を決行したのです。これが鶴姫にとって本当に最後の戦でした。大内家を大三島から追い出すことに成功した鶴姫は、入水自殺をします。彼女は戦争の中で恋人を亡くしていて、恋人の仇をどうしても討ち取りたかったのです。

 

最後に

 

鶴姫は小説が世に出るまで存在を知れていなかったとされると、実在した人物だったか怪しい所です。しかし、女性用と思われる甲冑が発見されているということで、鶴姫は実在したのではと、言われることになったようです。