チキンのネタ倉庫

歴史、事件、雑学、エンタメを適当に紹介するブログ

偽ジャンヌ・ダルク事件。ジャンヌ・デ・アルモワーズについて

 

百年戦争で活躍したジャンヌ・ダルクは農家の娘でありながらも、祖国フランスのために立ち上がり、戦いました。聖女の誕生にフランス国民は湧いて、ジャンヌは人気者となった。しかし、ジャンヌは敵軍に捕らえられて、火刑されてしまう。その死に多くの人が悲嘆した。と同時に人気に肖ろうと、悪巧みをする連中が現れる事になる。

 

今回はその中でも有名なジャンヌ・デ・アルモワーズをご紹介して行こうと思います。

 

ジャンヌの死後に偽物が各地に現れたのは有名な話ですが、アルモワーズはジャンヌの兄弟に妹であると認められたり、戦友であったジルドレと戦争に参加して敵兵を倒したりと、本物のように上手く振る舞ったと言われてます。彼女は何者だったのでしょうか?

 

 

 

事件の経緯とアルモワーズが起こした奇跡

 

1、1436年に忽然と現れたジャンヌ・デ・アルモワーズは自身を処刑されて死んだはずのジャンヌダルクであると語った。それを信じた騎士は彼女に甲冑などの武器を分け与えてるだけではなく、各地で金銭や報酬を受け取り、貴族や信者から多額の寄付を受け取ったようだ。

 

2、ジャンヌダルクの実兄であるピエールとジャンはアルモワーズを「死んだはずの妹だ」と認めアルモワーズも「兄である」と認めたそうだ。そればかりか周囲の人間や貴族も彼女をジャンヌ・ダルクであると認めた。

 

3、1439年にはジャンヌ・ダルクと共に戦った戦友であり信者でもあったジルドレ元帥にも、本物のジャンヌ・ダルクであると認められた。そればかりか戦争で勇敢に戦う姿を見て、大尉の階級を与えて、重宝したようだ。

 

4、かつてジャンヌ・ダルクが解放したことで知られる「オルレアン」でもアルモワーズは賓客として手厚く受け入れられたと言う。ジャンヌ・ダルク年次礼拝は中止となり、アルモワーズに資金を提供する事になる。

 

5、1440年にアルモワーズは国王のシャルル7世によって偽物であると看破された。フランスの宮廷を訪れてシャルルと謁見を果たすが、本物のジャンヌとシャルルとの間の秘密の会話に対するアンサーに答えられなかったのだ。アルモワーズは偽物であることを認めて裁判となるが、罰せられことはなかった。なんら特別な待遇はそのままで、ジャンヌの兄弟は変わらずアルモワーズを妹と接した。

 

正体

 

ジャンヌ・デ・アルモワーズの正体は農民出身の二児の母だった。正体が知られたアルモワーズは裁判の後は表舞台から消えて、夫と子供達と静かに余生を過ごした。

 

なぜ本物のジャンヌ・ダルクを演じることができたのか?

 

さて不思議なことだがどうしてアルモワーズはジャンヌ・ダルクに成り済ますことができたのだろうか。まず不思議なのは親兄弟が他人であるアルモワーズをジャンヌであると認めたのか。普通に考えたら容姿が似ていたとしても、違和感を感じるはずだ。気づかない訳がない。しかし兄弟はアルモワーズを実の妹であると認めた。これは妹であると認めれば、資金を援助して貰えるからだと言われている。実際にジャンヌが解放したことで知られるオルレアンは、ジャンヌが生きているとわかると、彼女の母に対して年金を払うことを約束した。兄弟たちも同様に金銭的な援助を受けていたと思われる。

 

もう一つの謎は多くの人がアルモワーズをジャンヌと信じたことだ。

 

親兄弟がジャンヌであると信じれば信憑性は増すかも知れないが、それにしてもジルドレや、一度は本物にあったことがある王侯貴族までもがアルモワーズがジャンヌであると信じたのはどうにも不思議な話ではある。おそらくだが一部の信者はジャンヌの奇跡を今だに欲していのかも知れない。劣勢であった戦争が一人の少女の誕生によって、形勢は傾いたのだ。ジャンヌ・ダルクの存在はフランスの軍にとって今だに必要なものであった。だからこそ新たなジャンヌ・ダルクを作り出すことに躊躇がなかったのかも知れない。つまり計画的だった。数人がアルモワーズをジャンヌであると言えば後は勝手に噂が広まっていく。いかに間違っていても多数が肯定すれば、否定はし難い空気となる。運がいいことにアルモワーズとジャンヌは同じ農民の出身であり、アルモワーズは軍人であったと記述がある。つまり戦うことができた。アルモワーズほどに次のジャンヌの適任はいなかったのだ。戦争を優位に進めるためにも、軍を鼓舞するためにも、ジャンヌ・ダルクの奇跡はどうしても必要だった。だからこそアルモワーズはジャンヌ・ダルクに成り代わることができたのかも知れない。