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それは悪口では? とんでもないあだ名を付けられた王様10選

後世でも名前が語られることは、とても凄いことだと思います。ですが、どう考えても悪口だったら。想像するだけけでも、絶望的です。しかし中世ヨーロッパでは、ルイ12世、13世みたいな感じで、名前を継ぐことが定番でした。その為に、特徴からあだ名を付けて、区別できるようにしていたようです。今回は「いやいや」かわいそうやんと、思われる残念なあだ名を付けられた中世ヨーロッパの王様を紹介していければと思います。

 

 

 

 

金欠王 ループレヒト

 

(1352〜1410)

 

神聖ローマ帝国の王様に選出されたが、自身はとても貧乏であった。領地を差し押さえされるなど、王となっても立場はよくなかった。自身の権力を強硬にするために戴冠式を受けるためにイタリアに赴く。しかし、ここでも資金難に悩まされることになる。遠征途中で、資金は払えなくなり兵が逃げ出したのだ。イタリアでも反感の声が大きいことがわかって、結局は戴冠式を受けることはできなかった。とんだ無駄足である。周辺諸国からの反感が多く孤立していく。有効な対策を打ち出すことなく、死去した。

 

肥満王 ルイ6世

 

(1081〜1137)

 

フランス王である父が崩御すると、自身が王位についた。ルイ6世となるがフランス諸侯からの反乱に苦しむ。幼少期からの親友である修道院長シュジェールを政治顧問に採用して、聖人の軍旗である「オリフラム」を掲げ信仰心でフランス諸侯をまとめ上げた。フランスをまとめ上げて何度も戦争に勝利した英雄であったことから「戦争王」のあだ名を持つが、晩年は太って戦争に参加できなくなったので、「肥満王」とも呼ばれた少しだけ残念な王である。

 

不決断王 エセルレッド2世

 

 

(968〜1016)

 

イングランドの歴史上でも暗君とも呼ばれる残念な王。決断が遅くて不決断王、無策王、とか残念なあだ名をいくつも与えられた。10歳で王位をつぐが、治世ではデーン人の進入に苦しめられた。デーン人が侵入するたびに、退去料を払っていたので、イングランドの財政は逼迫することになる。しかしデーン人に対する懸念で、デーン人を大量に虐殺したことで、スヴェン王の逆鱗に触れてイングランドを攻略されてしまう。スヴェン王が亡くなったことで、辛うじて王位を取り戻すが、生涯をデーン人との争いに費やした。

 

子羊王 エーリク3世

 

 

(1120〜1146)

 

デンマークの王。若かりしき頃は叔父のエーリク2世の元で、戦士として戦場を駆け回った。エーリク2世の死後に最年長で王位を継承することになる。エーリク3世になってからの記録はほとんど残っていないらしい。ただ国のために戦ったことは確かなようだ。デンマーク王としては初めて、王位を退位した。あだ名となった子羊は、穏やかで寛大か、無力で寛大であったからかよくわかっていない。後者なら完全に悪口だ。自ら退位したことを考えると、王としては無力であると悟ったのかも知れない。

 

不能王 エンリケ4世

 

 

(1425〜1474)

 

カスティーリャ王国の国王。二度も結婚を経験したが、夜の経験を積みたがらなかったことから「不能」というあだ名が付けられた。15歳の時に母方の血縁の女性であったブランカと結婚するが、初夜どころか彼女に対して性行為を求めることはなかったと言う。ブランカとは性行為をしなかったことを公式に認めさせて離婚を成立させた。二度の目の結婚では、子供こそ生まれたが、相手の女性が浮気をしていたと噂があったので、実子ではない可能性が高いらしい。それにしても15歳で結婚したなら欲求の塊そうなのに、相手がよっぽど嫌だったのかも知れない。

 

短躯王 ピピン3世

 

 

(714〜768)

 

カール・マルテルの息子であり、カール大帝の父で、カロリング朝を開いたフランク王国の国王。偉大な人物だが短躯王と呼ばれている。714年に生まれたピピンは、父マルテルが軍事力の強化を目指したので養子に出された。そこで結婚してカール大帝などの子供をもうけた。父の死後に兄と権力を分けたが、兄が放棄したので自らが王となった。

 

禿頭王 シャルル2世

 

 

(823〜877)

 

三兄弟で王位を巡って勝利したシャルル二世はフランク王国の王になった。当時から禿頭を呼ばれていたようだ。区別をするために禿頭と言われていたようだが、根拠がないらしい。当時から言われていたなら、ハゲていた可能性は高いと思う。しかし、カール大帝に容姿が酷似していたようで、カール一世から「白髪が美しい」と評されたと記録があるので、ハゲてはいなかった可能性もある。なんにしても曖昧な情報で、ハゲ扱いされるのは気の毒である。

 

狂気王 シャルル6世

 

 

(1368〜1422)

 

百年戦争下でフランスの王だった人物。当初は親愛王と呼ばれていたが、精神に異常をきたしたことで狂気王と呼ばれる事になる。自身が国王と認識できなくなった事で、フランスが混乱した。百年戦争下という時世もあり、内戦状態であったフランスはイングランドの侵攻に耐えることができずにトロワ条約を結び不利な立場になった。王として、人してもダメダメだったと言える。

 

 

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失地王 ジョン

 

 

(1166〜1216)

 

父であるヘンリー二世から領地を与えられなかったので、失地王と呼ばれた。ヘンリー二世は成長した息子たちと権力争いをしていたんだけど、領土を分け与えることで、一時的に和解した。その時に末っ子であったジョンは、領土を与えられなかった。しかしヘンリー二世から寵愛を受けていたので、特別扱いをされていた。このことで兄弟の出世頭だったリチャード一世に父ヘンリーは敗れた。ジョンはリチャード一世の陰で王位を狙らったり、実際に王になったが無能だった。イングランドの歴史でも一二を争う無能と王として評価された。

 

吃音王 ルイ二世

 

(846〜879)

 

禿頭王シャルル二世の息子で自身は吃音王と呼ばれてしまった。父の崩御によって王位をつぐが体が弱かったようで、皇帝の地位が授かるが、戴冠式に向かう途中で体を壊したので皇帝にはなれなかった。その2年後には病死した。