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『クリスティーナ・ギレンスティルナ』悲劇「ストックホルムの血浴」に敗北したスウェーデンの英雄

 

クリスティーナ・ギレンスティルナはデンマークの支配に苦しむスウェーデンのために戦った女傑です。戦いには敗北して、「ストックホルムの血浴」と呼ばれる大虐殺まで、受ける事になります。しかし、彼女の勇気によってスウェーデンから大英雄が誕生します。今回はそんなクリスティーナ・ギレンスティルナをご紹介していこうと思います。

 

 

 

生涯

 

生まれ

 

クリスティーナ・ギレンスティルナは1494年に名家の両親の元に生まれた。生まれが恵まれていたので、17歳で結婚した相手も名家であり優秀な人物でだった。1513年には夫のステン・ギレンスティルナは摂政にもなったと言う。摂政になったステンはデンマークの支配で苦しんでいたスウェーデンを独立に導くことに躍起になっていた。小規模な戦いでは勝ち星を重ねていくことになるが、デンマーク王のクリスチャン二世が自ら大軍を率いる事になると、敗北して戦死してしまう。ステンが戦死したことが広まるとスウェーデン国内でも、独立派とデンマーク王派に別れることになってしまった。

 

立ち上がる

 

未亡人となったクリスティーナは、26歳でありながらも派閥をまとめ上げて、ストックホルム城から国民に支持を送り、鼓舞を続けた。いかにデンマークが大国であっても、ストックホルム城の強固な守りを突破することは容易ではない。軍を整えるのに時間を有することを悟ったクリスティーナは、農民から商人までとにかく戦える戦力をかき集めて、外交からの援助してもらえるように動いた。前者は上手くいったようだが、後者は残念な結果となる。春となり、スウェーデンは独力でデンマークと戦うことになった。

 

農民が中心の軍ではやはり戦いが不利ではあった。それでもストックホルム城は要塞として優れていたので、デンマークも攻めあぐねる結果となる。しかし戦いは長引くとデンマークは、徐々にスウェーデン側の有力な人と交渉していくことで、寝返る者が相次いでいく。秋ごろになるとついにクリスティーナは、独立派の恩赦と、子供たちの命を保証することを条件に城を明け渡した。

 

ストックホルムの血浴

こうしてデンマーク王クリスチャン二世がスウェーデン王の即位することになります。

 

しかし、クリスチャン二世はスウェーデンの裏切りを許すつもりはなかった。今回の一件に関わったスウェーデン人、おおよそ百人をストックホルム城に招待すると、全員を逮捕して、形だけの裁判の後に、死刑に処した。

 

この粛清を「ストックホルムの血浴」と呼ばれた。この事件でクリスティーナは独立派の名簿をデンマーク側に差し出していた。理由は潜在的な派閥の多さを示せば、虐殺を起こらないからと考えたようだ。魂胆は上手くはいかなかった。虐殺はスウェーデン全域にまで及んでしまった。

 

その後

 

クリスティーナはデンマークで幽閉されることになった。クリスチャン二世は、大虐殺とクリスティーナと言うリーダーを失ったことで、スウェーデンがこれ以上の反乱を起こさないと考えたが、甘かった。

 

ストックホルムの血浴で父を殺害された騎士グスタフ・ヴァーサ、のちのスウェーデン王グスタフ1世が立ち上がり、王位の奪還を成し遂げたのだ。

 

クリスティーナは晴れて開放されることになるが、幽閉されている間にデンマークの重役と恋仲になっていたのだ。このことでグスタフと仲が悪くなるが、後に決別する。スウェーデン人と再婚したので、グスタフは大変喜んで、結婚式では自ら酒を振る舞った。

 

クリスティーナも子供達に、グスタフのために働くように言い聞かせた。