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【モーリス・ド・サックス】ヘラクレスの息子?強い野心で出世したフランス大元帥

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フランスの歴史上でたった6人しかいないフランス陸軍の大元帥ーーモーリス・ド・サックスは、強い野心を持って台頭していき、晩年になるとフランス大元帥に抜擢された人物である。


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最期を悟ったサックスは自身に軍事の考えを執筆して亡くなった。戦上手で有名であったサックスの本は、死後に世に出ることになり、プロセイン王のフリードリヒ大王を勉強させてもらったらしい。

 

多分、日本での知名度はそんなに高くはない偉人ですが、スペイン継承戦争、大北方戦争、オーストリア継承戦争、など歴史上で重大な戦争に数多く参戦して、優れた軍事司令官であることを証明してきた人物であることは間違いないので、ご紹介していこうと思います。

 

 

 

生涯

 

誕生


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1696年にサックスは生まれた。父親は、ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト2世で、後のポーランド王でもある優秀な人物であった。アウグスト2世は驚異的な怪力の持ち主であり、かなりの絶倫で、365人から382人の子供の父親だったことから「強健王」や「ザクセンのヘラクレス」と呼ばれていた。

 

アウグストがポーランド王に即位すると、ポーランドが不安定だったこともあり、父の顔も知らずに他国で過ごすことになる。いかに王の子供とは言え、庶子であり、400人近く兄弟が入れば財産が分配されることはないので、サックスは自身の力で出世していくしかなかった。

 

初陣

12歳にしてプリンツ・オイゲンの軍に志願したサックスは、スペイン継承戦争に参加することになる。

サックスは運が良かった。オイゲンは当時最強の一人と謳われた名将で彼の指揮を間近で見れたことが、サックスを軍人として急激に成長させることになる。その後、大北方戦争に参加してロシアのピョートル1世の元で指揮を振るった。

 

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ロシアの相手であるスウェーデンのカール12世は、父アウグスト2世をポーランドの王位から追い出した人物でもあったので、どうしても倒したい相手でもあった。

 

16歳になると父親が正式に認知してくれたので、サックスは伯爵の地位を手に入れて、父と共にスウェーデンと戦った。サックスは着実に評価される人材に成長していった。

 

フランスに渡る

 

二十代になるとフランスに渡り数学の勉強をしたりしたそうだ。とは言え、フランスがサックスのような人材を放置する訳もなく、フランス陸軍に勧誘されることになる。

この頃からサックスは身分の高い女性と結婚して出世することを考えるようになるが、後ろ盾がなかったので上手くはいかなかった。

 

父のアウグスト二世が亡くなると、ポーランド継承戦争が勃発した。神聖ローマ帝国はサックスの異母兄弟であるアウグスト三世を支持していたが、フランスのルイ15世は別の人物を推薦したことが原因である。

 

サックスはフランスのベリック元帥の元で、師匠であるオイゲンと戦った。戦争の結果は、異母兄弟であるアウグスト三世がポーランド王となり、サックスは武功を評価されて、中将に昇格した。

 

オーストリア継承戦争


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神聖ローマ皇帝カール6世は男子に恵まれなかったので、娘であるマリア・テレジアを即位させることにした。しかし、各国の代表はこれを許すことはなかった。

この気に乗じたフランスは神聖ローマ帝国の弱体化を目的として軍を動かすことになる。

 

サックスは夜襲を成功させたことで、ヨーロッパ中に名前を轟かした。知名度は増したサックスは、事実上フランスの宰相を務めていたポンパドゥール夫人に気に入られたこともあり、遂にフランス元帥に昇格したのだった。

 

負けが続いているネーデルランド転戦すると、サックスは挽回を成功させた。この功績に歓喜したルイ15世に城を与えられ、フランス大元帥にも昇格した。しかし、体調を崩したサックスは1750年に54歳で病死した。死際に書き残した「我が瞑想」は戦争に関する実用書で、多くの人に読まれることになる。

 

 

 

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