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【マーガレット・オブ・アンジュー】薔薇戦争の苦労人。ダメな国王に変わって戦い続けた王妃について

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百年戦争の終結後。むしろ百年戦争がきっかけでイングランドで起こった王位を巡る戦争ーー薔薇戦争は、白薔薇のヨーク家と、赤薔薇のランカスター家による骨肉の争いだ。この戦いではとある女傑が活躍したことを、ご存知でしょうか?

 

マーガレット・オブ・アンジューは無能な国王ヘンリー6世の変わり、赤薔薇ランカスター家を指揮して、夫と息子の王位を死守したことで有名です。ただ時代の敗北者はことごとく「悪」として記録されるので、マーガレットも悪女とされることも多い。敗北の原因は何度も敵に捕まる夫が絶対悪いと思う。今回は、孤軍奮闘して懸命に戦ったマーガレットをなるべく簡単に、ご紹介していこうと思ってします。

 

どうぞ、よろしくお願いします。

 

幼少期

 

マーガレットは1429年にロレーヌ公国(フランスのロレーヌ地方)で生まれた。父はナポリ王のルネ・ダンジューで、百年戦争の勝利王であるシャルル七世の王妃マリー・ダンジューは叔母に当たる。幼少期は父方の祖母に愛育されて高い教養を持ち、フランス宮廷内でも有名になるような美貌を持った女性に成長した。

 

政略結婚

 

1445年にマーガレットはイングランドのヘンリー6世と結婚した。この頃のフランスはイングランドと百年戦争と呼ばれるバカ長い戦争が続いていたのだ。それで休戦協定されることになり、両国の王族の結婚が計画されることになる。ところがシャルル7世に娘はいなかったので、姪であるマーガレットが嫁ぐことになった。

 

実際はフランス側から持参金は一切なく、アンジューやメーヌなどの領土を返還するなどフランス側がかなり有利な条件であった。ここまでしてでもイングランドは休戦させたかったのだ。ヘンリー6世も渋っていたが、マーガレットが美女だと聞くと納得したらしい。

 

二人は美男美女でたちまち惹かれある仲になったそうだ。ただヘンリー6世は気が弱いなので、マーガレットの尻に敷かれる関係だったとか。

 

ところが休戦条件が明るみになると、マーガレットとヘンリーは糾弾されることになった。この時点では許されますが、イングランド側の攻撃で百年戦争が再開されると、イングランドは大敗。イングランド内では不安の声が漏れてヘンリー達に対して反乱が起こる事態となった。何が何でもフランスに勝利しなくてはならなくなったが、最終的にはフランスに大敗北することになり、百年戦争は終結することになる。

 

薔薇戦争

 

ヘンリー6世は元々精神的に弱い面があり、度重なる失態による責任感で精神が崩壊した。この頃マーガレットはヘンリーとの子供であるエドワードを産んだ。このことに焦りを感じたのがヨーク公である。ヨーク公は王位継承権第一であったが、エドワードの誕生で自身の権限が堕ちることを危惧したのだ。

 

ヨーク家は次第に実権を握るようになり、マーガレットは宮廷内でも居場所がなくなっていった。

 

そんななかで1454年にヘンリーが正気を取り戻した。このことでヨーク家の人間を宮殿から追い出すことに成功した。

 

1455年にヨーク公は軍を率いて戦争を仕掛けた。これが薔薇戦争のはじまりだ。白薔薇のヨーク家と赤薔薇のヘンリー達ランカスター家による王位を巡る内戦。ヘンリーは戦いの果てに捕らえられて王位を奪われることになり、ヨーク家が実権を握るようになった。マーガレットはそれを黙って見ているような女性ではない。宮廷派を掌握したマーガレットは政治方針でヨーク公と対立したのだ。ヘンリー6世の意向もあり両者は全面衝突を避けていたが、武力での衝突が避けられない事態になった。

 

マーガレットは自らランカスターの軍隊を率いて戦った。この勇姿に「王はヘンリーでなく、マーガレットだ」と言う声も上がったそうだ。この年にはヨーク家のリチャードを討ち破り、ヨーク家を追放した。マーガレットはリチャードの頭上に紙の王冠を被らせて、さらし首にしたとか。

 

敗北

 

ヨーク公リチャードの息子であり後継者、後のエドワード4世の登場により、マーガレット及びランカスター家は追い込まれるようになる。ヨーク家に敗北したマーガレットはヘンリーの王位を奪われてしまい、ヘンリーも投獄されることになる。息子と共にフランスに亡命したマーガレットは反撃のチャンスを覗う。そんななかでエドワード4世の叔父と弟が協力することを約束して、マーガレットと共にクーデターを起こした。ヘンリー6世を救出して、国王として復位することに成功した。ところがエドワードの弟が裏切り、またもや立場逆転、ヘンリーは捕らえられて、その後決定的な敗北に喫してしまう。息子のエドワードは殺され、夫のヘンリーも殺された。マーガレット自身も五年間の幽閉生活を余儀なくされた。

 

1475年にルイ11世が身代金を払ったことで釈放されたマーガレットでしたが、王妃の剥奪と財産の放棄を条件とされた。1482年にマーガレットは貧困生活に苦しみながら53歳で亡くなった。

 

最後に

 

無能な夫に振り回された大変の王妃の紹介でした。薔薇戦争で夫に変わって戦争を指揮した有能で男勝りな性格を評価される一方で、夫や息子の王位を守るために手段を選ばない利己的な女性としての声もある。

 

実は大学を創設したり、織物関連で積極的に貿易をするなどの功績を残している。薔薇戦争そのものも、マーガレットの退場で終結したわかではなく、まだ続いている。赤と白はかなり仲が悪い。