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【ヴァレンシュタイン】成金の英雄!戦争をビジネスにした男

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今回は成金の英雄ヴァレンシュタインをご紹介していこうと思います。ヴァレンシュタインの本名は、アルブレト・フォン・ヴァレンシュタインと言って貧乏な貴族の出身だった。若い頃は、勉強に興味を示さないでヨーロッパを旅していたとか。そこから運を味方にするとトントン拍子に出世していき軍総司令官にまで抜擢される。それだけではなく戦争をビジネスの一部として扱い、効率的に「資産」を増やした半端ない人物なんです。

 

と言う訳で、軍人、経営者、為政者としても才能を開花させた成金の英雄、ヴァレンシュタインの生涯に迫りたいと思います。

 

生涯

 

青年期

 

1583年にヴァレンシュタインはボヘミアのドイツ系プロテスタントの小貴族として生まれる。カトリックに改宗して大学に進学するが、勉学に興味を示す人間ではなかったそうだ。じゃあ何に力を入れていたかと言うと、占星術である。なんでも10代後半の頃に若い貴族達と、イギリスを含むヨーロッパ諸国を旅しながら、占星術にのめり込んでいた。もしかしたら、ヴァレンシュタインは自身の運命を占星術によって、わかっていたのかも知れない。

 

暴力事件に巻き込まれて大学を退学したあと、ヴァレンシュタインは軍隊に入る。それと同時期に裕福な未亡人との結婚することになる。運が良いのか悪いのか、結婚して直ぐにこの女性が亡くなったので、ヴァレンシュタインは膨大な財産を継承することになった。宗教絡みで領土を奪われるが、持ち前の才覚を発揮したヴァレンシュタインは、金融業や殖産興業で資産を増やして、傭兵部隊を組織した。

 

30年戦争への介入

 

1618年にボヘミアでプロテスタントによる反乱が起こると、傭兵を率いたヴァレンシュタインが鎮圧することになる。ヴァレンシュタインの活躍は、神聖ローマ皇帝フェルディナンド2世の耳にも入り信頼を得ていくことになった。

 

「30年戦争」と呼ばれる本格的な宗教戦争が開始すると、ヴァレンシュタインは放棄を命じられていた領土を獲得していきプロテスタント諸侯の領土を買い漁って、ボヘミアでも有数の大貴族にのし上がった。着実に力を入れていくなかで、ローマ皇帝から救援の依頼が入り、ヴァレンシュタインは自ら傭兵を率いて戦い、見事に勝利した。これに気分を良くしたローマ皇帝はヴァレンシュタインに、公爵の身分を与えて、貨幣製造権を与える。

 

1620年〜1623年には資金不足のローマ皇帝に軍資金や兵を貸し与えて、更には皇帝の側近の娘と結婚して、宮廷での足掛かりを着実につけていった、ヴァレンシュタインはついに皇帝軍総司令官にまで任命された。

 

戦争の傍らで工業や農業などにも力を入れていた、ヴァレンシュタインは財産を着実に増やしていた。とりわけ貨幣の製造に力を入れていたようで、67種類の貨幣を製造していたことからもヴァレンシュタインは経済の発展への力の入れようがわかる。

 

占拠した領土で軍税の徴収を認められていたヴァレンシュタインは最盛期には12万人を超える傭兵部隊を結成するほどになった。しかし、当時の軍隊は殆どが傭兵で、侵攻先で強奪することで報酬を得ることが普通であったのに、ヴァレンシュタインのみが税の徴収を認められていたことで反発の声があった。

 

1629年にフェルディナンド2世はハプスブルク家が有利になるルールをつくろうとすると、カトリックとプロテスタント両方から反発の声が上がり、フェルディナンドとヴァレンシュタインに対しての不安が爆発されていく。

 

1630年にヴァレンシュタインは総司令官の座を明け渡すことになってしまった。ヴァレンシュタインは特に不安を漏らすことなく従ったとされている。ヴァレンシュタインとしては30年戦争によって、十分な利益を獲得していたので思うことはなかったのではないだろうか。自身の領土に戻ると為政者もしくは社長のように、経営に力を入れたところからも、やり切った感があったのだろう。

 

スウェーデンの英雄グスタフアドルフの介入

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ヴァレンシュタインが戦争への参加を退いた頃に、スウェーデンからとんでもない英雄が現れることになる。ヴァレンシュタインが率いたカトリック側はプロテスタント相手に負けなしで全戦全勝状態であった。ところが、スウェーデンのグスタフアドルフは、これまで戦い方を一新して近代的な武器を大量に投入することで、プロテスタントとしての初の勝利を収めたのだ。この戦いはブライテンフェルトの戦いと言われて、たった七時間でプロテスタントの大勝となった。

 

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グスタフの快進撃が続くことで、神聖ローマ皇帝フェルディナンドは焦ることになる。ついにはヴァレンシュタインを呼び戻す決断をする。この頃、ヴァレンシュタインは宮殿の建設中で内政に忙しかった。それに一度クビになされた身である。そんな図々しい話を聞き入れるつもりはなかったのだ。

 

しかし、ヴァレンシュタインの領土にまで迫る勢いで、グスタフはドイツの領土を奪っていく。再度、ヴァレンシュタインに声がかかるも、強く拒否したそうだ。ただ、これ演技だったようで、軍の支配権、和平交渉権などヴァレンシュタイン自身が自由に動けることを約束できるなら戦争に参加する意思を示したのだ。おそらくヴァレンシュタインは自身が最も優位になるタイミングが計算したいのではないかと思われる。

 

ヴァレンシュタインは総司令官に返り咲くと傭兵を集めた。ヨーロッパ中から7万人の兵士を集めて、6万のグスタフ軍と戦うことになる。

 

天才的な軍事能力を持つ両者の戦いは激しいものとなり、運命のリュッツェンの戦いが始まる。ヴァレンシュタインは自身が鍛え上げた部隊ではなく「寄せ集めの集団」だったこともあり、この戦いには敗北することになるが、グスタフアドルフを討ち取ることに成功した。グスタフは「北方の獅子王」と呼ばれるほどの勇敢な王であったが、弱点があった。それは自身が先頭に立って陣頭指揮を取ることだ。ヴァレンシュタインはそれを理解していたので、グスタフを集中砲火するように指示をしていた。グスタフには、もう一つ致命的な弱点があった。それは極度の近視である。戦場が深い霧に包まれていたので、近視であったグスタフは孤立してしまい、ヴァレンシュタインの思惑通り集中砲火を浴びさせることに成功した。

 

結果的に戦いには敗北したが、敵の総司令官を討ち取ったことは事実上のヴァレンシュタインの勝利であった。その後、戦況はカトリック側が有利となっていき、ヴァレンシュタインは戦争を続けることを拒絶して、プロテスタント側に宗教を認めるから、領土の割譲を求めた。

 

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しかし、カトリック側はこのようなヴァレンシュタインの動きを良く思うわけはない。力を付けすぎたヴァレンシュタインはクーデターを起こす可能性があると、意見する人物達が多数登場することで、ローマ皇帝フェルディナンドはそれを信じるしかなかった。1634年にフェルディナンドはヴァレンシュタインの総司令官の解任を要求して、生死を問わない逮捕礼状を出した。それで居城に滞在してしたヴァレンシュタインは部下に暗殺されてしまうのだった。記録ではヴァレンシュタインは無抵抗で刺されたそうだ。もしかしたら占星術で自身の死を予見していたのかも知れない。

 

最後に

 

ヴァレンシュタインは貧乏な貴族の出身ながら、卓越した才能を開花させていって軍人としても、為政者としても成功した人物と言える。まさに成金である。

 

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