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【イスカンダル】英雄達も認めた大英雄。征服王・アレクサンドロス大王について

 

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こんにちは、おはようございます。今回は大英雄・アレクサンドロス大王について解説していきたいと思います。アレクサンドロス大王と言えば、征服王、イスカンダル、アレキサンダー大王と色んな通称があり、若干困惑しますが、同一人物です。

彼は二十歳で王位を継承すると短い人生で東西合わせて、4500キロに及ぶ広大な地域を征服したとされ、その功績からのちの英雄である、ハンニバル、カエサル、ナポレオンも憧れました。現代でも、アレクサンドロスの影響力は強く、歴史上もっとも影響力のある人物であると挙げられるようです。

 

今回はそんなアレクサンドロスを紹介していきたいと思います。最後まで読んでくださると、とても嬉しいです。

王位継承前

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紀元前356年に生まれたアレクサンドロスは、マケドニアの王であるピリッポス二世の子として生を受けました。このピリッポス二世は、ギリシアで弱小国家だったマケドニアを強国にまで成長させたやり手で、アレクサンドロスにも大いに期待して、あの有名な哲学者であるアリストテレスを家庭教師として招き入れていた。アレクサンドロスは偉大な父と有名な哲学者からあらゆることを学び、文武両道の才覚を得たと思われます。

 

王へ

 

父であるピリッポス二世が暗殺されてしまい、アレクサンドロスは二十歳にしてマケドニアの王となりました。王位と熟練の軍隊を受け継いだアレクサンドロスは、敵対者を排除してマケドニアを完全に掌握すると、全ギリシアとの同盟を唱え、事実上のギリシア制圧を成し遂げた。

 

そして、ギリシアの宿敵であるペルシア東征に出発しました。

 

東方遠征

 

ペルシアに突入したマケドニア軍は、グラニコラス川でペルシア軍と対峙します。この戦いでアレクサンドロスは、先頭になって戦うと敵将を撃ち取る活躍をみせ、両軍に大きなインパクトを残してカリスマ性を証明しました。

 

そして、天下分け目の戦いとも言える運命の戦い【イッソスの戦い】を迎えます。

 

ペルシア帝国のダレイオス三世が率いるのはペルシア軍12万人、対してアレクサンドロスが率いるマケドニア軍は四万人足らず。アレクサンドロスはこれまでにない戦法を確立して、ペルシア軍から五万人とも言われる戦死者が出して圧勝しました。

 

アレクサンドロスの快進撃は続き、難なくエジプトを攻略して、ファラオ(神であり、エジプトの王さま)になります。

 

アレクサンドロスを侮っていたダレイオス三世は、ついに本気を出します。遅すぎるくらいですが、15万の大軍を準備してガウガメラの戦いに望みますが、結果は、アレクサドロス率いるマケドニアの大勝利。アレクサンドロスはさらなる進軍を実現させて、ペルシア領土の都市を次々と侵略して破壊と略奪を繰り返しました。

 

ヘレニズム文

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ペルシアの完全侵略を目指して進軍を目指すアレクサンドロスでしたが、部下に反対されることになり中断することになります。そこで、兼ねてから考えていたペルシア文化を取り込むことに力を入れました。実はペルシアを侵略していくうちに、ペルシアの高度な文化に感激して、宿敵であったダレイオス三世を尊敬するようになっていたのです。

こうして行われたのは、スーサでの合同結婚式です。マケドニアの兵士とペルシアの女性による結婚式行われ、文化の融合が成されました。

 

急死

 

ヘレニズム文化を浸透させるための活動を続けていくアレクサンドロスは、アラビア遠征計画をしますが、紀元前323年6月10日に32歳の若さでこの世を去りました。蜂に刺されたことで10日間高熱にうなされて、「もっとも強い者が帝国を継承せよ」と遺言を残したことで、帝国は内乱に突入して崩壊しました。

 

まとめ


あまりにも大昔の人なので、学者や作家による創作も混じっているので、今回ご紹介した内容の全てが真実とは限りません。ですが現代にまで語り継がれる大英雄であることには間違いはないので、名前くらいは知っていても損がない偉大な英雄だと思います。

 

 

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