ピョートル大帝はロシアをヨーロッパの強国に並ぶ巨大国家に成長させた人物で、反発もあったがロシアの西欧化を断行した。なかなか個性の強い皇帝で、2メートルを越す長身を持ち、若い頃には偽名を名乗ってヨーロッパであらゆる技術を学び、造船技術、歯科医、花火師、時計職人と14もの技能を体得して、後に「職人皇帝」とも呼ばれた。それだけでも面白いですが、亡くなる原因は皇帝らしからぬもので、真冬の海に投げ出された兵士を救う為に、海に飛び込んで感染症になって亡くなった。死ぬ気はなかったんだろうけど、咄嗟な判断でそれを皇帝がするなんてスゲーと思う。
そんな感じで皇帝らしからぬ言動が多いピョートル大帝の生涯を簡単解説していこうと思います。
幼少期
1672年に生まれたピョートルでしたが、父アレクセイの14番目の子供であったので継承権は低かった。アレクセイが亡くなり跡を継いだ兄が亡くなると、ピョートルは兄であるイヴァン5世と共同で統治することになる。と言ってもそんなものは形だけで、実権も握っていたのは姉であるソフィアでした。事実上、宮殿から追放されたピョートルでしたが、その間、外国人村に頻繁に訪れてヨーロッパへの関心を強めていたと言う。
ソフィア↑↑↑↑↑↑↑
ピョートルが17歳頃にソフィアが失脚した。中国との外交に失敗してロシアが不利になる条約を結んだからだ。これによりソフィアは幽閉されることになり、ピョートルの母、イヴァン5世も亡くなり、ピョートルは単独で統治することになりました。
ヨーロッパへ
単独統治がはじまった翌年にピョートルはヨーロッパに使節団を派遣した。表向きは同盟国を増やすことが目的でしたが、ヨーロッパでは別のことに関心がいっていたので上手くはいかなかった。だけどピョートルは君主の身分を隠して「ピョートル・ミハイロフ」と言う偽名を使い自らが使節団の一人してヨーロッパの文化を学んだ。
船大工として働いて造船技術を学んだり、博物館や植物園を周り、大学の講義を聞いたらしい。なかでも歯科治療に関心を持ち、後に家臣の歯を抜いたりしていた。
国家を大きくする上で最も重要だったのが海軍の設立だったので、約50人の貴族生まれの若者をイタリア、イギリス、オランダに送り込み、造船技術や海軍の在り方を学ばせた。また1000人の軍事や技術の専門家雇って、ロシア人に勉強させた。それ以外にも、ピョートルは沢山の武器や物産品を集めた。
大北方戦争
一年中ヨーロッパを行き来できる土地が欲しいと考えたピョートルはスウェーデンと戦争を起こした。ただスウェーデンの国王は、「北方の流星王」と呼ばれたカール12世で、この国王は規格外の秀才でありナポレオンの先駆者と呼ばれる天才的な軍事能力を持っていた。このこともあり、ロシアとスウェーデンの戦争は大北方戦争と呼ばれて、20年も続くことになる。
最初はスウェーデンが優勢でした。子供の頃に熊を撃ち殺したことから「熊殺し」の異名も持つカールは戦争でも陣頭指揮を取り味方を鼓舞していた。幼少から帝王学、戦術を勉強していたのでその能力は段違いだったのです。しかし、それはスウェーデンの決定的な弱点でもあり、カール12世が負傷すると陣頭指揮を取れる人材がいなかった。ロシアは冬将軍、などの作戦もあり戦争はスウェーデンは逃げてばかりになり、気がつけばロシアの優勢になりました。
戦争に勝利してバルト海を獲得したピョートルはロシアを「帝国」として「大帝」と呼ばれることになりました。
ヨーロッパ化
ピョートルは政策として貴族の服装を強制した。貴族の髪を切らせて、西欧式の正装の着用を義務付けた。ヒゲ税なんてものもあり、髭を切らないと税金を取られた。教育機関にも力を入れ、科学、フランス語、ラテン語、政府は海外留学を支援したりと、ヨーロッパに大きく遅れていたロシア社会を教育面でも改革していった。
ピョートルは軍事以外にも大幅にロシアを改革したのだ。
職人皇帝としての顔を持つピョートルは、家臣の虫歯を抜いていた。麻酔や消毒はなし。ペンチで直接抜いていたようで、出血は酷いは化膿するはと、悲惨だったようで家臣は虫歯になることを恐れたらしい。このことが幸いしてか、家臣は虫歯ができないように注意するようになり虫歯が減った。
最後に
皇帝になるような人物って「自分が一番だ」みたいなプライドが高い人物や、国家の在り方に謎の自信を持っている人が多いイメージがありますが、ピョートルにそんなものはない。ヨーロッパの文化が素晴らしいことを素直に認めて、積極的に取り込むことで、変化を怖がらなかった改革者だ。ただ、改革するうえでの資金はあくまでもロシアの国民から巻き上げた税金です。これが原因でソ連誕生にまで繋がっていったみたいです。
今回はここまでにします。最後までありがとうございました。