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【グスタフ・アドルフ】スウェーデンの英雄「北方の獅子王」について

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今回はあのナポレオンも憧れたスウェーデンの獅子王、グスタフ二世アドルフについて簡単に解説していきたいと思います。三十年戦争で活躍したグスタフは「獅子」を謳われるくらいなので結構短気で好戦的だったと思われますが、その頭脳は幼少の頃から才覚を示していて、9歳で公務についていたようです。戦争で父が亡くなると、17歳で王となり、28歳で宰相になりました。またラテン語、ドイツ語、オランダ語、フランス語、イタリア語、はペラペラで、スペイン語、英語、ポーランド語、ロシア語などは理解はできたそうです。語学に関してはヨーロッパを制覇したみたい。


まさに天才です。それだけではなく、三兵戦術や傭兵制度などで軍事的にも、商業的にもスウェーデンを改革していった改革者でもあります。

 

というわけで今回もよろしくお願いします。

 

 

幼少

 

幼い頃から高水準の教育を受けていたグスタフは、語学に長け僅か9歳で公務についていた。15歳になった頃には父の代理で演説をしたこともある。1611年に17歳のグスタフは初陣するのだが、父は戦死。グスタフは王位を継承して戦争の継続を望むが、「自国には戦争を継続する力はない」と直ぐに判断して賠償金を払い和平を成立させた。

 

王位継承後

 

それからグスタフは貿易などを積極的に行い国力の底上げに力を入れた。ドイツの軍事施設を視察して大規模な軍事改革にも力もいれたとされます。


グスタフにとって最初の敵はポーランドのジグムンド三世だろう。従兄弟であったジグムンドでしたが、本来はスウェーデンの王位も継承するはずだった。しかし、宗教絡みでスウェーデンを追放されていて、若いグスタフが継承したことに腹を立って攻め込んできたのだ。


三度に渡り両国はバルト海を争った。辛うじてバルト海は守ることはできたが、グスタフは首と右腕を撃たれてしまい、甲冑を着られなくなり、右腕は不自由になった。

 

このように惨敗をすることもあったが、これらの経験はグスタフにとって大きな財産になったとも言える。どんなに優れた才能を持った指揮官でも、大国に敗れて名誉を得る前に戦死するなんてことはよくあること。ポーランドとの戦いでの経験はグスタフを大きく成長させた。

 

三十年戦争への介入

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グスタフアドルフの名前が知り渡るのは三十年戦争での活躍です。三十年戦争とは、カトリックとプロテスタントによる宗教戦争です。グスタフは劣勢だった、ドイツのプロテスタントに敢えて介入しました。それはグスタフがプロテスタントだったと言うこともありますが、ライバル国家であるポーランドと並んでドイツまでカトリックになってしまうと、とんでもない驚異に成り得るからでした。

 

1631年に開戦したブライテンフェルトの戦いは、プロテスタント連合軍(スウェーデン・ドイツのプロテスタント)と神聖ローマ皇帝軍との戦争で、グスタフはこれまでの常識を覆すように大砲やらの火器に重点を置いた戦法を要した。

旧式の戦いをする皇帝軍に対して、グスタフが率いる連合軍は陣形を臨機応変に変化させて皇帝軍を撹乱し、たった七時間で圧勝しました。


これはプロテスタントにとって最初の勝利であり、グスタフはたった一度の勝利で英雄となった。その後もスウェーデン軍は連勝していき皇帝軍は追い詰めていった。

 
戦死

 

神聖ローマ皇帝フェルディナント二世は焦ります。そこで登場したのはヴァレンシュタインでした。彼は「国家と戦争」のシステムを改革した人物で、国家に軍を貸すことで利益を出す商売をしていた。三十年戦争でも当初は総司令官を務めて、軍税を導入して莫大な利益を出していました。それで一度は解雇されていましたが、グスタフの介入で流暢なことは言っていられなくなり、ヴァレンシュタインは総司令官に返り咲くのでした。

 

グスタフ率いるスウェーデン軍は、ヴァレンシュタインの介入でついに敗退することになった。互いの軍は決着を付けるべく、リュッツェンで両軍は激突。


当初はスウェーデン軍の優勢でしたが、グスタフが自ら軍の先頭に立ち勇敢に戦う王である。これを理解していたヴァレンシュタインは、先頭を立つ王を狙い撃ちするように指示していた。


さらに戦場は深い霧に包まれていたので、近視だったグスタフは敵軍の前に飛び出してしまい、撃たれて落馬。ほぼ即死だったそうです。戦争はなんとか勝利しましたが、英雄の死はスウェーデンにとって大きなダメージになりました。

 

影響

 

グスタフの戦死後もスウェーデンは三十年戦争に介入を続け、スウェーデン軍の最盛期を迎えたとされます。対グスタフを期待されていたヴァレンシュタインですが、皇帝への信頼はなかったので、反逆の疑いをかけられて、処刑されました。


グスタフの急死によって娘のクリスティーナは6歳で即位した。グスタフの死をもっとも嘆いたのはおそらく嫁であるマリアでしょう。マリアはグスタフの死をものすっごく悲しんだようで、遺体の埋葬を許さずに、遺体を抱き、キスをしたりしていたようです。周りの人間は危惧して遺体を埋葬すると掘り起こそうとしたみたい。頭がおかしい母親に愛想を尽かした娘クリスティーナによってマリアは王族としての特権を剥奪されて、スウェーデンを追放された。その後二人の仲が修復することはなかったらしい。

 

まとめ

 

以上、北方の獅子王についてでした。自らが先頭に立ち戦う王さまって本当にいるんですね。グスタフは戦場で何度も傷を負ったとされています。腕は不自由になるような怪我もしていたのに、よく先頭に立って戦い続けたと思います。怖くなかったんかな。「北方の獅子王」まじかっけ。

 

最後までありがとうございます。

 

 

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