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意外と知らない??世界遺産と英雄エピソード10選

 

世界遺産と偉人、英雄達のエピソードをご紹介していこうと思います。世界遺産とは、「世界的な遺産を保護することを目的とした条約」で、人類の歴史を語る上で間違いなく大切なものになります。なので世界遺産と英雄はセットであると思う。というわけで、世界遺産とそれに纏わる英雄のエピソードを簡単にご紹介していこうと思います。

 

どれも有名なものなので、遺産と偉人の関係性をなんとなく頭の片隅に入れておいても損はないと思うので、最後までご覧くださると幸いです。

 

どうぞよろしくお願いします。



凱旋門×ナポレオン

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革命によって混乱したフランスを導いたのがナポレオンである。ナポレオンはフランス領土であったコルシカ島の貴族として生まれた。ただ、コルシカ島の住民はフランスからの独立を願い反乱していたくらいなので、幼少の頃のナポレオンはフランス人としての自覚は薄く、フランス本土の軍事学校に通っていた頃は訛りを馬鹿にされイジメられていたと言う。そんなナポレオンがトントン拍子に出世していったのは数奇なことだと思う。敵対国を相手に連勝したナポレオンは皇帝にまで上り詰めて、自身の勝利を記念する門の建設を指示した。それが凱旋門だ。しかし、ナポレオンは失脚してしまい凱旋門の工事は一時中断。ナポレオンが凱旋門を潜ることになるのは死後のことである。

 

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ペルセポリス×アレクサンドロス大王

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紀元前520年。ペルシアのダレイオス一世によってペルセポリスは建設された。北は中央アジアのカスピ海から南はエチオピアまでの領土を治めたダレイオス一世は、帝国の中央都市としてペルセポリスを建設したのだ。華々しい巨大帝国を尊重する建物ではあったが、とある英雄によって廃墟になり今日まで遺跡として残ることになる。父が暗殺されマケドニアの王に即位したアレクサンドロス大王は、ペルシアのダレイオス三世と戦い連戦連勝を重ねて、大帝国ペルシアに壊滅的なダメージを与えたのだ。ペルシアを自身の領土にしたアレクサンドロス大王は、ペルセポリスに火を放ち廃墟にしてしまう。火を放った理由ははっきりとわかっていないようで一説には「報復のため」とか「ペルシア支配の終焉」、面白いのは「酩酊した大王が火をつけた」とかがある。

 

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アブシンベル神殿×ラムセス二世(オジマンディアス)

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古代エジプトではファラオは神と同一の存在であり、大きな建造物にはファラオの権力を示す意味があった。紀元前1290年にファラオに即位したラムセス二世は、数多くの建築物を残したことで、建築王と呼ばれている。なかでも有名なのが「アブシンベル神殿」だ。四人の人物が椅子に座っている建築物なんですが、この四人すべてがラムセス二世なんです。青年期から壮年期の像で、真ん中の小さいのが「太陽神ラー」と言われています。これは、ラムセス二世が神より上であると示している。ラムセス二世は太陽王とも言われていて、停滞期だったエジプトに大勝利をもたらした英雄として、後のファラオたちにも崇められる存在だったようです。

 

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カルタゴ遺跡×ハンニバル

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チェニジア共和国にあるカルタゴ遺跡はかつて「地中海の女王」と言われるほど貿易が盛んな国だった。紀元前にローマとカルタゴは地中海の覇権をかけて戦争が起こった。これを第一次ポエニ戦争だ。父であったカルタゴの指導者の意思を継いだハンニバルは第二次ポエニ戦争に身を投じていくことになる。ハンニバルは天才的な戦略家で、「アルプス超え」や「包囲撲滅作戦」などの想定外の奇策をこうじて大国ローマを苦しめた。それらの功績からハンニバルは「ローマ最大の敵」と言われた。しかしあまりにも天才的で完璧な策だったので敵に真似されて、ハンニバルは敗北してしまう。カルタゴはローマの領土になった。

 

ローマ歴史地区×カエサル

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ローマ歴史地区はコロッセオ、フォロ・ロマーノ、カラカラ浴場などローマの何千の歴史を一気に遡ることができる。もしかたらカエサルがいなければ、ローマは地中海の小さな国で終わっていたかも知れない。40歳で最高権力者となったカエサルはローマの政界を改革した後に、ガリア(フランス)を平定して、ローマの経済力を高めて、巨大帝国とした。クーデターを起こしてローマの独裁官となったカエサルだったが、暗殺されてしまう。彼はローマをギリシアのアテネやアレクサンドリアのように、美しい街並みにしたかった。なので道路の舗装や改修工事に力を注いでいた。このローマ都市拡張計画は、カエサルの死後も受け継がれていくことになる。

 

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ヴェルサイユ宮殿×ルイ14世

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「朕は国家なり」と豪語したルイ14世は太陽王と呼ばれている。絶対王政を極めた人物で、戦争でフランスの人口、軍事力を急成長させた。華々しい功績と彼を尊重するものは、ヴェルサイユ宮殿である。3万6千人の作業者によって建設された噴水庭園、何百のシャンデリア、金色の優雅なバルコニー、所々に配置される古像。この世のものとは思えない豪奢なヴェルサイユ宮殿は絶対的な王の威厳と圧倒的な力を示したものであろう。しかし、ルイ14世はあまりにも派手に、そして長く生き過ぎた。戦争と荒い金使い、77歳まで生きたと言う長い治世。ルイ14世が亡くなったときに、民衆は悲しむどころか、喜んでいた記録がある。この頃からフランス革命の予兆はあった。

 

万里の長城×始皇帝

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歴史的にも圧倒的な規模を誇る万里の長城は、中国初の皇帝「始皇帝」が建設させた。始皇帝は中国の統一を果たしたが敵が全くいないわけではなかった。敵と言うののが北西の遊牧民で、彼に対する防衛策として万里の長城の前身に当たるものの建設に当たった。この巨大な防衛壁建設以外にも始皇帝は、多くの巨大建造物の作らせた。その労働力はもちろん民であって、強引に働かされたらしい。また、始皇帝は永遠の命に憧れて「不老不死」になれるとされる薬を医者や兵士、商人と役職を問わずに探させたとされる。どういうわけか水銀には「不老不死」になれる力があるとされていて、日常的に水銀を常用していた始皇帝は水銀中毒で亡くなった。

 

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イスラム都市カイロ×サラディン

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イスラム都市カイロはエジプト支配の拠点として栄えた。古代エジプトの雰囲気を残した街ではあるが、ところどころにイスラム様式が残っている。それはエルサレムの英雄サラディンの功績によって繁栄したからだ。サラディンはキリスト教徒である十字軍よって占拠された聖地エルサレムを奪還したことで有名である。十字軍達はエルサレムの女子供を殺し、略奪行為を繰り返してた。カイロを治めていたサラディンの耳にも十字軍の非常な行為は耳にしていた。イスラム教徒であるサラディンはエルサレムの奪還を決意して、進軍して見事に成功させたのだ。エルサレムはイスラムの聖地であると同時にキリストの聖地でもある。サラディンがスゴイのは、キリスト教徒だろうと、イスラム教徒だろうと何もしないことを約束したことだ。そればかりか、戦争によって家族や家を失った人たちに自身のお金をあげるような寛容な人物であった。この行動には敵対国であるヨーロッパでも絶賛された。

 

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銀閣寺×足利義政

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銀閣寺の正式名称は「慈照寺」であり、金閣寺を模造して足利義政が建設させたとされている。がこれは間違いらしい。足利義政は「応仁の乱」などの激動時代の将軍で、クーデターやらなんやらとストレスを溜め込んでいた。それで現実逃避する憩いの場所を獲得する目的で銀閣寺の建設に着手した。応仁の乱は、足利義政が後任を決めないので二つのグループに分かれてしまった結果とされる。義政は応仁の乱にまったくもって関与しないで、銀閣寺に引きこもり芸術に力を入れていたらしいので評価が高くない将軍なのです。

 

延暦寺×織田信長

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1571年に織田信長は延暦寺を放火した。これには800年も続いた霊場を蹂躙する意味があった。織田信長は桶狭間の戦いで今川義元を破り、室町幕府に上洛した。室町幕府の再興に成功した織田信長に権力が集中していく。その直後で延暦寺は焼き払われることになる。延暦寺にいた老若男女問わず数千人が虐殺されたこの事件は「比叡山焼き討ち事件」と言われ、織田信長は「神を恐れない」存在=覇王と恐れられることになった。つまりノリにノッテいたのだ。織田信長はその後も勢力を伸ばしていき、天下統一目前にして家臣・明智光秀の裏切りにあい本能寺で亡くなった。

最後に

 

ここまでお読みいただきありがとうございました。正直あんまり世界遺産とか興味はない僕でしたが、なんだか生きているうちに生で見てみたいな、と個人的に思いました。

 

 

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