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その美貌は罪か? 歴史を動かした世界の美女8人を紹介!!

綺麗な人は好きですか?

街中で綺麗な人を見かけたら、つい魅入ってしまった経験は誰もがあると思います。僕もあります。綺麗な人ってやっぱりいいですよね。ついつい優しくしてしまう、そんな人も多いと思う。だからこそ美人は得をする。別に美人に弱いことは、悪いことでない。国のトップである王様だって、美人には弱かった。今回ご紹介するのは、その美貌で王を傀儡とした美女です。美しさは時に国の命運すらも動かし、人類の歴史を大きく動かしてきた。とは言え美人が絡んだ歴史の結末は、悲劇的なことが多かったりする。

果たして、美人は本当に得なのだろうか?

 

 

楊貴妃

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(719〜756)

 

世界三代美女であり、中国四大美女にも数えられた傾国の美女。

蜀の下級役人の娘であったが、両親は幼い頃に亡くなり叔父に育てられた。成長すると、その美貌は噂となり、庶民の子供でありながら、唐の六代皇帝・玄宗の息子の妃となることになった。

 

ここまでは、まだいいが楊貴妃の人生は更に加速することになる。玄宗は妃を亡くしたことで、新たな選択を得たからだ。嫁探しを始めた玄宗は、息子の妃に一目惚れをしてしまった。

 

楊貴妃はただ美しいのでなく、スタイルも良く、音楽、踊りも得意であったとされる。これまで真面目に国を治めてきたことで、有名だった玄宗だったが、楊貴妃との出会いで全てが狂うことになる。特別に楊貴妃を愛したことは良かったが、能力に問わず楊貴妃の親戚に役職を与えたことが間違いであった。楊貴妃に気に入られると、出世できると考える輩が現れたからだ。

 

その一人が安禄山(あんろくざん)である。安禄山は楊貴妃を褒めちぎることで、玄宗に認められて養子になった。安禄山は自由に宮廷の出入りをして、着実に兵力を蓄えた。

 

そして、クーデターを起こして自身を皇帝としたのだ。玄宗や楊貴妃は歯向かう兵力がないので、蜀を目指して逃亡を開始した。この混乱で味方の兵士が全ては「楊貴妃が悪い」と反発の声が上がり、兵士たちは暴走してしまった。楊貴妃は首を締められて亡くなった。

 

クレオパトラ

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(前69〜前30)

 

古代エジプトの最後の女王。美貌によって時の権力者に言い寄り歴史を大きく動かした。18歳の時に父が亡くなったことで、弟と共同で統治することになる。クレオパトラはローマとの結びつきをより強くするつもりだったが、弟達はローマから独立を考えていた。考えの齟齬からクレオパトラは、エジプトを追われることになってしまう。

 

時を同じくしてエジプトに遠征に来ていたカエサルの元に、絨毯に包まれた女性がプレゼントされた。その女性がクレオパトラだ。カエサルはクレオパトラの美貌に心を奪われて、エジプト王位の奪還を手伝うことになる。戦争はカエサルの圧勝で終わり、クレオパトラは王位を取り戻して、カエサルとの間に子供を授かり、後にローマ皇帝の妃のように、扱われるようになった。

 

カエサルが暗殺されると、今度は後継者であるアントニウスを誘惑した。もともとアントニウスはクレオパトラに惚れていたこともあり、ローマに嫁がいながらもクレオパトラと結婚した。

 

ローマの将軍としてエジプトに遠征したにも関わらず領土の多くをクレオパトラに譲ったらしい。ローマが面白く思うわけがなく、カエサルの養子であるオクタウィアヌスが派遣され、アントニウスとクレオパトラ連合と戦った。カエサルの正当後継者とも言えるオクタウィアヌスによってアントニウスは自死を選択。クレオパトラも毒蛇の自身を噛ませて自殺した。

 

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ロクセラーナ

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(1502から1504〜1558)

 

ロクセラーナは、オスマン帝国のスレイマン1世の皇后で、寵愛を独占する為に国のルールすらも変えてしまった魔性の女である。

 

祭司の子供として生まれたロクセラーナは、奴隷商人に捕まりスレイマン1世に売られた。ハレムの一員になったロクセラーナは、スレイマン1世の寵愛を独占する為に、あらゆる策を講じた。

 

結果的にスレイマンと正式に婚姻関係を結び、ハレムの美女を追放することで、一夫一婦を実現させた。スレイマンの寵愛を独占したロクセラーナの次の目的は、自身の子供を正式な後継者にすることだった。

 

もちろん邪魔な存在はいた。スレイマンの長男であるムスタファだ。ムスタファは軍人としての評価が高い人物だったので、国民から人気が高い。ロクセラーナはムスタファに離反の可能性があるスレイマンに手紙を送った。ムスタファはスレイマンによって処刑されることになる。

 

自身の力を誇示する目的で、暗躍を続けたロクセラーナは子供の誰が継承するか見届けることなく亡くなった。


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ポンパドゥール夫人

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(1721〜1764)

 

ルイ15世の愛妾で、国を裏で牛耳った。もともとは平民の出身であったが、その美貌によってルイ15の愛妾になった。

 

貴族以上の高等教育を受けたポンパドゥールは、それなりの地位の男性と結婚して、超一流サロンに出入りするようになり、人脈を着実に広げていき、ついにはルイ15世と出会うことになる。フランス国王の公式の愛妾になったポンパドゥールは、あちこちに別荘を建てて豪奢な生活を送るようになる。

 

ルイ15世は政治に関心がなかったので、ポンパドゥールは事実上の宰相という立場としてフランスの政治に携わることになった。

 

1756年には、オーストリアのマリア・テレジア、ロシアのエリザベータと結託して、プロイセンを包囲した。

しかし、年齢と共に美貌は衰えるものである愛妾としての立場が脅かされたポンドゥールは、「鹿の園」をルイ15世に与えた。これはルイ15世専用の娼館である。鹿の園のおかげで、ポンパドゥールは生涯にかけてルイ15世に大事にされた。

 

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ルクレツィア・ボルジア

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(1480〜1519)

 

ルクレツィアは悪女と呼ばれることがある。それは、父のロドリーゴ・ボルジア、後の教皇アレクサンデル6世に出世の道具に使われていたからだ。

 

金色の長髪に豊かな胸を持っていたらしい。その美貌から「天女」と呼ばれた。はじめに結婚の話が来たのは11歳の頃だったが、より高貴な貴族との縁談の話が来たのでお断り、その後ロドリーゴが教皇になったので、三度目の正直としてイタリアのスフォルツア家のジョヴァンニに嫁いだ。

 

アレクサンデルとジョヴァンニは仲が良くなかったので、離婚を企てた。とは言え宗教的に離婚はできないので、暗殺を計画した。情報が漏れたので暗殺は失敗して、最終的には、強引に離婚を成立させたそうだ。

 

次の結婚相手はナポリ王の庶子アルフォンソ・ダラゴーナだった。結婚生活はアルフォンソが二年後に暗殺されたことで、強制終了した。噂ではルクレツィアの兄が、近親相姦の末に、妹を独占したくて暗殺したとか。

 

最後にルクレツィアが結婚したのは、ローマ北東の貴族であるアルフォンソ1世である。彼との結婚生活は残りの生涯で続くことになり、互いに浮気相手がいたみたいだが、6人の子供に恵まれた。

 

ディアーヌ・ド・ポワチエ

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(1499〜1566)

 

20歳近く歳下のフランス王アンリ二世が40歳で事故死するまで、寵愛を受け続けた愛妾。おそらくアンリにとって初恋の女性であり、ディアーヌは最も尊敬する女性だった。

 

先代の王であるフランソワ一世の皇后の侍女として働いていたので、アンリが幼少の頃には面識があった。フランソワが捕虜になった時は、人質の交換としてアンリと兄が送られた。すでに母を失っていたアンリはフランスから送られる時に、ディアーヌから別れのキスをしてもらったと言う。

 

12歳頃になってやっとフランスに戻ると、ディアーヌはアンリの家庭教師となった。やがてアンリは、カトリーヌ・ド・メディシスと結婚する。アンリはカトリーヌと共に過ごすことを拒んでいたようで、ディアーヌがカトリーヌの寝室に行くように仕向けていたらしい。

 

このような努力もあって、アンリはカトリーヌとの間に10人の子供に恵まれる。それでもアンリが最も寵愛したのは、ディアーヌだった。

 

ディアーヌは魔性の女ともいえるくらい、歳をとっても美しい女性だったようだ。アンリはディアーヌを特別に扱い、公式の書類に一緒に署名したりと、皇后であるカトリーヌ以上の立ち位置を与えた。

 

しかし、アンリが事故死すると、ディアーヌの立ち位置は大きく変わる。アンリに成り代わってトップに立ったカトリーヌは、ディアーヌがこれまでアンリからプレゼントされた領土や装飾品の返還を求めたと言う。王の寵愛を受けられなかったカトリーヌは後に「サン・バルテルミーの虐殺」を引き起こすことで悪女として知られる。

 

褒姒(ほうじ)

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(紀元前7世紀頃)

 

古代中国の周の幽王は、ある罪の贖罪で献上された女性の美しさに心を奪われた。彼女の名前は褒姒。褒姒の出生は不明な点が多く、伝説では処女のまま子を宿したことで、捨てられた子と言い伝えられている。

 

ただ、褒姒は笑わなかった。宝石をプレゼントして、笑ってもらおうとするが失敗する。やがて、正式に皇后として子供にも恵まれるが、褒姒は決して笑うことはなかった。

 

ある日は幽王は、敵襲を知らせる狼煙を上げさせた。兵士たちは慌てて駆けつけるが、敵なんてどこにもいない。間違いだったのだが、右往左往する兵士を見て褒姒は初めて笑って見せた。

 

これに気分を良くした幽王は、たびたび褒姒の笑顔が見たいが為に狼煙を上げた。そのうち兵士達は狼煙が上がっても来ることはなくなった。本当に敵が攻めて来ても誰も助けには来なかったので、幽王は殺された。

 

マリー・アントワネット

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(1755〜1793)

 

フランス王ルイ16世の妃で、「パンがなけれがお菓子を食べればいい」みたいな言葉を残したとされる。マリーは、ハプスブルク家の出身であり、オーストラリアの女帝マリア・テレジアの娘であった。

 

政略結婚の一環としてフランスに嫁いだが、王族として、皇后としての自覚が強く真面目だったと思われる。浪費が酷いイメージがあるが、子供の教育にが積極的で、夫を心底愛する家族思いの人物だった。

 

しかし、王族としての矜恃から、王ではなく民衆が国の中心になることに大きな拒絶を示していたことから、国民から嫌われる要因となり「パンがなければ」みたいな発言をしていないのに、広まったと推測される。

 

フランス革命が活発になると、マリーとルイ16世は国外への逃亡を余儀なくされた。マリーとルイ16世バラバラとなり、一般人を装って逃亡する予定だったが、マリーは家族全員で逃亡することを譲らなかった。

 

このことで大きめな馬車を用意することになり、出発が大きく遅れてしまったので、マリー達は捕まってしまった。そして、息子に近親相姦を強制したとか、意味のわからない裁判の結果、ギロチンでの処刑が決まった。

 

 

 

 

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