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【ハンニバル・バルカ】ローマ史上最大の敵。智将ハンニバルの生涯とは?

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ローマとカルタゴは地中海の覇権を巡って、100年近くも争うことになる。ポエニ戦争と言われた、この戦いは三回に区切られて、最終的にはカルタゴの消滅によってローマの完全勝利に終わります。ですが、第二次ポエニ戦争では、カルタゴがローマを壊滅寸前まで追い込んだことがある。それはローマ史上最大の敵とされるハンニバルの活躍です。ハンニバルはこれまでの常識を覆すような多彩な戦術を駆使することで、ローマを追い詰めた英雄と呼ばれることになる。今回はそんなハンニバルの生涯に迫りたいと思います。

 

 

生涯

 

少年期

 

紀元前3世紀のローマはイタリア半島全土を掌握することに成功して、勢いをそのままにカルタゴと地中海の覇権を巡った。ローマとカルタゴを23年間に渡って争うことになり、これを第一次ポエニ戦争と呼ぶ。最終的にはローマの勝利に終わり、ローマは長靴の領土以外の土地をはじめて持つことになる。

 

カルタゴもこのまま黙っているわけはなかった。ハンニバルの父ハミルカル・バルカスはローマへの敵愾心を決して忘れることなく、ヒスパニア(スペイン)に移住して銀を産出して軍資金を得ながらも、息子であるハンニバル・バルカを軍の指導者として育成していた。そんなハンニバルも父の影響を強く受けて、神殿にて「生涯ローマの敵」になることを誓った。父が亡くなると義理の兄に当たるハシュドゥルバルの元で少年期を過ごし、軍人とし着実に成長していくことになる。

 

アルプス越え

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ハシュドゥルバルはハミルカルの意思を継いで外交などで活躍したが暗殺されてしまい、ハンニバルが26歳でカルタゴ軍の司令官に抜擢された。カルタゴは独自の軍隊を持たない国で、主に傭兵を雇って戦うスタイルだったので、膨大な軍資金が必要だった。他国から傭兵を雇い入れたハンニバルは、紀元前219年にローマが支配していたヒスパニアのサグントゥムに侵攻することで第二次ポエニ戦争が幕をあげた。サグントゥムを八ヶ月かけて陥落させたハンニバルは、ガリア(フランス、ドイツ辺り)に向かう。地中海を挟んでローマとカルタゴは対立するような位置関係なので、船を使っていくのが近道ですが、ハンニバルは大きく迂回して「アルプス越え」てローマを目指した。アルプスを超えるのは容易なことではない。尋常ではない寒さと疲労によって5万人いた兵は半分に減少した。とは言え、アルプスの南側で遭遇した反ローマ思考のガリア人を「敵はローマだ」と、誘い兵力の補充に成功した。

 

カンナエの戦い。ローマとの直接対決。

 

ハンニバルはイタリア半島への進軍を開始した。ローマ軍はアルプス山脈から進軍されるなんて、全く予想をしていなかったので、完全に不意を付かれてしまった。真っ向からの戦いでローマ軍を撃退したハンニバルは、続いて、川を挟んでローマ軍と対峙する。ローマが全軍で突撃を開始すると、ハンニバルは林に隠していた伏兵を放つ。冷たい川を渡り疲れ切ったローマ軍は動きが鈍く、囲まれてしまう。逃げ場を失ったローマ軍相手に、一方的な戦いを魅せてハンニバルを快勝するのでした。

 

病に罹患して片目を失うアクシデントもありましたが、ハンニバルが率いるカルタゴ軍はローマに相手に連戦連勝を重ねることになる。第一次ポエニ戦争での記録を参考に戦術を考えていたローマ軍はハンニバルの斬新な戦術にされるがままであったのだ。そして、歴史的に重要な戦いとされる「カンナエの戦い」を迎えることになる。ハンニバルは5万の兵力に対して、ローマは7万。数的にはローマの有利ですが、死者6万、捕虜1万でローマが惨敗することになる。しかもハンニバル側の死者は5700人だけ。なぜローマ軍は惨敗することになったかと言うと、ハンニバルが天才的な戦上手だったからだ。ハンニバルは弓形の陣形でカンナエの戦いを迎えた。これはローマ軍が正面突破をすることを読んでいたからだ。敢えて弱い兵士を中央に置くことで中央突破を容易にさせて、両翼に配置していた騎兵によって敵軍を囲んだ。この包囲作戦はハンニバルの思惑通りだったらしい。恐らく想像以上に上手くいったのではないだろうか?

 

この戦いでの敗北でローマ軍はすっかり意気消沈となり消極的にならざるを得なかった。このまま攻めればローマを落とせる。ハンニバルはカルタゴに援軍の要請をして進軍を考えた。ところがカルタゴの有力者はハンニバルがローマを攻略して英雄になり、国の最高権力者となることを恐れて、少数の兵しか送らなかった。そのこともあり、ローマ首都への進軍を諦めたハンニバルは、ローマ同盟国に離反を持ちけることを決定した。この判断に部下から叱責されることになり、カルタゴの勢いは消滅することになる。

 

スキピオの登場

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ハンニバル軍の勢いが消滅していくなかで、ローマでは、ある英雄が急成長することになる。名前はスキピオ。父と同じ名を持ち、執政官であった父に同行してハンニバルと戦い敗北を経験していた。それからスキピオはハンニバルを研究して、着実に実力をつけていた。

 

元老院の許可をもらったスキピオは紀元前204年にアフリカ遠征へ向かった。目的はハンニバルの祖国カルタゴである。要はハンニバルの真似をして、敵本陣を直接叩くのだ。ハンニバルを研究していたスキピオだからこその大胆な作戦であった。スキピオの侵攻によってカルタゴは一気に劣勢となり、ハンニバルは帰還することになった。

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両者はザマで剣を交えることになる。決戦前にハンニバルとスキピオは交渉によって解決する方法を探した。ハンニバルは無益な争いはやめて撤退するように話すが、スキピオは元々はそちらが悪い的な感じで、交渉は決裂することになった。

カンナエの戦い(絶頂期)から十年以上経過していたハンニバルに対して、絶頂期のスキピオ軍は強かった。ハンニバルは象を前線に置いて進軍するが、スキピオは騎兵を上手く使い周り込むことでハンニバル軍を包囲。戦いはスキピオ軍の大勝利となった。

 

その後

 

地中海の覇権を奪われたハンニバルはカルタゴの再建の為に行動を起こす。しかし、国力の回復に成功したことで、ローマの反カルタゴに目を付けられることになり、ハンニバルは追われる身となったのだ。ハンニバルの失敗はカンナエの戦いでの勝利の後、追い詰めたローマを攻めなかったことだろう。ハンニバルはシリアに亡命して指揮官としてローマと戦うが、敗北してしまう。これはハンニバルとの長きに渡る戦いの中で、ローマはハンニバルの戦術を吸収して最強の軍隊に成長していたからだ。紀元前183年に亡命の末にハンニバルは毒薬によって自害した。そして同じ年に、好敵手のスキピオも救国の英雄から一変して政界を追われ亡くなったとされている。