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【サラディン】ガチ英雄。敵対国でも喝采される英雄の中の英雄

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今回はアラブで偉大な英雄に数えられるサラディンについて解説していきたいと思います。日本ではいまいち知られていないサラディンですが、敵対国であるヨーロッパでも人気のある英雄です。大抵の英雄と呼ばれる人達は、侵略した国で必要以上の虐殺をしたりするのですが、サラディンはそのようなことはしませんでした。まさに英雄。ガチで英雄。

 

そんな寛容で偉大な英雄を簡単に解説できればと思っています。

 

 

 

幼少時代

 

サラディンの本名はユースフ。1137年にイラク北部のティクリードで生まれました。母親についてはよくわかっていませんし、兄弟も四人いたようですが何番目かわかっていません。

 

一族の一人が殺人を犯してしまったので、サラディンは幼少の頃に一族全員で追放されてしまいます。いきなりハードな人生かと思いきや、ザンギーと言う人物に助けられます。

 

このザンギーは王朝は開くほどの人物で、サラディンの父であるアイユーブにかつて助けられた恩があって、ザンギーはアイユーブを軍団長に迎え入れてバールベックという領地まで与えました。

 

このバールベックは穀物や果物を生産する豊かな領地で、サラディンの伝記を書いた人物は、「ここで育ったからこそ性格の良さが育まれたのでは」と述べています。

 

成人後

 

成長したサラディンはザンギーの息子であるヌールッディーンに従えます。キリスト教を含むあらゆる組織が複雑に絡むアラブで、サラディンは頭角を表していき宰相になると、ついにはアイユーブ朝の王にまで出世してエジプトを代表する人間になりました。

 

エジプトを支配下に置いたサラディンの次の相手はエルサレム王国でした。

 

ヌールッディーンの跡継ぎの命令でエルサレムと戦いに参戦したサラディンは、エルサレム軍をヒッティーンの戦いで決定的なダメージを与えて、見事にエルサレム奪還を成功させるのでした。

 

この功績はイスラム教君主としてはじめてのことで功績と言えることでしたが、それすら潜めてしまう行動をサラディンは起こします。

 

エルサレムは自分達イスラムの聖地であると同時にキリストの聖地でもあります。だからサラディンは、キリスト教だろうとなんだろうとなにもしないと約束したのでした。つまり、略奪行為はしないし、捕虜はすべて解放すると言うことです。

 

それだけではなく、家や家族を失った人達に自身のお金をあげちゃうなんてことをするような、寛容な行動に出ました。

 

これにはキリスト教であるヨーロッパの人々にも絶賛されました。

 

第三回十字軍との戦い

 

サラディンの活躍をキリスト教徒の偉い人達が黙っているわけはありません。フランスの王・フィリップ二世、ドイツのローマ皇帝・フリードヒ一世、イングランド王のリチャード一世はの連合部隊を結成したことで第三回十字軍との戦いがはじまります。サラディンは十字軍(実質、リチャード一人)と互角の戦いを繰り広げますが、一度はリチャードに敗北します。しかし、秘密裏に休戦協定を成功させて、戦争を終わらせるのでした。

 

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まとめ

 

サラディンは出世していくにつれて贅沢をやめていたとされます。では何にお金を使っていたのでしょうか?

 

サラディンのエピソードにこんなものがあります

 

行軍の際に立ち寄った村人に軍事費を与えていたので、兵士の多くは自腹で軍事費を用意していたといいます。その他私財を誰かにのために使っていたようで、サラディンの遺産は自身の葬儀代すらなかった。

 

自分を犠牲にしたサラディンの功績は、フランスのナポレオンや、日本の織田信長よりも偉大な英雄であり、もっと多くの人に知られてほしいと思うこの頃。

 

最後までありがとうございました。