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【アショーカ王】10万人を虐殺した殺戮王のまさかの改心

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今回はアショーカ王を紹介したいと思います。いつぞやに紹介したジル・ド・レは人生の前半は英雄、後半は殺人鬼でしたが、今回は逆です。

 

chickenno.hatenablog.com

 

インド・マカダ国のマウリヤ朝三代王であったアショーカは、インドを統一した偉大な人物ですが、王になるまでに兄弟を皆殺し、命令を聞かない大臣を百人近く処刑し、さらには民間人を10万人を虐殺した人物で、殺戮王と呼ばれた王です。


しかし、晩年の行いからアショーカ王は仏教では聖人に数えられる重要な人物になっています。

 

今回はそんなアショーカ王を簡単に解説していきたいと思います。

 

 

即位前

 

紀元前304年に生まれたとされるアショーカ王ですが、即位前のことはよくわからないことが多いようです。ただ、父であり前王であるビンドゥサーラとの仲があまりよくなかった。

 

反乱が起こったときにアショーカは父から兵士どころか武器すら与えられずに反乱の鎮圧を命じられたことがあるくらい嫌われていました。

 

まあ、すくなくとも99人の兄弟がいたそうなので、父からしたら認識の薄い存在だったのではないでしょうか?

 

アショーカは父が亡くなると99人の異母兄弟を全員殺して即位したくらいですから、向上心や意思の強さを感じ取れます。なので父が生存していた頃から、なにかと反発的な態度を取っていたとも予想できます。

 

即位後

 

そんな感じで、正当後継者で長男・スシーマに戦争を仕掛けて勝利したアショーカは、上記でも説明した異母兄弟99人を殺して玉座を手に入れたそうです。

 

アショーカの虐殺はまだ続きます。

 

即位の儀式ができず、さらに多くの大臣がアショーカが王になれたのは私達のおかげであると、アショーカを軽視して命令に従わなかったそうです。

 

これに激怒したアショーカは大臣500人を処刑しました。

 

仏教の伝説では、即位したアショーカが通った道は草木が焼き払われていた、と暴君であったことを表現しているみたい。

 

カリンガ戦争

 

殺戮王と言われるアショーカの決定的な出来事がカリンガ戦争です。カリンガ国はインドの東岸の位置した大国で、マウリヤ朝の支配下ではありませんでした。アショーカは進軍して、何度か敗北もしながらも、最後には勝利を治めました。

 

そして、15万人も捕虜を得ましたが、そのうちの10万人を殺したそうです。大きな戦争による戦禍で、捕虜以上の人々が亡くなり、多くの人が住居を失ったとされます。

 

こうして歴史上初のインド統一を果たしたアショーカですが、同時に殺戮王として後世に名を残すことになりました。

 

仏教への目覚め

 

ここまで暴君としてやりたい放題殺してきたアショーカでしたが、カリンガ戦争での戦禍の大きさには「やり過ぎた」と反省したそうです。

 

色々と悩んだであろうアショーカは、きっと眠れない夜を過ごしたと思います。そんな、アショーカがたどり着いたのは「仏教」でした。

 

出会いは名すらない僧侶の説法に感動したからだそうです。アショーカはこれまでの虐殺をやめて、「法(ダルマ)の政治」を目指すようになります。

 

法(ダルマ)の政治とは、殺生を禁じて、両親を従順、友への敬愛・出家者への尊敬、これまでとは真逆の姿勢を示しました。

 

また、仏教の「慈悲」の心を体現するために道路の整備、病院の建設、井戸の設置など、民衆のために行動を起こすようになります。

 

また、仏教への入れ込みは相当だったようで、息子を出家させたり、仏教を広めようと外国に宣教師を派遣したりと活発に行動を続けました。

 

しかし、晩年は仏教愛が強すぎて、内政の悪化、他国の侵入を簡単に許すようになり、幽閉されていたと言う説もあります。

 

まとめ

改心したアショーカでしたが、晩年に幽閉されていたことが本当なら人して本質はあまり変わらない、頑固で我が儘、自分の意思を貫くような性格だったようですね。