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【偉人の名言一覧】歴史に影響を与えた偉人の名言一覧

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世界の偉人の名言、迷言をまとめました。歴史を動かした偉人は、その言葉にも重みがあり、説得力もあると思います。何かしらの役に立てたら嬉しく思います。

 

 

 

「目には目を、歯には歯を」ハンムラビ

 

・紀元前1810〜1750

ハンムラビ法典で知られる古代メソポタミアの王。彼の言葉で知られる「目には目を。歯には歯を」は、やれたら倍返しが常識であったルールを、同じくらいの罰で許すためのルールであった。つまり加害者を守るルールであった。

 

「わたしは知識を愛する者である」ピタゴラス

 

・紀元前582〜紀元前496

ピタゴラスの定理で有名な哲学者。世界中を旅したピタゴラスは、教団を設立して研究に全てを捧げた。教団の政争に巻き込まれたピタゴラスは、命を落とした。

 

「私は自分が何も知らないと言うことを知っている」ソクラテス

 

・紀元前469〜紀元前399

古代ギリシャの哲学者ソクラテスは、「自分が何も知らないことを知っているが、自分が、問答した相手が無知であることは知らない」と言う事実を示めした。当時のローマで演説が物を言う時代で、弁論術が出世には必要な技術であったが、ソクラテスは、真理の追求をひたすら求めていた。

 

「国家をつくる要因となるものは、我々の必要性ということにあるようだ」プラトン

 

・紀元前427〜紀元前347

古代ギリシャの哲学者プラトンは数々の著作があった最も有名なのが「国家」である。国家では最も悪い政五つの政治システムと、哲人王が統一する国家が一番であると語ったとされる。

 

「去る者は去れ」アレクサンドロス大王

 

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・紀元前356〜紀元前323

二十歳でマケドニアの王となったアレクサンドロスは、父の意思を受け継いで東方遠征に乗り出した。当時大国であったペルシア帝国を相手に、連戦連勝して小アジア、エジプト、メソポタミアを制圧した。ペルシアを滅亡させても、アレクサンドロスは東方遠征を続けたが、兵士は泣き言を漏らしたそうだ。そんな兵士に「去る者は去れ」と鼓舞した。最終的には反対意見を聞き入れることになり、東方遠征は断念。アレクサンドロスは、病没した。

 

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「私に支点を与えたまえ。そうすれば地球を動かしてみせる」アルキメデス

 

・紀元前287〜紀元前212

テコの原理を数学的に証明したことで知られる。テコの原理を応用した兵器「アルキメデスの鍵爪」などを生み出した。そんなアルキメデスだが、第二次ポエニ戦争で召集されたが、図面を描くことに没頭していたので殺されたらしい。

 

「方法は見つける。なければ作る」ハンニバル・バルカ

 

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・紀元前247〜紀元前183

第二次ポエニ戦争でローマを苦しめたカルタゴの指揮官であるハンニバルは、類稀なる戦術を発揮して不可能を可能とした。真冬のアルプスを越るなんて常識に囚われない奇襲に成功させたハンニバルは第二次ポエニ戦争を開戦させる。兵力に差はあったが、華麗なる包囲作戦を成功させてローマに圧勝した。ローマとの戦いに勝利できるはずだったが、母国が協力的ではないこと、優秀過ぎるが故に敵に戦術を真似されてしまい敗北した。

 

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「ブルータス、お前もか」ガイウス・ユリウス・カエサル

 

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・紀元前100〜紀元前44

平民派の政治家として台頭を始めたカエサルは、三頭政治を成立させて、ガリア遠征で名声を得た。そして、クーデターを起こしてローマの独裁官になった。カエサルは権力を己に集中させることを企てたが、変化を恐れた元老院によって、紀元前44年にカエサルは暗殺されてしまう。この事件は、集団で襲撃されたとされ実行犯の一人に「ブルータス。お前もか」と言った、と言われている。

 

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「あなたの人生の幸福は、あなたの考えの質による」マルクス・アウレリウス・アントニウス

 

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・121〜180

五賢帝はローマ帝国の最盛期を築いた五人の皇帝を指すのですが、マルクスはその最後の一人に当たる。マルクスは、皇帝よりも哲学者になることを望んだことで、哲人皇帝と謳われた。遠征先では皇帝になってからの苦悩や、哲学者らしい名言などを書き残したことで知られ、『自省録』として現代にまで読まれ続けている。

 

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「世界で余だけが金を持てばいい。そして余は兵士に金を与えたい」カラカラ帝

 

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・188〜217

ローマの最盛期を築いた五人の皇帝「五賢帝」亡き後に皇帝になった一人。ローマの市民に市民権と義務を与えたことで徴税の対象を拡大させた。その反面で、軍事に趣きを置き、虐殺を繰り返したことでローマ史上最悪の皇帝の一人に数えられる。上記の名言は口癖だったそうだ。

 

「皇帝の権威は地に堕ちたと思っていました。しかし、あなたを見て考えが変わりました」ゼノビア

 

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・240年頃〜274年頃

パルミア王国の女王。戦士女王と呼ばれるくらい血の気の多い性格だったとされる。巨大国家であったローマの混乱に乗じて、逆賊からローマを守ることを口実に領土を拡大していった。しかし、新たな皇帝となったアウレニウスに敗北した。上記の言葉は捕虜となりアウレニウスに言った言葉とされる。

 

「ソロモンよ! 我は汝に勝てり」ユスティニアヌス1世

 

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・483〜565

農家の出身から皇帝になった人物。ビサンツ帝国の領土を広げて、かつての大国であったローマに匹敵する大国を築いたことで大帝と呼ばれた。領土を拡大したユスティニアヌスはイスラム教の建造物に囲まれた立地に敢えてキリストの聖堂を建築させました。そこから上記の名言に繋がっていきます。

 

「正しい行動は知識だけよりも良いものだ。しかし、正しいことをするには何が正しいか、知る必要がある」カール大帝

 

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・742〜814

フランス母体であるフランク王国を現在のドイツ、フランス、北イタリアにまで領土を広げたことで大帝と言われた。しかし、彼の死後に領土を引き継いだ子孫は、王位を巡って争うようになり、ドイツ、フランス、イタリアに別れることになる。

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「あなたが何者であるかを放棄し、信念を持たずに生きる事は、死ぬことよりも悲しい。若くして死ぬことよりも」ジャンヌ・ダルク 

 

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・約1412〜1431

フランスとイングランドが王位を巡った百年戦争で颯爽と現れて戦況を変えた英雄が、ジャンヌ・ダルク である。農家の女性だったジャンヌは神の啓示を聞いて王太子シャルルをフランス王にすることを誓った。ジャンヌの登場でフランスは奇跡の逆転を成し遂げることになる。

 

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「風景こそが最大の師」雪舟

 

 

・1420〜1506

室町時代に活動していた水墨画家である雪舟は中国に渡って、己の技術を磨いた。中国各地を渡り、自身の水墨画が境地に達した雪舟は日本に戻って、創作活動を再開した。自然に対する描写に定評があった雪舟の画は従来の日本の画と異なっていたと言う。

 

「人はやり通す力があるかないかによってのみ、称賛または非難に値する」レオナルド・ダ・ヴィンチ

 

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・1452〜1519

万能の天才と呼ばれたダヴィンチは、あらゆる分野において天才的な才能を秀でいた。それらは努力によるものである。あらゆる分野で努力を続けてきたから到達した域なのだろう。しかし、ダヴィンチは生涯で最後まで完成させた作品は少ない。

 

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「美は余分なものの浄化である」ミケランジェロ

 

 

 

・1475〜1564

レオナルド・ダ・ヴィンチに並ぶ万能の天才。あらゆる分野で才能を見出したが、正確に難があったと言われている。内気で孤独を好み、短気で、浮いた話もなかったらしい。

 

「神にはスペイン語で、女にはイタリア語で、男にはフランス語で、馬にはドイツ語で話しかける」カール5世

 

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・1500〜1558

ハプスブルク家の最盛期を築いた神聖ローマ帝国皇帝でスペイン国王など、数々の国の王を兼任した皇帝。祖父のマクシミリアン1世の意向もあり、ハプスブルク家は世界各国に血筋を残したので、カール5世も多数の外国語を話せたと言われている。今回紹介する名言も言語能力の高いカール5世ならではと思われる。まあ、実際に流暢に話せるのは、フランス語とスペイン語のみだったようだ。

 

「私はか弱い女性に過ぎません。ですが王としての心と気概を持ってます」エリザベス1世

 

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・1533〜1603

「私は国と結婚している」とか数々の名言を残してイングランドの女王エリザベス1世は、元々王の継承権を持っていなかった。弟であるエドワード6世が崩御すると、イングランドの王位を巡って争いが勃発して最終的にはエリザベス1世が即位することになる。当時最強と言われた無敵艦隊アルマダを率いるスペインとの戦いでエリザベス「私はか弱い女性に過ぎません。ですが王としての心と気概を持ってます」と演説して味方を鼓舞した。戦争に勝利したエリザベスはイングランドを強国であると知らしめた。

 

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「是非に及ばず」織田信長

 

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・1534〜1582

戦国時代を終結に導いた織田信長は小国の大名に過ぎなかった。若き日は「大うつけ」と侮蔑されていたが、父の跡を継ぐと周囲の想像以上に躍進することになる。尾張を統一すると、桶狭間の戦いで今川義元を破り全国区になった。北上して美濃を攻略すると、上洛にも成功した。天下統一を目前にした織田信長だったが、明智光秀に離反を起こされる。その時「是非に及ばす」と明智光秀に立ち向かい、自身の運命を歯向かった。

 

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「負けると思えば負ける、かつと思えば勝つ。逆になろうと、人には勝つと言い聞かすべし」豊臣秀吉

 

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・1537〜1598

織田信長を跡を次いで天下を統一した豊臣秀吉は、元々は無名の足軽出身だったとされる。何でも「人たらし」つまりは人に好かれる才能の持ち主だった。彼の優秀な部下である黒田官兵衛や竹中半兵衛も、秀吉が勧誘したから下に就いたとされる。彼が名乗った「羽柴」も柴田勝家、丹羽長秀など信長の重鎮に好かれるためだろう。人並外れた人身掌握術があたからこそ、秀吉は天下を統一することができたのだ。

 

 

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「人の一生は、重き荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思えば、不足なし」徳川家康

 

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・1543〜1616

織田信長、豊臣秀吉、の次に天下を統一した徳川家康は辛抱強く好機を待っていた。今川家で人質として育った家康は、尾張の織田信長が台頭を始めたことで、今川縁を切り、織田の傘下に入った。武田信玄に屈辱的な敗北を喫しながらも、天下統一を伺っていた家康だったが、信長の死にいち早く行動を起こした秀吉に先を越されてしまう。秀吉の死後には、長い下積み時代に培った人身掌握術を生かして、関ヶ原の戦いで圧勝することができた。

 

「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」ウィリアム・シェイクスピア

 

 

 

・1564〜1616

ロミオとジュリエット、リア王など、数々の名作を世に放った劇作家。俳優として活動する傍で劇作家をするようになったと言われている。実は謎が多く、実在しない説もある。

 

「それでも地球は動いている」ガリレオ・ガリレイ

・1564〜1642

それでも地球は動いている。この言葉を残したガリレオ・ガリレイは、裁判の結果として投獄されることになった。この事件の背景には宗教と政治的な対立にガリレイが巻き込まれた見方もできるようだ。

 

「普段から本番のように、本番は普段のように」宮本武蔵

 

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・1584〜1645

剣客として無類の強さを誇った宮本武蔵は、若き日から武者修行に励み「二天一流」の開祖になった。実は出生ついては不明な点が多く、有名な巌流島の決闘も創作の可能性も高い。しかし、兵法書である五輪書など、生涯をかけて到達した戦いの境地を後世に、残っているので実在はしたのだろう。

 

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「我思う故に我あり」ルネ・デカルト

 

・1596〜1650

哲学者のデカルトは理性とは何か? 万物とは何か?と考え抜いた結果として、自由で自主性を持った自我を発見した。個人の自我の集合体が社会や国を基本をなす存在であると考えた。

 

「必要の前に法律はない」クロムウェル

 

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・1599〜1658

イングランド王チャールズ1世を処刑に追い込んだクロムウェルは「王殺し」と呼ばれた。独裁で苦しんでいた国民に成り代り、立ち上がったクロムウェルは鉄騎隊を結成して、チャールズ1世を処刑に追い込んだ。一連の事件の立役者となったクロムウェルは護国卿となり、イングランドのトップになった。ところがクロムウェルは独裁に走り、再び王政に戻ることになる。

 

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「神は全てを数と重さと尺度から創造された」アイザック・ニュートン

 

 

 

・1642〜1727

「万有引力の法則」「微分積分法」「光の分析」などを発見した物理学者であるニュートンは、この三つの発見を田舎に帰った一年半の間に着想を得た。なぜ田舎の故郷に帰ったかと言うと、ロンドンを中心にペストが流行したからだそうだ。ちなみにニュートンは株で大損したことがある。

 

「音楽だけが世界語であり、翻訳される必要がない」バッハ

 

・1685〜1750

バッハは死後から100年後に評価されて「音楽の父」とまで言われるようになった。生前のバッハは13人の子供の父親でありバッハ音楽一族の父としての認識が強かったらしい。それが時代を超えて評価されて大バッハとなり、音楽の父となった。

 

「奴隷は彼らの鎖の中で全てを失う。そこから逃れたい欲望までも」ジャン=ジャック・ルソー

 

・1715〜1778

国家を作り上げるのは国民であるが、統治者は必要だ。しかし国民は統治者の奴隷ではない。国民は国を良くするために統治者を選び、統治者は国を良くすることを国民に約束しなければならない。

 

「私は最後の日に至るまで、誰よりも慈悲深い女王であり、必ず正義を守る国母でありたい」マリア・テレジア

 

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・1717〜1780

女帝。神聖ローマ皇帝の娘であったが、女性であるマリアが皇帝になることを周辺諸国が反対したので、オーストリア継承戦争が勃発した。所詮は女であると、高を括っていた周辺の大国たちは、マリアの皇帝に相応しい冷静で非凡な才能に満ちた姿に皇帝の器があると認めざるを得なかった。

 

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「最大多数の最大幸福」ジェレミ・ベンサム

 

・1748〜1832

イギリスの哲学者であるジェレミ・ベンサムは「功利主義」を掲げた。功利主義とは個人の幸福が社会の幸福であると言う考えである。ベンサムは、国民が幸福になるために政治が策を講じるべきであると主張した。

 

「時よ止まれ。お前は美しい」ゲーテ

 

・1749〜1832

ドイツの大作家ゲーテの「ファウスト」の主人公が最期に語った言葉が「時よ止まれ。お前は美しい」だ。これは時間を止める事はできないが、「死」と言う最後のイベントこそが永遠を実現する唯一の方法である。と言う事らしい。

 

「愛、愛、愛。それこそが天才の真髄である」モーツァルト

 

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・1756〜1791

幼少期から天才と評価されたモーツァルトは二十歳を超えても作曲家としての情熱を燃やし続けた。それは偏に音楽への愛だったようだ。天才であるが故にやはり感性は別格だと思われる。下ネタが大好きで、幼少の頃にはマリア・テレジアに大人になったら僕のお嫁さんにしてあげるなど、求婚をしたこともあるようだ。

 

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「余の辞書に不可能という文字はない」ナポレオン

 

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・1769〜1821

フランス革命の混乱期に颯爽と現れた英雄ナポレオンは、「余の辞書に不可能という文字はない」と言った。ナポレオンはフランスに買い取られたコルシカ島の出身であり、フランス人として認識は低く、出世する可能性もなかった。しかし、フランス革命によって貴族出身の軍人が出奔すると、優秀だったナポレオンは出世していき、ついにはフランス皇帝になった。

 

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「音楽とは、男からは炎を打ち出すもので、女から涙を引き出すものでなければならない」ベートヴェン

 

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・1770〜1827

幼少期から神童と評価されたベートヴェンは、20代後半で聴力を徐々に失って行った。それでも音楽への情熱が尽きなかったベートヴェンは、数々の名曲を書き続けた。また音楽の革命児でもあり、大衆に向けての音楽制作やカツラを被るの主流だった宮廷音楽のルールに背いた。

 

「人生は短く、真理は長し。さあ、真理を語ろう」ショーペンハウエル

 

・1788〜1860

ドイツの哲学者であるショーペンハウエルは著書「意思と表象としての世界」で上記の言葉を語った。思想の中心は主体であり、根底には生存本能がある。故に生きる事は辛い。主体がぶつかり合う世の中では争いが絶えない。

 

「僕の音楽は、僕の苦悩から生まれるのだ」シューベルト

 

・1797〜1828

シューベルトは生前にあまり評価されることがなかった音楽家だ。7歳の頃から音楽の才能に目覚めたが父の反対もあり音楽の道を一旦は諦めて教職に就いた。しかし、音楽への情熱を捨てきれなかったシューベルトはフリーの音楽家としての活動を始めた。困窮な生活の末に不治の病によって、31歳で亡くなった。孤独や病と戦ったシューベルトの作品は死後に評価された。

 

「どんなに偉大な芸術家でも、初めはみんな素人だった」ラルフ・エマーソン

 

・1803〜1882

アメリカの思想家であるエマーソンは、万物は神につながっていると主張した。人間は日々の努力によって可能性を広げることができる。南北戦争によって混乱するアメリカでエマーソンは、人間の可能性を追求を続けた。

 

「私有財産は窃盗である」ピエール・プルードン

 

・1809〜1865

無政府主義者であったプルードンは、人間社会の不平等は財産にあると考えた。資本主義の社会では富裕層が財産を独占して、貧困層から財を搾取しているとプルードンは感じたそうだ。

 

「人民の人民による人民のための政治」リンカーン

 

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・1809〜1865

エイブラハム・リンカーンは黒人奴隷売買に激しい怒りを覚えアメリカを変えようとした。リンカーンが大統領になったアメリカは分裂して南北戦争が勃発する。戦争の終わりがけの演説で例の名言を言い、あらゆる世代に大きな衝撃を与えたと言う。しかし、戦争の終結から六日後にリンカーンは暗殺されてしまった。

 

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「私を真似てはけない。これは私だから成功したのだ」フランツ・リスト

 

・1811〜1886

超絶技巧のピアニストで知られるフランツ・リストは、「ピアノ魔術師」と呼ばれた。容姿に優れて、誰にも真似できない超絶技巧の演奏技術を体得したフランツだからこそ、達した境地である。だからこそ真似することに意味はない。

 

「問題は演説や多数決ではなく、鉄と血によって解決される」ビスマルク

 

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・1815〜1898

ドイツの統一に貢献したオットー・フォン・ビスマルクは、鉄血宰相と呼ばれた。名言通りドイツを統一するには鉄=武器、血=兵士が流す血、が必要であると心を鬼にしたのかもしれない。ドイツ統一の英雄と称されたビスマルクの80歳の誕生日には4万つを超える手紙と1万近い祝電があった。

 

「死に至る病とは絶望のことである」セーレン・キュルケゴール

 

・1813〜1855

20世紀になると、植民地、戦争、貧困、飢餓、などの人類の負の感情が爆発すると示唆した19世紀の哲学者がキュルケゴールである。彼は、いかに理想と追求を続けても死によってもたらされる絶望は回避できないと考えた。

 

「貧しくても、生活を愛したまえ」ヘンリー・ソロー

 

・1817〜1862

アメリカの思想家であるソローは、2年2ヶ月を及んだ自給自足の生活をノンフィクション文学として出版したことがある。森での過酷の生活によって、ソローは「貧しくても、生活を愛したまえ」と語った。

 

「各時代の支配的な思想は、どの時代でも支配階級の思想である」カール・マルクス

 

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・1818〜1883

資本論などの著作を残したカール・マルクスは、労働者は資本家によって搾取されているから、格差があると主張した。資本主義が根本から間違いであるから、労働者が団結して戦うべきであるとマルクスは訴えた。

 

 

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「一般にすべて他人の不幸というものは、どんな場合でも傍観者の目を楽しませるようなものを含んでいる」ドストエフスキー

 

・1821〜1881

罪と罰やカラマーゾフの兄弟なとの生み出したロシアの作家。若い頃に社会主義運動に参加したことで死刑判決を受けたことある。運良くシベリア送りなり、出所すると作家活動をスタートして59歳で亡くなった。

 

「もうここらでよか」西郷隆盛

 

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・1828〜1877

薩長同盟によって武力による倒幕を現実にした西郷は戊辰戦争に勝利して、江戸城無血開城を実現した。明治維新の後は新政府で政治に携わった。仲違いで薩摩に帰った西郷だったが、新政府への不安を積もらせた士族の頭領となり、西南戦争が勃発した。西郷は負けることがわかっていたが仲間のために戦うことを決断したと言う。

 

「私は小鳥が歌ように、絵を描きたい」クロード・モネ

 

・1840〜1926

フランスの画家であるモネは「睡蓮」などの綺麗な風景画を描いた。絵の具本来の質感を生かした描写は、自然界の光や大気、水面に反射する光を上手く表現した。

 

「自然がつくりあげたものこそが美しい」アントニ・ガウディ

 

・1852〜1926

サグラダ・ファミリアで知られる建築家ガウディの自然を模範することが最も美しいと考えた。「世の中に新しい創造なんてない。あるのは発見である」と言葉通り、昆虫や蜥蜴が描くこともあった。後年はサグラダ・ファミリアの建築に集中した。完成には300年はかかると言われていた。

 

「何を後悔することがなければ、人生はとても空虚なものになるだろう」ゴッホ

 

・1853〜1890

ゴッホは死後に評価された画家である。彼は失敗に失敗を重ねるような辛い日々に耐えかねて拳銃自殺によって亡くなった。「99回倒れても。100回立ち上がればいい」と言葉を残しているが、最後には倒れてしまったようだ。

 

「私の芸術は、自己告白である」ムンク

 

・1862〜1944

「叫び」で有名なノルウェーの作家であるムンクは、自身の不幸を作品に表現していると言われている。ムンクは幼少期に母、姉を亡くして、自身も病に苦しんでいたと言う。彼の作品には不安や死への恐怖が表現されていたからこそ上記の名言が生まれた。

 

「人々の力になること、これは人類の共通の義務なのです」キュリー夫人

 

・1867〜1934

1903年に女性として初めてノーベル賞を受賞した。1911年にもノーベル科学賞を受賞している。輝かしい実績があるがその生涯は女性差別との戦いであった。母国のポーランドが女性の進学に反対する土地柄、最初のノーベル賞での推薦状でも意図的に名前を外された。そんなキュリー夫人に不倫のスキャンダルが飛び交うと大バッシングを受けた。

 

「呑気に見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする」夏目漱石

 

・1867〜1916

吾輩は猫である、こころ、など名作を生んだ日本の作家。若い頃の夏目漱石は、高校の教鞭を取るがこの頃から強迫観念に悩むようになり、ロンドンに留学した時も、精神的な不調を訴えていた。日本に戻ってからも不調は続いたが、作家として評価されるようになる。

 

「国家がある限り自由はない。国家の消滅が自由を打ち立てるのだ」ウラジミール・レーニン

 

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・1870〜1924

人類史上初の社会主義を実現したレーニンは、貴族の生まれでありながら階級社会への不安を持った子供であった。革命運動に参加していた兄の意思を継いだレーニンは、十月革命によってソビエト連合を樹立することに成功した。レーニンの死後にソビエト連合は崩壊することになる。

 

「世界で最も貧しい人は、金以外の何も持っていない人である」ジョン・D・ロックフェラー

 

・1839〜1937

石油王と呼ばれたジョン・ロックフェラーは、16歳で小さな会社に就職して、後に油田を発見して当時最大規模の精油会社を摂理した。58歳まで現役を引退するまで会社を大きくして多大な財産を築いた。後半が名言を示唆するように慈善事業に力を入れた。

 

「神は死んだ」フリードリッヒ・ニーチェ

 

・1844〜1900

19世紀最大の哲学者の一人がニーチェである。近代の幕開けが迫るヨーロッパでは今だに神への信仰が強かった。ニーチェは「神は死んだ」つまりはキリスト教精神の終わりを告げた。この思想は20世紀を築く上での基盤となった。

 

「天才とは1%のひらめきと、99%の努力である」トーマス・エジソン

 

・1847〜1931

とても有名な名言だと思う。発明王エジソンが亡くなった翌年に公表された言葉のようで、実際に発言したかは信憑性に欠ける。晩年は死人との交流を目指して、霊媒的な通信機の発明に明け暮れたそうだ。

 

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「意識は精神過程の最も一般的な性質でありえず、特殊な一つの機能に過ぎない」ジグムント・フロイト

 

・1856〜1939

オーストリアの医師であったフロイトは無意識の重要性を指摘した。精神は意識だけではなく無意識の役割も強く、強い欲求は無意識によって抑制されているとフロイトは突き止めた。

 

「愛とは作るものではなく、与えるものである」ニコラ・テスラ

 

・1856〜1943

エジソンとは相入れない関係であったニコラ・テスラは、天才肌の発明家であった交流電気方式、無線操縦、蛍光灯などといった現在も使われている技術も多く、また「世界システム」なる全地球的送電システムなどの壮大な構想も提唱した。

 

「音楽は心で生まれ、心に届かなければ意味がない」ラフマニノフ

 

・1873〜1943

ロシアのピアニストであったラフマニノフは、クラシックの王道と呼ばれる独特な音楽に拘った。当時は古臭いと酷評されたが、彼が自身の音楽に自信を持ち続けた。数年後アメリカに移住することを決めたラフマニノフは、新天地で評価されるようになり。現代でも高い評価を受け続けることになる。

 

「誰よりも三倍、四倍、五倍勉強する者。それが天才だ」野口英世

 

・1876〜1928

黄熱病や梅毒の研究で知られる野口英世は、アメリカで批判された。日本人は睡眠を惜しんで研究に取り組んでいる。まるで実験モンスターだ。この揶揄に対して野口英世は、上記の名言を言った。英世は後先考えずに動く行動力が持ち味であったが、多額の借金を抱えるなど、欠点でもあった。

 

「私が人のために働くようになってからは、人も私のために働いてくれた」フランクリン・ルーズヴェルト

 

・1882〜1945

「暗黒の木曜日」と呼ばれる歴史的な株価の大暴落よって世界恐慌が始まった。倒産、銀行の閉鎖など経済は不安定になり、1300万人の失業者が生まれる結果となった。フランクリン・ルーズヴェルトは「ニューディール政策」によってアメリカの経済回復に奮闘した。

 

「拳と握手ができない」マハトマ・ガンディー

 

・1869〜1948

ガンディーが弁護士を目指して、イギリスに留学をした。しかし白人至上主義のイギリスでの屈辱的な生活を経験して、権利の回復運動に参加するようになる。50歳近くになると、インドに戻り独立運動を起こした。独立には成功したが、ヒンドゥー教とイスラム教を統一する事は叶わず暗殺された。

 

「小さな嘘よりも大きな嘘に騙されやすい」アドルフ・ヒトラー

 

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・1889〜1945

ドイツで独裁体制を敷き、反ユダヤ主義思想を植え付けて、世界を混乱に陥れたヒトラーは大衆を上手く扱う術を心得ていた。演説で遺憾無く才能を発揮したヒトラーは人々を騙して、第二次世界大戦を勃発させた。

 

「20歳までに自由主義でなければ情熱が足りない。40歳までに保守主義者でなければ知能が足りない」ウィンストン・チャーチル

 

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・1874〜1965

ナチスドイツのヒトラーが台頭した第二次世界大戦で首相だったチャーチルは、英国を鼓舞して連合国の勝利に貢献した。チャーチルは偏屈者で有名で数々の皮肉を吐き捨ててたことでも有名だったりする。子供の頃も勉強は好きではなく、本ばかり読んでいたようだ。

 

「一生に一度のスリルしか味わえない、最高のスリル」アルバート・フィッシュ

 

・1870〜1936

ブルックリンの吸血鬼と呼ばれたアメリカ最悪のシリアルキラーの一人。幼少期から特殊な性壁を持ったフィッシュは、離婚をきっかけに凶行に走ったと言われている。本人の証言曰く、400人が被害にあった。電気椅子での処刑で上記の発言をした。

 

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「大衆が見たいのは銃と女の子である」デヴィッド・ウォーク・グリフィス

 

・1875〜1948

映画黎明期に活躍した映画監督で、映画の父と呼ばれることもある。彼の言葉である「大衆が見たいのは銃と女の子である」は現代でも通用する大衆が求める心理と言える。大抵の映画はアクションとエロスがあれば大体ヒットする。

 

「神はサイコロを振らない」アインシュタイン

 

・1879〜1955

相対性理論などを発表した物理学者。上記の名言は親交のあった物理学者に対して、送った手紙の内容だそうだ。ちなみに批判しているらしい。アインシュタインの写真と言えば舌を出しているものが有名だが、彼は写真嫌いで残っている写真は全て仏頂面らしい。

 

「人生はどちらかです。勇気を持って挑むか、棒にふるか」ヘレン・ケラー

 

・1880〜1968

一歳半で聴力、視力、話すこともできなくなったヘレンは、家庭教師のサリヴァン先生との出会いで努力を重ねるようになり、21歳になったヘレンは誰もが無謀と思ったハーバード大学付属女子大への入学を許可された。ヘレンは奇跡の人として脚光を浴びることになる。

 

「優秀な芸術家は模範し、偉大な芸術家は盗む」パブロ・ピカソ

 

・1881〜1973

生涯で1万点を超える作品を世に残したピカソは、過去の作品や流行の作品によく似た作品を多く残していた。盗作であると疑われても仕方ない作品も多かった。しかし、作風に一貫性がないことは、彼の技術の高さを表してると思う。

 

「人生に必要なもの。それは勇気と想像力。そして少しのお金だ」チャップリン

 

・1889〜1977

喜劇王チャップリンが、映画の中で「一人を殺せば犯罪者となり、戦争で100万人を殺せば英雄を生み出す」とセリフではあるが、言い放った。これが原因でアメリカに入国できなくなった。アメリカでスターであった彼の影響力がよく現れるエピソードである。

 

「正しく見ることができるのは心だけだ。最も重要なものは目には見えないんだ」サン=テグジュペリ

 

・1900〜1944

全世界で2億冊以上の発行部数を誇る「星の王子様」の作家がサン=テグジュペリだ。フランス人である彼は第二次世界大戦が勃発するとパイロットして、飛行機を操縦した。皮肉にもテグジュペリの小説に憧れてパイロットになった敵に撃ち落とされた。

 

「男が決して仕事のために、家族を犠牲にしてはならない」ウォルト・ディズニー

 

・1901〜1966

ミッキーマウスを生み出した世界的なアニメーション作家。高校生になると、夜間の美術学校に通いながらイラストの勉強をはじめた。終戦後にアニメーターとなり、ハリウッドに進出するが、大手映画会社に潰されてしまう。そこで仲間たちとアイディアを集結させて生まれたのがミッキーマウスである。世界的に人気となったミッキーによって、ディズニーは大人が楽しめる遊園地を建設することを考えて「ディズニーランド」を開園した。

 

「まずは「出来る」って言う。方法はそれから」円谷英二

 

・1901〜1970

ゴジラやウルトラマンを生んだ特撮の父こそが円谷英二である。様々な撮影方法を試みたと言われていて、撮りたい場面は何としても撮ろうとアイディアを巡らせた。特撮技術を磨いた円谷は、ゴジラやウルトラマンを生み出すことになる。

 

「天才になるには、天才のふりをすればいい」サルバドール・ダリ

 

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・1904〜1989

自身を天才と煽っていた天才芸術家であるダリは奇抜な行動が目立つ人物であった。しかし、上記の名言の通りには彼は自身の才能を疑い、迷うな一面もあったと思われる。奇抜な行動も狙ってやっていたことで、すべてはエンターティメントだったのだろう

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「人間の自由の刑に処せられている」ジャン=ポール・サルトル

 

・1905〜1980

フランスの哲学者サルトルは、人間は世界に理由もなく投げ込まれて存在するが、主体性は自身が持つものなので、どう生きるかは自由であると語った。

 

「あなたが行く先々で、愛を広めてください。あなたが出会った人たちが、より幸せになって去っていきますように」マザーテレサ

 

・1910〜1997

 

裕福な家庭で育ったマザーテレサは、厳格なカトリック修道として教育を受けた。とある日に神からの啓示を受けて慈愛の精神で貧しい人々のために働くようになる。社会から省かれた人々を支援する施設に多く携わったテレサは、ノーベル平和賞をはじめ世界中から称賛された。

 

「相手に人間だと思わせることができなら、コンピューターは知的と呼ぶにふさわしい」アラン・チューニング

 

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・(1912〜1954)

「AIの父」と評される数学者。第二次世界大戦でナチスドイツの暗号「エニグマ」の解読を成し遂げた。1941年には人工知能の可能性をいち早く論文にまとめて公表した。同性愛者であったチューニングは、去勢を強制されて自殺した。

 

「自由のために死ぬ覚悟がなければ、「自由」と言う言葉をお前の辞書から消すがいい」マルコムX

 

・1925〜1965

キング牧師とは違い暴力的であっても黒人の人権を取り戻すべきだと主張した指導者。元々は黒人至上主義の団体に所属していたが、黒人の差別がアメリカの話ではなく国際問題であると考えを改めて、団体を脱退する。しかし、元いた団体との考えの口違いから暗殺された。

 

「私には夢がある。それは、いつの日か子供達が肌の色によってではなく人格によって評価される国に住むと言う夢である」キング牧師

 

・1929〜1968

幼少期から黒人が差別される環境で育ったキングは、牧師となり権利回復運動に務めた。黒人の女性が白人優先席を譲らなかったことで逮捕された事件を景気に黒人の人権回復運動が活発化することになり、上記の名言を演説した。

 

「ドラマとは退屈な部分がカットされた人生である」アルフレッド・ヒッチコック

 

・1899〜1980

「サイコ」で知られる20世紀を代表するサスペンススリラー映画の巨匠。ヒッチコック・タッチと呼ばれる独特の映像表現を確立することで、芸術性が皆無とされたサスペンス系の映画の地位を上げた。

 

「地球は青かった」ガガーリン

 

・1934〜1968

世界初の有人ロケットから初めて地球を見た宇宙飛行士の言葉。初の有人飛行はかなり危険なもので、高度7000メートルからパラシュートでの脱出だったらしい。また158センチと小柄であったこともガガーリンが選ばれた要因だったとされる。

 

 

「人を信じよ。しかし、その百倍自らを信じよ」手塚治虫

 

・1928〜1989

漫画の神様と評される伝説的な漫画家。子供の頃にチャップリンの喜劇映画や、ディズニー映画に感化された。母から買い与えられた漫画は200冊を超えるようで、見様見真似で書くようになった。終戦後に漫画の連載を勝ち取る傍で、医大生として勉学に励んだ。教授や母からの説得もあって手塚は漫画家を志した。鉄腕アトム、ジャングル大帝レオ、ブラックジャックなど数々の名作を世に残した。

 

「人間の本性を無視した社会制度は、おそらく失敗するだろう」スタンリー・キューブリック

 

・1928〜1999

「シャイニング」や「時計じかけのオレンジ」などを手掛けた映画監督。26歳で映画監督デビューを果たしたキューブリック は、独特な撮影方法、現実主義でブラックユーモアが強い作品を多く世に残した。時計じかけのオレンジがブラック過ぎたので、監督本人が脅迫されるなど、社会問題になった。

 

「近視眼的な投資では理性を失い、結果としてお金と時間を失う」ウォーレン・バフェット

 

・1930〜

世界最大の投資持株式会社であるバークシャー・ハサウェイの会長兼CEOを務めるのが、ウォーレン・バフェットである。長期投資スタイルを基本スタイルとして、多額の資産を得た。その資産は770億ドルに近いとされる。

 

「宇宙はどうして存在するという面倒なことをするのか?」スティーブン・ウィリアム・ホーキング

 

・1942〜2018

車椅子の物理学者で知られる。ブラックホールの特異点の存在を発表したことで、アインシュタインの一般相対性理論を破たんさせた。また、タイムトラベルは不可能であるとも語っている。

 

「反対があるのは健全なこと。本当に力のあるアイデアか試されるわけだから」ビル・ゲイツ

 

・1955〜

アメリカのプログラマーであり、マイクロ・ソフトの元会長顧問である。中学2年生の時にコンピューターと出会いのめりこんで行ったビル・ゲイツはハーバード大学を中退して、マイクロソフトを操業した。Windowsを開発したことで、10年で5000億を超える市場価値に成長した。

 

「本日、アップルが電話を再開発します」スティーブン・ジョブス

 

・1955〜2011

アップルの創業者であるジョブスは、人間の関係の問題で役職を解任された。要はアップルの創業者でありながら、外に追い出されたのだ。しかし、10年後にアップルのCEOとして返り咲く事になる。そこからアイフォンなどを発表して、世界を驚かせた。

 

「変わらないものを軸に戦略を立てろ」ジェフ・ベソス

 

・1964〜

世界最大のネットショッピングサイトAmazonを創立した。2018年にはビル・ゲイルを抜いて世界最大の資産家になっと言われている。若い頃は金融会社で優秀なビジネスマンをしていたが、ネットの利用率が上昇していることを知ると、それまでの地位を捨てて、オンライン販売をはじめた。マーケティングの結果書籍は最も売れると踏んで、Amazonを創立した。

 

「インターネットとは結局のところ、「人々が求めているものを与えるようにつくられた巨大な装置」だ。それはユートピアでも魔法でもない。単なる、便利さのためのエンジンだ」エヴァン・ウィリアムズ 

 

・1972〜

Twitterなどを開発したアメリカの実業家。ウィリアムズは、人間の基本的な問題はより速くシンプルであるべきであると考えた。Twitterの創業にはウィリアムを含めて四人の人物が関わっているが、社長はコロコロ変わっている。

 

「そんなバカなことはできない」と誰もが思うことならば、競争相手はいないも同然だ」ラリー・ペイジ

 

・1973〜

Googleの創業者の一人で、元最高経営責任者。父は人工知能技術の教授で、母はプログラミングの講師をしていた。まさにサラブレッドであったラリー・ペイジは、大学在学中にGoogleを創業した。上記の名言を体現していったペイジは、Googleを世界的なものにした。

 

「誰もが目的意識を持つ世界を創造することが私たちの挑戦です」マーク・ザッカーバーグ

 

・1984〜

Facebookを創業したエンジニアであり、経営者。ハーバード大学在学中にFacebookを開発したザッカーバーグは、大学を中退して経営に専念した。ネット上のプライバシーや知的財産などの問題で大学とは揉めたらしいが、2017年にはハーバードの卒業式に招かれてスピーチをした。