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偉人の息子も偉大なのか? 悲劇、残念な五つの例

偉人の息子は偉大なのか?
父親が優秀だと周囲からのプレッシャーで、息子はダメになるみたいな話はプロ野球など、スポーツの世界でよくある話だと思う。今回紹介するのは歴史上の人物バージョンになります。偉大な親に反発したパターンもあれば、父を越えようと努力した者もいたりと、成功したかは何とも言えませんが父に対して思いがあった息子は多いようです。

ナポレオンの息子『ナポレオン二世』

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フランス革命による混乱で大出世した英雄ナポレオンは、皇帝を継ぐに相応しい男子を望んだ。最初の嫁であるジョセフィーヌと離縁することを決めたナポレオンは、ローマ皇帝の娘であるマリー・ルイーゼと結婚して、待望の男子ナポレオン2世が生まれた。生まれた時からローマ王の座位が確約されるなど、父のナポレオンは大いに期待していた。2世が最初に発した言葉が「パパ」だったらしいので、可愛がられていたことがわかる。ところが、ナポレオンが戦争で敗北すると状況が変わってくる。父ナポレオンは島流しとなり、息子ナポレオン2世とは二度と会うことなく亡くなった。幼少期から異常なほどナポレオンに関心を持ち、憧れていた2世は泣き叫んだ。成長したナポレオン2世は父と同じ軍人となる道を選ぶ。早朝から訓練に励むなど努力家であったが、肺が弱く虚弱体質だったことで体調を崩して21歳で亡くなった。自身を父ナポレオンと比較して、虚弱であることを嘆いていたと言う。


マリーアントワネットの息子『ルイ17世』

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ルイ17世はかなりエグい生涯だった。フランス王ルイ16世とマリー・アントワネットがフランス革命の混乱によって、処刑されたのはご存知だと思います。王族であったルイ17世も処刑こそされなかったものも、生き地獄を味わうことになる。幼少期は宮殿で優雅な生活を送っていたが、フランス革命によって、タンプル塔に幽閉されることになった。最初こそは普通の生活を送っていたが、次第に待遇が悪くなり、ルイ17世は家族と引き離された。そして、マリー・アントワネットの処刑を望む者によって、自慰を覚えさせられて、マリー・アントワネットはルイ17世の自慰を見て喜び、近親相姦も経験していたと、ありもしない嘘がでっち上げられた。息子に対する虐待と言う冤罪で、マリー・アントワネットは処刑されてしまい、ルイ17世の待遇はますます酷くなる。光が差し込まない室内で、衣類の交換はなし、トイレもないので室内は排泄物まみれ、など不清潔な環境で生活することを強要された。毎晩のように監視人に罵倒され、暴力を恐れて萎縮した。やっと解放されたルイ17世は、衰弱を超えて死にかけていて、一人で歩くこともできなかった。ルイ17世への待遇が明るみになりフランス全土で話題になると、スペイン王室はルイ17世の身柄を求めたが、時は既に遅くルイ17世は亡くなった。10歳であった。


エジソンの息子『トーマスジュニア』

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エジソンに6人の子供がいました。父のエジソン同様に研究者になり実績を残した者もいれば、政界に進出した子供もいます。今回は一番最悪な息子を紹介したい。彼の名はトーマス・アルバ・エジソン・ジュニアで、エジソンからすると長男にあたる人物です。発明王エジソンと呼ばれるような人物の子育てはやはり斬新で、特殊であった。朝食でクイズを出題して、答えるのが遅いだけでスプーンで叩かれたりしたそうだ。ジュニアによって厳格な父との生活は退屈で、苦悩な日々であったと思われる。学校を中退したジュニアはニューヨークに移り住み、エジソンの名前を使いビジネスを始めた。研究者としての腕はイマイチであったが、エジソンのネームバリューの大きさを理解していたジュニアは、立て続けにビジネスを展開していきます。ただ、どれも失敗してしまう。ついには全く関係ない商品にエジソンの名前を使う権利を売りはじめたらしい。これに父であるエジソンがキレて、生活費を負担するから、エジソンの名を捨てるように言われてしまった。エジソンはジュニアを「無能」であると辛辣な評価を下した。

チャーチルの息子『ランドルフ・チャーチル』

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イギリスの首相ウィンストン・チャーチルは、有名な政治家である。父や祖父も有名な政治家で、先祖を辿ると17世紀頃から出世していき古くから政治に関わっていたりと、ものすごいエリート一族だったりする。その息子ランドルフ・チャーチルも大変優秀かと思うが、そんなこともない。ランドルフは、喧嘩、酒、女と気性が荒く、手に付けない傍若舞人だったのだ。ジャーナリストになることを決めたランドルフだったが、免れたパーティで大暴れして、怪我人を出しても何事もなかったように飲み続けた。気に触ることを言われたのか、作家の奥さんに暑いコーヒーを浴びせたこともあったようだ。ジャーナリスト、作家としては父であるチャーチルの伝記を数多く出版している。ジョン・F・ケネディの伝記を書く話もあったようなので、名家に相応しい能力はなくとも、一定水準の能力はあったのかもしれない。


ガンディーの息子『ハリラール』

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偉大な父の息子が優秀とは限らない。ガンディーは独立運動をはじめる前にイギリスで、弁護士を約20年続けていた。なので弁護士になるために単身で留学をしていたガンディーは、ハリラールとは一緒に生活はしていなかった。ハリラールは成長すると父と同様に弁護士になることを決意して、留学することを望んだが、ガンディー は拒んだ。ガンディーは私有財産を持たないようにしていので、留学させることができなかったのだ。ハリラールは知人から援助してもらえる約束をこじつけるが、その報告を聞いたガンディーは別の人物を海外に留学させてしまった。激怒したハリラールはガンディーと親子の縁を切って、飲酒、女遊び、借金など、遊びまわった。8歳の娘を犯すなど最悪な罪まで犯してしまう。