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偉人の年収とは? みんなが知りたい偉人のお金事情10選

今回はお金の話です。現代の日本人の平均年収はざっくり400万円くらいだそうですが、果たして歴史に名を残した偉人はお給料をどれくらいもらっていたのか。当時の金額を現代での価値で換算しているので、もはや意味のわからない資産を誇った偉人もいますが、グーグルの創設者であるラリーペイジの純資産が13兆円と言われています。Googleが世界を征服したと仮定すれば、一国のトップになって何千億稼いでいたとしても現実的かも知れません。

 

 

 

 

リンカーン

 

『人民の人民による人民のための政治』と言う名言で知られる16代アメリカ大統領のリンカーンの年収は5億とされています。現代の大統領や日本の総理大臣が、5千万に満たないことを鑑みると、破格の年収と言えます。リンカーンは学校にすら通えない貧困層の出身で、独学を勉強を続けていたとされています。弁護士になったリンカーンは、3千万円、政治家に転職した頃には1億を超えたとそうです。とんでもない成功と言えます。これらの活躍の裏には嫁の力が大きいと言われている。嫁のメアリー・トッドは裕福な家庭の育ちで、ヒステリックを引き越すことがしばしばあったようです。頭を木片で叩かれたりとか。DV被害に悩んでしたようです。リンカーンはそんな嫁の特性を交際当初から察していたようで、結婚を『地獄だよ』と揶揄しました。そんな恐怖に打ち勝つために、リンカーンは結果を出さねくてならなかったようです。リンカーンはお金に興味がなかったようで、暗殺された頃に、資産は17億円に膨れ上がっていた。

 

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渋沢栄一

 

新たなる一万円札の顔に選ばれた渋沢栄一は500を超える企業に携わったと言われる実業家である。引退後も福祉や教育関係に力を注いだ。人生を精力的に活動を続けていました。余談ですが、愛妾も数多くいたようで、100人の子供がいたとかいないとか。渋沢栄一が最後に認知した子供は、渋沢が68歳の時のようです。渋沢栄一は農家の出身でした。幼少から学問に興味を持ち熱心に勉強をしていたようです。コミニュケーション能力の高さから、武士に転職した渋沢栄一は出世をしていくことになり、徳川慶喜に仕える事になる。慶喜が将軍になったことで渋沢はヨーロッパに留学した。この頃の渋沢の年収は、640万とされる。幕府が崩壊した後は実業家として、成功を治める事になる。実業家としての年収は最大でも約4億だったとされます。引退後も2億2千万近い年収だった。生涯を精力的に活動を続けた渋沢栄一だったこその年収と言えます。

 

織田信長 

 

1750億円と言われています。戦国時代を終焉に導いた英雄らしいずば抜けた金額なのではないでしょうか。戦国時代では年収を公開する習慣がなかったので正確な数字はわかりませんが、憶測だそうです。年貢だけでも年間で、255億から375億円。金や銀を採掘できる山をいくつも所有していたのですが、採掘量は不明みたいです。しかし、1万枚の金貨を製造していたとも言われるのでどうにも判断は難しいようです。ちなみに、秀吉は550億円、家康が1000億年も稼いでいたようです。

 

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西郷隆盛

 

明治維新により新たな日本の礎を築き、最後の内戦とされる西南戦争で華々しく散ったとされる西郷隆盛ですが、意外にも1億2千万円の年棒をもらっていたようです。明治時代になると西郷の年収は跳ね上がったようですが、自身の体調が悪いこともあり、政府を去ることを決断しました。政府側は2億円の不労所得を出してまでも、西郷を止めたようです。西郷隆盛には質素で贅沢な生活を好まないイメージがあるようですが、実際は当時の政治家と比べたら、質素であったと言われるだけだった。民間人と比べたらかなり贅沢な部類とされるようです。

 

カエサル

 

780億円。この額はカエサルの年収ではありません。借金です。カエサルはハゲで、巨額の借金を背負っていたことで知られていますが、その額は桁違いでした。これだけの借金を背負っていても、カエサルはローマのトップに立つことができました。どうしてなのか?何も借金を遊びで使ってたわけではありません。上流貴族の夫人にプレゼントをしたり、庶民の食べ物や、ショーを主宰したりと、人々に愛されることにお金を使っていたようです。また、カエサルは借金は膨れ上がれば上がるほど、借りた側が有利になると、言っていたようです。ガリア戦争の功績では借金を返済して、巨万の富を築いたそうです。約480兆円らしい。

 

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伊能忠敬

 

日本を歩いて測量して、正確な日本地図を制作した伊能忠敬ですが、自費で12億円も使い、56歳の伊能忠敬が72歳になった頃にやっと完成したようです。高齢の伊能忠敬が日本を歩いて測量したこと事実もすごいことですが、自費で12億とはどこから捻出されたのか。伊能忠敬は18歳の時に伊能家の養子となりました。伊能家は醸造を主な生業としていましたが、伊能忠敬の手腕によって莫大な財産を築くことになった。伊能忠敬が50歳で隠居した頃には約45億円の資産があった。伊能忠敬は正確な地図を制作する技能もありましたが、実業家としての才能はずば抜けたものがあったのです。

 

夏目漱石

 

「吾輩は猫である」などの著作を残した作家である夏目漱石は教鞭を取っていた。そこの頃の年収は1200万円で、高学歴だったので、かなりの高待遇だったようです。授業に飽きた夏目漱石は、イギリスに留学することを決断するようですが、国から1800万円も負担してもらったようです。しかし、夏目漱石は自身が日本人であるコンプレックスから精神を病んでしまう。帰国後も授業がつまらないと生徒から、悪評されるようになり、ますますメンタルをやれたようです。そんな夏目漱石の気晴らしが、小説を書くことでした。ヒット作である「吾輩は猫である」は最初の年だけでも3000千万円の印税収入があったようです。このように夏目漱石は、お金に恵まれた人生だったと捉えることができる。

 

モーツァルト

 

幼少期には神童を呼ばれた音楽の天才であるモーツァルトは、年収換算するとおおよそ1000万円は稼いでいたと言われています。人気が低迷していた晩年でも、1000万円は安定して稼いでいたので、お金にはそこまで困っていなかったと言うわけではない。モーツァルトはギャンブルが大好きだったようで、最大でも2000万円くらいは借金を抱えていた。即興のピアニストとしても一晩で数百万円を稼いでいたとされるモーツァルトですが、もう少し質素に暮らすことができたなら、もっと長生きができたかも知れません。

 

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チンギス・ハン

 

約1兆円。1代で広大な領土を支配下にしたチンギス・ハン。その取得した領土を現代の価値に置き換えると、約1兆円の価値があるみたいです。規模が違い過ぎてよくわかりませんね。チンギス・ハンはバラバラだった遊牧民族をまとめ上げて巨大な戦力を築いたとされる。一人の兵士に二匹以上の馬を準備させて、機動力を最大限に生かす戦法を得意とした。チンギス・ハンの部隊は当時最強クラスであったことは間違いない。

 

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ウィリアム1世

 

初代ノルマン朝の王であり、現代にまで続く王朝の開祖。イングランドを征服したことからも、征服王と呼ばれることもある。フランスのノルマンディー公の庶子であったが領土を受け継ぐと、イングランドの王位を巡って侵略を開始した。戦争に勝利したウィリアム1世はイングランドの王に即位するのでいた。そんなウィリアムの推定資産は現代価値で約23兆円だそうです。

 

 

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