戦争って良くないよね。けど、どうしても譲れないプライドから、大きな戦争に発展することもあるようです。
今回は、「どうして?」「そんな理由で怒るの?」「人の命の価値とは?」みたいなことを思うような戦争が起こった残念な理由を紹介していこと思います。
- バケツを盗まれた『バケツ戦争』
- 駄々をこねて立て篭り『イギリス・サンジバル戦争』
- ワールドカップの熱狂から『サッカー戦争』
- 耳を切り落とされたことで『ジェンキンスの耳の戦争』
- 悪戯で糞まみれになったことで反乱を起こしたロベール
- 普通の椅子やなくて黄金の椅子がいいと『黄金の床几戦争』
バケツを盗まれた『バケツ戦争』
1325年にイタリアの都市国家、モデナとボローニャとの間で起こった戦争で、モデナ兵士がボローニャの井戸からバケツを盗んだことで始まった。約2000人が亡くなった戦争の勝者はモデナらしい。なんでもモデナが教皇派で、ボローニャが神聖ローマ帝国派だったことが火種で、両者は戦争を起こすきっかけを探していたようだ。それでバケツを盗んだことで開戦する理由になった。
駄々をこねて立て篭り『イギリス・サンジバル戦争』
アフリカのサンジバル保護国のハリドはイギリスに即位を認めて貰えなかったことに、駄々を込めて宮殿に立て篭もった。イギリスは別の人物を即位させた方が国益を得れることを考えていたので、ハリドを即位を認めるつもりはなかったのだ。イギリスは最後通告を送ったが、ハリドを宮殿に立て篭りを決意したので、1896年8月27日にイギリスは900人の軍を差し向ける。宮殿内に2800人もいたようだが、イギリス側の砲撃よって大砲が使えなくなり、サンジバルはあっという間に鎮圧されることになる。45分以内に終結したことから史上最短の戦争として記録されることになった。
ワールドカップの熱狂から『サッカー戦争』
サッカーの世界大会ワールドカップはご存知だと思います。日本でもワールドカップは開催されるたびに、国民の多くが注目する一大イベントだと思う。その熱意からか1969年の中米ではワールドカップ予選での暴動で戦争に発展した。まあ、本質はサッカーが原因ではない。エルサルバドルとホンジュラスは隣国同士で、移民問題、経済問題があって激しく対立していた。緊迫した中で迎えたワールドカップで両国の熱はピークを迎えてついに戦争に発展したようだ。サッカーはエルサルバドルは勝利、戦争は引き分けで終わった。
耳を切り落とされたことで『ジェンキンスの耳の戦争』
耳を切り落とされたことで起こった戦争です。イギリスとスペインは海上の覇権を巡って対立をしていた。発端はイギリス商船の船長ロバート・ジェンキンスは、無断でスペインの領海で貿易をしていたことで、捕虜となり罰として耳を切り落とされた。スペインはご丁寧に耳をジェンキンスに返したそうだ。報復を考えたジェンキンスは自身が受けた拷問の数々をイギリスに報告したことで、イギリスはスペインに宣戦布告をすることになる。この戦争はオーストリア継承戦争に繋がることになり、ヨーロッパ全土を巻き込む大きな戦争になった。
悪戯で糞まみれになったことで反乱を起こしたロベール
イングランドの征服王ウィリアム1世の長男であったロベールは、気性が荒く統治者よりも戦士に向いていた。ある日、二人の弟のイタズラでたっぷり入った便座の中身を頭からぶっかけられた。父のウィリアムは弟たちに対して簡単な罰しか与えてなかったことに、ロベールは激怒してウィリアムに反乱を起こした。まあ、父親に反乱を起こすのはどうかと思うが、激怒するには充分な理由である。
普通の椅子やなくて黄金の椅子がいいと『黄金の床几戦争』
黄金の床几とは玉座のことである。1900年、イギリスの提督はアシャンティ王国(ガーナらへん)の黄金の床几を要求した。この要求に民衆は激怒して大規模な戦争に勃発することになる。この反乱はイギリス側の一方的な勝利で幕を下ろすが、現代に至るまで黄金の床几は発見されていない。アシャンティ王国は命よりも大事な黄金の床几を守り抜くことに成功した。