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【ファラオ】古代エジプトを代表する伝説の王10人とは?

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古代エジプトの歴史は4000年に近くに渡り、数々の王が生まれました。有名な所で言うと、ツタンカーメンやクフ王、あと、クレオパトラとか。今回は古代エジプトを代表するファラオを紹介していこうと思います。

 

 

 

ナルメル「王朝を開いたファラオ」

 

(統治期間ーー紀元前3125〜前3062年)

エジプトを統一して、王朝を開いた最初の王様。王朝以前の古代エジプトのファラオであるスコルピオンと同一視されることもある。最初の王と言うことで、後継の王からも特別な王として認識されていた。ナルメル王のパレット(石板)は棍棒持ったナルメルが敵を打ち砕く姿が描かれているのだが、この構図を真似たパレットを次世代達がファラオがこぞって真似したことからもナルメルの影響力の強さがわかる。

 

ネチェリケト「最初のピラミッド建造者」

 

(統治期間ーー前2668年〜前2649年)

ジョセルの名で知られるファラオで、最初にピラミッドを建築したことで有名です。ネチェリケトは領土を拡大して、神聖王権を確立したことで古代エジプトの存在感が増した。ネチェリケトは「神の肉体」を意味するようで、彼はファラオとしても別格の存在であったようだ。ネチェリケトの宰相はイムホテプと言い映画「ハムナプトラ」に登場する敵のイムホテップだったりする。

 

スネフェル「三つの巨大のピラミッド建造者」

 

(統治期間ーー前2613年〜前2589年)

ギザの大ピラミッドを建造したクフ王の父親に当たるファラオで、大量にピラミッドを建築したことで知られる。ヌビアとリビアで遠征を行い、捕虜と家畜を大量に得たことで国は大きく栄えた。戦争のために船を建造したり、鉱山に遠征隊を派遣して発掘させたりと、スネフェルは外交戦略に力を入れていた。彼の時代からファラオがピラミッドを建築する文化が活発化した。

 

アメンエムハト1世「救世主」

 

(統治期間ーー前1991年〜前1962年)

古代エジプトの社会的混乱を救済して、エジプトに再び安定をもたらした救世主とされる。先代の宰相であったがクーデターを起こして王位を奪取して、外敵からの侵略に注力した。軍事的な遠征はもちろんだが、南方に巨大な要塞を建設して敵軍の侵入を防ぐなど、エジプトの軍事力を強化したのだ。アメンエムハトは共同統治を始めた行った人物で、彼自身が暗殺されると共同統治者であった息子が単独の統治者となれるので、一族からの王位剥奪を防止する利点があった。共同統治は伝統的に受け継がれることになる。

 

セケンエンラー・タア2世「困難に立ち向かった英雄」

 

(統治期間ーー前1591年〜前1574年)

セケンエンラーが統治した時代のエジプトは、エジプトの異民族ヒクソスの支配下にあった。セケンエンラーは有効な関係を守っていたが、やがて反旗を翻して戦いを挑んだ。激しい戦いの末に戦死、もしくは処刑されたとされる。彼のミイラには武器によって傷付けられた痕跡が頭部を中心にあるからだ。そこからも無防備な状態で攻撃されたことが読み取れる。

 

トトメス三世「エジプトのナポレオン」

 

(統治期間ーー前1479年〜前1425年)

領土を大幅に拡大した偉業から「エジプトのナポレオン」と評される偉大な軍人王。幼少期に即位したが実権を握っていたのは義母のハトシェプストであった。彼女が亡くなるり単独で実権を握ると、北方に遠征して、在位期間に17回もアジア遠征を行った。義母であるハトシェプストが実権を握っていたこと、つまり女性が王となっていたことがエジプトの文化的によろしくなかった。トトメスは義母の存在を徹底的に抹消したとされている。義母への恨みが理由とされるが、義母が建築を開始した神殿を完成させたりしているので、政治的な理由で仕方なく義母の存在を抹消したとされる。

 

アメンホテプ二世「剛腕の王」

 

(統治期間ーー前1453年〜前1419年)

トトメス三世の息子であり父が築いた巨大国家を維持することに成功した。アメンホテプ二世はのミイラは183センチと当時の人間にしてはかなり大柄だった大柄の肉体を通りを剛力を生かした弓の技術は随一で、戦争で活躍していたと思われる。

 

アクエンアテン「異端の王」

 

(統治期間ーー前1353年〜前1336年)

エジプトの記録から抹消された異端の王。アメンホテプ四世として即位したが、これまでの多神教から一神教であるアテン神を信仰することを取り決めて自身もアクエンアテンに名を改めた。他の神々への信仰を許されることなく迫害されたことから、アクエンアテンは異端の王と呼ばれる。これからの強行の真意は不明であるが、一説には一神教とすることで王の地位を底上げすることが目的だったとされる。また先天性の病気であるマルファン病による精神異常が理由らしい。

 

ラメセス二世「太陽王」

 

(統治期間ーー前1279年〜前1213年)

数多くの建築物を残したことから「建築王」と呼ばれる古代エジプトを代表する偉大な王の一人。ヒッタイトとの戦いに勝利してエジプトの権威を再興させた。自身も180センチを越えていたようで、戦士としても優れていた。また、90歳まで生き抜いた長寿で、111人の息子と69人の娘も子供がいたそうだ。


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メルエンプタハ「海の民と戦ったファラオ」

 

(統治期間ーー前1212年〜前1202年)

ラメセス二世の息子で、歴史上の置けるミステリーの一つである「海の民」との戦ったファラオ。海の民との戦いが前王であるラメセス二世から続いていて、ラメセス二世は海岸沿いに要塞を建築した。戦いは次の王であるラメセス三世の代にまで続き、三世代に続く「海の民」との戦いに勝利した。