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【項羽】中国史上屈指の覇王がなぜ敗北したのか?

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中国史上最大の覇王「項羽」は名家の出身で、始皇帝の死後に起きたクーデターに参加すると、天才的な才覚をたちまち開花することになる。20代のうちに天下を手中に収めてしまう項羽のカリスマ性に多くの人材が従うことを望み、中国史上最強の軍団を結成した。まさに敵なしの状態だった。ところが、立場も軍勢も遥か下であった劉邦との長い戦いの果てに、軍力が逆転してしまい、まさかの逆転負けを喫してしまう。

いったい項羽はどうして敗北することになってしまったのか。今回は項羽の生涯を解説していこうと思います。どうぞよろしくお願いします。

時代背景

紀元前3世紀、秦の始皇帝が中国を統一したが、その圧政に民衆の怒りは限界に達していた。

始皇帝が亡くなると、あちこちで反乱が勃発した。各地の英雄たちが立ち上がり、「次の天下は俺が取る」と名乗りを上げる。その中で最も強かったのが項羽だ。

項羽の家系は代々楚の将軍を務めた名門。祖父の項燕は秦に敗れて死んでおり、秦への恨みは骨の髄まで染みていた。始皇帝が死んだと聞いたとき、項羽は何を思っただろうか。

幼少

「あいつにとって代わってやる」と項羽は叫んだ。それが始皇帝の行幸を目にしてのことだったので、叔父の項梁は焦って項羽を口止めした。こんな発言を役人に聞かれたら一族が皆殺しに合うからだ。だが、項梁は内心歓喜した。

項羽は文字や剣術を習わせても、すぐに飽きてしまい長続きしない。「一人に敵するだけの技は学ぶに足らず、万人に敵するものを学ぶべし」と言って、すぐ兵法に切り替えた。徹底した合理主義者だ。

しかし、始皇帝の行幸を目にしたときの項羽の態度は大したものである。どんなに優秀な人材でも埋もれていくことはよくあることだ。項羽の度胸と自信に、項梁は大きな期待をするようになった。成長した項羽は期待に答えるように、190センチを超える大男に成長するのだった。

ちなみに同じとき劉邦は始皇帝の行幸を見て「大丈夫たる者、あんな風にならなければ」と憧れた。「あいつに成り代わってやる」と「あんな風になりたい」の差が、後の二人の性格の違いをよく表している。

反乱

始皇帝が亡くなると中華全土が混乱に陥り、各地で反乱が起きた。項梁は項羽を引き連れて反乱に参加することになる。まず地方での権力を欲したので、役所に出向いて項羽に権力者を殺させた。このときの項羽は最強の矛として、数百人の敵をたった一人で倒したという。反乱軍として活動するための地盤ができ上がると、項羽は項梁の指示に従い各地の城を攻め落とした。この頃、項羽は劉邦と協力関係にあり、二人で城を攻めることもあったようだ。

そんな中で項梁が戦死することになり、項羽が組織のトップとなる。反乱軍は項梁の代わりとなる知恵袋を用意するが、この人物が慎重であることを嫌った項羽は、文字通り切り捨ててしまったのだ。項羽は確かに強い。しかし、捕虜を一人残らず生き埋めにするなど容赦のない人物だったので、評判が悪かったのだ。反乱軍の中で項羽は孤立することになるが、たった一人になろうとも秦に攻撃を仕掛け続けた。

巨鹿の戦い

そんな中で秦の内部でクーデターが起こり状況が一変。誰が最初に首都を攻め落とすか競争になっていく。

項羽は宋義という上将軍の下に置かれていたが、宋義が「秦と趙が消耗し合ってから漁夫の利を得る」という慎重な作戦を取り、一切進軍しなかった。兵士が飢えて凍える中、宋義は自分の息子の出世宴会を開いていた。

これに項羽は激怒した。宋義を殺して指揮権を奪い、全軍に「釜を割り船を沈めろ」と命じた。退路を断って、もう前進しかできない状態を作ったのだ。いわゆる「背水の陣」の発想の元祖とも言える。

この巨鹿の戦いで、数に劣る項羽軍は秦の20万を超える大軍を打ち破った。敵一人に対して項羽軍は一人で十人の敵と戦ったと伝えられる。各地の諸侯がこれを見て震え上がり、こぞって項羽の指揮下に入ることを望んだ。

项羽20代にして、天下に名が知れ渡った瞬間だった。

首都陥落と項羽の失策

これだけの活躍をした項羽だったが、首都を最初に落としたのは劉邦だった。少数の軍で、なるべく敵と戦うことを避けながら進軍していた劉邦が先に到着していたのだ。劉邦は項羽の入城を拒否したことで、項羽は激怒して進軍を開始する。

しかし劉邦は慌てて項羽に和解を求めた。これが「鴻門の会」だ。項羽は劉邦を「殺す」つもりだったが、劉邦があまりにも腰が低いので「こいつならいつでも殺れる」と思い劉邦を許した。この判断が後々に項羽の運命を大きく変えることになる。

城内に入った項羽は、投降していた秦軍の有力者を次々に殺害して、放火と略奪で首都を荒らした。しかも捕虜20万人を生き埋めにするという、とんでもないことまでやってしまった。

このとき項羽は20代、戦闘の才能は確かにあったが、40代の劉邦と比べるとあまりにも若すぎた。「民からの人気を得ることができない」と項羽は考えることができなかった。

劉邦と対戦

劉邦はチャンスを伺っていた。若い頃から人に好かれる不思議な人間性を持った劉邦の元には、自然と優秀な人材が集まっていた。その器の大きさから項羽ではなく劉邦が王になるべきと考える人が多くいた。

そして紀元前206年には、56万という仲間を率いて項羽に戦争を仕掛けることになる。ここから3年間に渡り、項羽と劉邦は戦うことになる。寄せ集めではあるが大軍を用意した劉邦を、項羽は片っ端から撃退していった。項羽は天才的な戦上手であり、自身も猛将である。たった3万人で、最大56万人の劉邦に大勝利をしてしまう。この戦いで劉邦は命からがら敗走することになり、嫁である呂后も捕虜になった。3年間に渡る長い戦いのなかで項羽が劉邦に負けることはなかった。

ところが、長い戦いの中で先に息切れを起こしたのは項羽側だった。理由としては、項羽の残虐性を嫌い劉邦に寝返る者が相次いだことだろう。

項羽の元部下であり「国士無双」と謳われた韓信の活躍もあって、追い詰められた項羽は劉邦と「天下を二分にして互いに干渉しない」という和睦を受け入れる。和睦が成立した瞬間、兵士たちは「万歳」と歓声を上げたという。勝ち続けてきた兵もさすがに疲れていたのだ。

しかしそれは劉邦側も同じことだったようで、背後を見せた項羽軍に攻撃を開始した。だまし討ちだ。このとき劉邦軍は30万人にまで回復していて、対して項羽軍は10万人。

四面楚歌、そして最期

不利な状況に陥った項羽は700人の兵と垓下の城に立て籠もった。四方を囲まれた夜、漢軍の兵士たちが口々に楚の歌を歌い始めた。

項羽は大いに驚いた。「漢はすでに楚の全土を手に入れてしまったのか。敵の中に何と楚人が多いことか」と。

眠れない夜、項羽は軍営の中で酒宴を開いた。傍らには生涯ただ一人の女性・虞美人がいた。愛馬の騅もいた。この窮地の中で、項羽は自ら詩を作って歌った。

「力は山を抜き、気は世を蓋う。時に利あらず、騅ゆかず。騅ゆかざるを奈何せん。虞や虞や、汝を奈何せん」

「俺の力は山をも引き抜く。俺の気迫は天下を覆い尽くす。だが時勢の利を得られなかった。愛馬の騅が進んでくれぬ。愛する虞よ、俺はもうお前をどうしてやることもできないのだ」という意味だ。

項羽が何度も歌うと、虞美人もそれに合わせて歌った。項羽は涙を流し、左右の家臣もみんなで泣いて、顔を上げて項羽の顔を見ることができる者はいなかった。

虞美人はその後自ら命を絶ったとされている。2000年後、虞美人の血が化して咲いた花が「虞美人草(コクリコ)」と呼ばれるようになった。

項羽は800人余りを引き連れて囲みを破ろうと試みた。戦闘のたびに兵は減り、最後は28騎だけが残った。追い詰められた項羽はこう言った。

「自分は兵を起こしてから8年、70回余りも戦い、敗れたことはなかった。天が我を滅ぼすのであって、戦が下手だったわけではない」

そしてさらにひと暴れして、最後に大軍相手に100人の敵を倒してみせた。

負傷した項羽は長江の岸にたどり着いた。渡れば故郷だ。宿場の主が船を用意して「川を渡って再起を」と勧めた。項羽は静かに笑って答えた。

「かつて故郷の若者8千人と江を渡って西の戦場に向かった。今、連れて帰れる者は一人もいない。たとえ故郷の父兄が私をあわれんで王としてくれるとしても、私のほうに会わせる顔がない」

そして追っ手がかつての部下であることを知ると「お前に手柄を差し出そう」と、自らの首を立ったまま刎ねた。時に項羽、31歳。

こうして中国史上最強の男はこの世を去るのだった。

さいごに

項羽と劉邦の能力を比べると、どう考えても項羽が優秀です。実際、項羽は劉邦に負けることなんてほとんどありませんでした。ところが長期戦となってくると、勝ち続けていた項羽は追い詰められることになります。

その理由は劉邦に寝返る人材が多くいたからだとされる。原因は現代で言うところの「給料が少ない」「正当な評価がされない」ことだとされています。項羽は残忍な一面がある人物ではあったが、部下にそれなりに優しい寛大な人物だった。ところが褒美を与える場面になると急に女々しくなる。つまり現代で言うところの、給与やボーナスをケチる人物だったのだ。

それに対して劉邦はケチることなく正当な評価をしたそうです。項羽と劉邦、二人の最大の違いは他人の利益を考えることができたかどうか。この一点だったのだ。

 

 

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