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『ウィリアム・シャーマン』南北戦争の英雄。近代戦術の先駆者

南北戦争の英雄と言えば、リンカーン大統領、ユリシーズ・S・グラント、南部ではロバート・E・リーが有名ですが、今回はウィリアム・シャーマンを紹介していこと思います。北部ではリンカーンが政治的であったり、司令官としてはグラントの指導によって戦争に勝利することができたとされています。しかし、実際に前線で指導して、南部の深部まで侵攻したのはウィリアム・シャーマンである。彼は近代戦術の立案者、創始者と呼ばれて、焦土作戦によって南部を苦しめた。猛将と言うよりは、名将である。

 

そんなウィリアムも生涯を遡ると、失敗も多かったりします。今回はウィリアムの生涯を簡単に解説していけたらと思います。

 

 

 

 

生涯

 

生まれ

 

ウィリアム・シャーマンは1820年にアメリカのオハイオ州で生まれた。本名はウィリアム・テカムセ・シャーマン。ミドルネームのテカムセはアメリカに勇敢に立ち向かった先住民の英雄の名前が由来である。

 

ウィリアムが9歳の時に判事であった父が亡くなる。このことで近所に住んでいたアメリカ上院議委員であるトマス・ユーイングに引き取られた。この時にウィリアムの名前を授けられたそうだ。

 

16歳で陸軍士官学校に入学した。後に戦友となるユリシーズ・グラントとは出会う。三学年下の後輩であるが、グラントとは友好な関係を築くことになる。

 

卒業後は少尉として戦争に参加していくことになる。初めての任務はインディアンとの戦争で孤立したグループを連れ戻すことだった。

 

メキシコとの戦争が勃発すると、ウィリアムは主に後衛支援などで活躍をした。しかし、ウィリアムは出世頭から外れることになる。南北戦争の英雄の軍人としてのキャリアのスタートは決していいものではなかったことは意外に思う。

 

生活面で苦しむことになったウィリアムはゴールドラッシュの波に乗って、銀行家に転職した。

 

転職

 

銀行の経営は上手く行っていたようで、年棒5000ドルの高収入で、純利益も10パーセントと、それなりに安定した事業であった。私生活でもユリシーズの娘と結婚したので、順風満帆であったことは間違いないだろう。

 

しかし、ゴールドラッシュが終結すると、銀行の経営から足を洗う洗濯を迫われることになる。法律家として再起を図るか失敗する。ルイジアナ州で新設された軍事学校で学長となった。しかし、これもすぐに退職することになる。南北戦争が開戦したのだ。南部に住んでいたウィリアムは、北部に退避した。ウィリアムは南部の敗北を予想していたようだ。

 

南北戦争

 

当初は南部に友人が多くいたこともあり、南部の軍人として参加する予定だっったようだが、上記の説明通り、ウィリアムは北部に戻り、陸軍の大佐として戦争の準備に明け暮れた。

 

開戦すると北部は苦戦を強いられることになる。ウィリアムも負傷しながらも善戦したことで、リンカーン大統領によって司令官に抜擢される。ところがウィリアムには精神的に脆い部分があったので、一時的に退役することになってしまう。

 

グラントの登場

 

共に南北戦争の英雄と評価されるが、グラントもアルコール依存症だったりと、あまりカッコいい感じではなかった。ただ互いに弱いところを理解して助けてあっていたようだ。

 

負傷しながらも拠点を守り抜いたウィリアムが評価され中で、まんまと敵軍の策略に嵌り糾弾されていたグラントに手紙を書いて退役を思い止まらせた。二人は互いに支え合い、戦争での功績も互いに分け合った。二人はリンカーンから信頼を得て、グラントが総司令官に抜擢されれると、ウィリアムは西の総司令官となった。

 

ここからのウィリアムは焦土作戦に力を費やした。進軍していくと、鉄道やインフラ設備を徹底的に破壊していき、敵軍に降伏を迫った。ウィリアムは猛将や勇将と言ったタイプではない。むしろ南部の方が名将といったタイプが多い。しかし、リンカーンが政治的な戦略、ウィリアムとグラントが軍事的な戦略で活躍した。

 

特にウィリアム・シャーマンは近代戦術の創始者と言われている。主に総力戦と呼ばれるものだ。個人、団体、政治、軍事、精神、国家に関わる全てを戦争への勝利に紐付けた。また、ウィリアム・シャーマンは徹底な破壊をしていたが、北部にとって有益な拠点はちゃっかり確保して、戦略的な意味を持っていた。

 

南北戦争終結後

 

南北戦争の終結後に大統領になったグラントに代わって、ウィリアム・シャーマンが大将に昇進した。そこから15年間も軍人として活躍することになる。

インディアンの蜂起には悩むことになった。南北戦争では徹底的な焦土作戦による一般人や一般施設に対する破壊、人種的な討伐作戦など、まるで容赦のない戦争を行なっていたが、本人は戦争嫌いで、軍事学者、作家としては戦争に対しての嫌悪を強めたものを数多く残している。

 

1891年にウィリアム・シャーマンは71歳で亡くなった。

 

 

 

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